揺れがおさまったもう一つの教室。
しーんと、さっきのことがなかったかのように静まり返る。
だが、傾きはそのままだ。
「なにが起きてるの……。大丈夫? 白鳥さん」
雅が白鳥雅の顔を見る。
すると、その顔は血の気が引いたように真っ青になっていた。
「白鳥さん?」
「え? え、ええ。大丈夫」
雅はもちろんこの状況に驚いている。
だが、白鳥雅の方が明らかに動揺していて、少し冷静になった。
そして、傾いた床を滑りながら、雅は掃除用具入れまで移動する。
ーーギ、ギイ。
掃除用具入れの扉を開けると中には、箒と塵取りとバケツのみ。
いつもの階段には、繋がっていない。
「……階段がないわ」
遅れて、白鳥雅も床を慎重に滑りながら、雅の元へやってきた。
「……やっぱり」
「やっぱりって? どういうこと? 白鳥さん」
雅が小刻みに震える白鳥雅に問う。
「私もね。最初は、普通に帰れたの。でも何度か来るうちに、帰れなくなった。揺れ始めたときに、なんとなくこうなるんじゃないかって……」
「白鳥さんもここから出入りしていたの?」
「えっと……。この掃除用具入れだった気もするし、そうじゃなかった気もするわ。記憶が曖昧なの」
「そう……」
時間が経過すると、記憶が曖昧になるのだろうか。
でも、そんなことはいまはどうでもいい。
そもそも白鳥さんが、もう一つの学校に閉じ込められていたなんて。
白鳥雅がどうして夜中の0時にもう一つの学校にいるのか。
どうしていつもひとりなのか。
3人は色々気になることはあったが、本人が話すまで待つべきだと思っていた。
それがいまだなんて。
「巻き込んでごめんなさい。神崎さんまで帰れなくなるなんて……」
「私が勝手に残っただけよ。気にしないで」
でも、帰れなくなるなんて思いもしなかったというのが雅の本音だ。
「ありがとう……私のこと、ひとりにしないでくれたのよね」
白鳥雅は、雅の手をぎゅっと握った。
行かないでと言っているような、でも無事に帰らせてあげたいというような、そんな気持ちが伝わってくる。
「白鳥さんは、私でしょ? だから当然のことよ。自分のためにしたことじゃない。ね?」
「本当にありがとう……」
2人は、しばらく抱き合った。
お互いに込み上げるものがあった。
この状況から抜け出すには、お互いにしかすがれないのだから。
それからどのくらい経っただろう。
時計は0時1分のまま、止まっていた。
雅は、ある決心をして口を開く。
「こんなときに申し訳ないけれど、現状を整理したいの。白鳥さん、力になってくれない?」
「……もちろんよ。こうしてはいられないわよね」
白鳥雅は、力強く快諾した。
もうひとりの自分が頭を動かしてくれる。
雅はこんなに心強いことはないと思った。
さっそく雅はスクールバッグからノートとペンを取り出した。
そして、教室は傾いたままなので、床を机の代わりにして、いまわかっていることを書き出してみる。
・白鳥雅=両親が離婚しなかった世界の雅
・神崎雅=両親が離婚した世界の雅
・白鳥雅も神崎雅も別の人生を生きている同一人物
・白鳥雅もかつて「もう一つのの学校に来た」
・なんらかのルールによって白鳥雅は帰れなくなった
「もう一つの学校のなんらかのルールがわかれば、ここから出られる道を探れるかもしれないわ。白鳥さん、思い当たることはある?」
「ルール……」
「些細なことでもいいの。私はあなたを置いていくのは嫌。でも、私は元の世界に帰らなきゃならない。……だから、白鳥さんのことも元の世界に戻れるようにしたいの」
「ありがとう……でも、本当になにも思い出せないの。神崎さんは、なにか思い当たることはある?」
「私は……」
雅は、今日までの出来事をひとつひとつ思い出してみる。
ヤマトにもう一つ学校がコピーであることを教えてもらった日。
座席表に「白鳥雅」の名前を見つけた日。
そして、ひとりでもう一つの学校に来たとき、白鳥雅と出会った日。
なにか、なにか、ほころびをーー。
「あ……もしかして」
雅は、持ってきていたスクールバッグに手を伸ばし、中身を確認する。
そして、白鳥雅の持ち物である教科書と消しゴムを取り出した。
「これ、白鳥さんのでしょ?」
「え! どうして神崎さんが持っているの?」
「突然、私の持ち物に紛れ込んでいたの。しかも今日、私の世界で、個人ロッカーの名札が、白鳥雅になっていたわ」
「え!?」
「ジョウには、言うなって言われていたけどね」
白鳥雅は、固まった。
もし、白鳥雅が雅の個人ロッカーや机の名札を変えた犯人ならこんな顔はしないだろう。
ここに閉じ込められているのだから、そんなことはできないと思っていたが、雅は、改めて白鳥雅の仕業ではないと、確信が持てて安心する。
「返すわね。持ち主の元に」
白鳥雅は、教科書と消しゴムを受け取った。
「この消しゴム……」
「消しゴムがどうかしたの?」
「ヤマトくんにもらったの。私、すぐものをなくすから、ヤマトくんが名前を書いておけって」
「これ、もしかしてヤマトの字?」
「そう……またなくしたかもって思ってたの。よかった。ありがとう」
「私は、ものをなくさないし、ヤマトの字はもっと汚いから。やっぱり白鳥さんと私は、同一人物であって、同一人物じゃないわね」
「そうね。だって、神崎さんは、和田くんと付き合いたいって思ってるものね。全然違うわ」
「そんな……! 思って……ない……わ」
ふと、ジョウの顔が頭に浮かぶ。
「雅!」と必死に叫ぶ姿。
はじめて名前を呼んでもらう瞬間が、別れ際だったなんて。
ジョウはいま、どうしているだろう。
「……元の世界に頑張って戻りましょう。そしたら、ジョウくんにもちゃんと気持ちを伝えなきゃ。ね? 神崎さん」
「……そうね」
こうしては、いられない。
掃除用具入れから帰れないのであれば、校内を回って、元の世界に帰れる階段を見つけなければ。
走り回るなら身軽になろうと、雅はジャケットを慌てて脱ぐ。
夏服がOKになった5月下旬だったが、私立の校内はクーラーが効いていて、雅は肌寒いのでジャケットを羽織っていたのだ。
ーーカラン。
すると、小さいものが落ちたような物音がした。
「?」
「なにか落ちたわよ」
足元に転がり落ちた平たくて丸い形のものーー。
あ、ジョウと2人で帰った雨の日に、ポッケに入っていた手鏡だ。
すっかり忘れていた。
雅が拾うと「それ……」と白鳥雅がつぶやく。
「それも……私のだわ」
白鳥雅は、雅の手からやさしく手鏡を取る。
「これも白鳥さんのものだったの?」
「これは、お母さんからもらったもので……」
「ということは、私の手元に紛れ込んできた古文の教科書と消しゴムだけじゃなくて……他にもあるのかも……」
「え? どういうこと?」
「白鳥さんの持ち物が、少し前から私の手元にやってきていた可能性があるわ。その手鏡は、ゴールデンウィークよりも前に私のポッケに入っていたの。誰のだろう、返さなきゃって思ってて……」
「3人で会いにきたとき、ゴールデンウィーク明けって言ってたわよね。ゴールデンウィーク中は? なにか変わったことはあった?」
「ゴールデンウィーク中は……あ!」
雅は、急いで財布の中からプリクラを取り出す。
10枚以上ある束を一枚一枚確認すると、自分が撮ったことのないプリクラがあった。
顔が同じだから気づかなかったけど、これ……私じゃない。
「これ」
急いで白鳥雅にそれを手渡す。
すると、また教室が揺れ動いた。
ーーガガガガガガ。
「「わ!」」
机と椅子が後方に寄ったままではあるが、教室の傾きが直る。
雅はもう揺れないことを確認して、白鳥雅にたずねた。
「もしかして、白鳥さんのものを返したから教室が元に戻ったの?」
「そういうことかもしれないわ」
「まだなにかあるのかしら……。それ以外はまだ思い出せないのだけれど…」
「ううん。このプリクラも……ありがとう。なくしたことすごく後悔していたものだったの」
白鳥雅は、プリクラを見つめていた。
「白鳥さん? 大丈夫?」
「ええ。ありがとう。神崎さん、私はあなたに出会えてよかったわ」
「突然、どうしたの?」
「私ね。栃木に引っ越してきて、クラスに馴染めなくて」
「え? 白鳥さんが?」
「うん。でもそんな私を助けてくれたのがヤマトくんだった」
「そう……ヤマトらしいわ」
「この話し方でしょ? それで、バカにされて。ヤマトくんまで陰で悪口言われるようになっちゃって。そんなとき、ここーーもう一つの学校にたどり着いたの」
「そうだったの……」
「家ではね、お母さんとお父さんが電話越しでよく喧嘩をしていて。お母さんがわーって怒るの、私苦手で。離婚してなくても、地獄だったわ」
千里の顔がふっと思い浮かぶ。
雅にとっては、明るくてはつらつとした母だったが、白鳥雅に対しては少し違ったのかもしれない。
「お母さん、スイッチ入ると止まらないものね……」
「それでね。"もう、一生ここにいる"って、もう一つの学校にいるとき声に出してしまって。そしたら、ある日、帰れなくなった」
「……え」
「閉じ込められているとね。おなかもすかないし、眠くもならない。ずっと時が止まっているような感じなの。ハッと気づけば、昨日に戻っている気もするし、明日になっている気もする」
時間が止まっている空間だからなのか。
閉じ込められると、そんな状態になるなんて。
「……いきなりそんな状況で、怖かったわよね」
「でも、神崎さんが来てくれたじゃない? それからは、怖くなかったわ。それに、もうひとりの自分だけれど、妹っていうか、姉っていうか。姉妹ができたような気持ちになって、とても嬉しかったの」
「私もよ! 白鳥さんに出会えてそう思ったの」
今度は、雅の方から白鳥雅の手を握った。
すると「ありがとう」と白鳥雅は、微笑んだ。
白鳥さんは、笑えるのね。
「それにね、記憶が薄れてしまっていたし。だから3人が来てくれるたびに、なにかを思い出した気にもなれたわ。だけどね、神崎さん」
白鳥雅は、真剣な表情で続けた。
「とにかく早くあなたを元の世界に帰したい。記憶が薄れる前に……」
「……ありがとう。でも、私は白鳥さんが元に帰れる方法を探すことも忘れたくないわ」
「ありがとう」
雅は考えた。
なぜ自分と白鳥雅の2人が閉じ込められたのか、それは偶然なのだろうか、それとも必然なのだろうか。
「……白鳥さん。閉じ込められてしまう理由があったとしたら……」
「閉じ込められてしまう理由?」
「私たちは、ルールを破っているのかもしれない。だって、ジョウにもヤマトにも起こりうる可能性があったのに、半年以上、閉じ込められずに済んでいるもの」
「たしかそうね。和田くんもヤマトくんも、もう一つ学校に来たとき、決まってなにかしていたのかしら……?」
「そうだ! ヤマトは、毎回机の中に飴ちゃんを入れて帰っていたの」
「飴!」
「ジョウは、たしか机に正の字を書いてカウントしてたわ」
「飴と正の字……」
「もしかして、もう一つの学校に来たら、なにかを残していかなければいけなかった……?」
「私は、なにも残して帰らなかった。だから、何回か目に閉じ込められたってこと?」
「なにも残して帰らなかった場合、なにかを失う?」
「だから、私の持ち物が神崎さんの手元に行ってしまっていたのね」
雅は先ほどのノートに、ルールを追加した。
・もう一つの学校に来たら、なにかひとつ置いて帰らなくてはならない。物でも気持ちでも字でもいいと仮定する
・なにも置いて帰らなかった場合、なにかひとつを失う
・何回目かで閉じ込められてしまう
ということは、雅のモノも知らないうちになくなっているのだ。
なにがなくなっているのだろう。
まったく気づかなかったわ。
すると、突如、白鳥雅が神妙な顔になる。
「私、神崎さんには、この先の人生を生きてほしい。だから、あなただけでも元の世界に帰って」
「え? でも、これから、白鳥さんも私も帰れる道を探して……」
「いいえ、掃除用具入れをもう一度開けてみて。今度は階段になっているような気がするわ」
雅は、教室が二度目に揺れて教室の傾きが直ったときに白鳥雅と同じように思った。
階段も元に戻っているかもーーそんな気がしたのだ。
「開けてみて。私は、大丈夫だから」
白鳥雅は、雅の手をギュッと握った。
雅は、その手を握り返して、それから恐る恐る掃除用具入れの扉を開けたーー。
「階段が……ある」
元の世界に戻る階段が、ずっとそこにあったかのように再び現れた。
「とにかく、今のうちに今日は帰って。明日はどうなっているかわからないけれど……」
白鳥雅は、雅の背中を押した。
力強く、気持ちが伝わってくる体温と共に。
雅は白鳥雅の目をまっすぐ見た。
「白鳥さん」
「なに?」
「必ず、白鳥さんをここから助け出すから。だから、信じて待っていて」
ーーカチャ。
雅は、スクールバッグについていたトラのぬいぐるみを取り、白鳥雅に手渡す。
「これ、お守り。私たち、寅年のしし座でしょ? 怖いものなんてないわ」
「……そうよね。こんな強そうな生年月日ならなににも負ける気がしないわよね」
そして、雅は一気に階段を駆け降りた。
しーんと、さっきのことがなかったかのように静まり返る。
だが、傾きはそのままだ。
「なにが起きてるの……。大丈夫? 白鳥さん」
雅が白鳥雅の顔を見る。
すると、その顔は血の気が引いたように真っ青になっていた。
「白鳥さん?」
「え? え、ええ。大丈夫」
雅はもちろんこの状況に驚いている。
だが、白鳥雅の方が明らかに動揺していて、少し冷静になった。
そして、傾いた床を滑りながら、雅は掃除用具入れまで移動する。
ーーギ、ギイ。
掃除用具入れの扉を開けると中には、箒と塵取りとバケツのみ。
いつもの階段には、繋がっていない。
「……階段がないわ」
遅れて、白鳥雅も床を慎重に滑りながら、雅の元へやってきた。
「……やっぱり」
「やっぱりって? どういうこと? 白鳥さん」
雅が小刻みに震える白鳥雅に問う。
「私もね。最初は、普通に帰れたの。でも何度か来るうちに、帰れなくなった。揺れ始めたときに、なんとなくこうなるんじゃないかって……」
「白鳥さんもここから出入りしていたの?」
「えっと……。この掃除用具入れだった気もするし、そうじゃなかった気もするわ。記憶が曖昧なの」
「そう……」
時間が経過すると、記憶が曖昧になるのだろうか。
でも、そんなことはいまはどうでもいい。
そもそも白鳥さんが、もう一つの学校に閉じ込められていたなんて。
白鳥雅がどうして夜中の0時にもう一つの学校にいるのか。
どうしていつもひとりなのか。
3人は色々気になることはあったが、本人が話すまで待つべきだと思っていた。
それがいまだなんて。
「巻き込んでごめんなさい。神崎さんまで帰れなくなるなんて……」
「私が勝手に残っただけよ。気にしないで」
でも、帰れなくなるなんて思いもしなかったというのが雅の本音だ。
「ありがとう……私のこと、ひとりにしないでくれたのよね」
白鳥雅は、雅の手をぎゅっと握った。
行かないでと言っているような、でも無事に帰らせてあげたいというような、そんな気持ちが伝わってくる。
「白鳥さんは、私でしょ? だから当然のことよ。自分のためにしたことじゃない。ね?」
「本当にありがとう……」
2人は、しばらく抱き合った。
お互いに込み上げるものがあった。
この状況から抜け出すには、お互いにしかすがれないのだから。
それからどのくらい経っただろう。
時計は0時1分のまま、止まっていた。
雅は、ある決心をして口を開く。
「こんなときに申し訳ないけれど、現状を整理したいの。白鳥さん、力になってくれない?」
「……もちろんよ。こうしてはいられないわよね」
白鳥雅は、力強く快諾した。
もうひとりの自分が頭を動かしてくれる。
雅はこんなに心強いことはないと思った。
さっそく雅はスクールバッグからノートとペンを取り出した。
そして、教室は傾いたままなので、床を机の代わりにして、いまわかっていることを書き出してみる。
・白鳥雅=両親が離婚しなかった世界の雅
・神崎雅=両親が離婚した世界の雅
・白鳥雅も神崎雅も別の人生を生きている同一人物
・白鳥雅もかつて「もう一つのの学校に来た」
・なんらかのルールによって白鳥雅は帰れなくなった
「もう一つの学校のなんらかのルールがわかれば、ここから出られる道を探れるかもしれないわ。白鳥さん、思い当たることはある?」
「ルール……」
「些細なことでもいいの。私はあなたを置いていくのは嫌。でも、私は元の世界に帰らなきゃならない。……だから、白鳥さんのことも元の世界に戻れるようにしたいの」
「ありがとう……でも、本当になにも思い出せないの。神崎さんは、なにか思い当たることはある?」
「私は……」
雅は、今日までの出来事をひとつひとつ思い出してみる。
ヤマトにもう一つ学校がコピーであることを教えてもらった日。
座席表に「白鳥雅」の名前を見つけた日。
そして、ひとりでもう一つの学校に来たとき、白鳥雅と出会った日。
なにか、なにか、ほころびをーー。
「あ……もしかして」
雅は、持ってきていたスクールバッグに手を伸ばし、中身を確認する。
そして、白鳥雅の持ち物である教科書と消しゴムを取り出した。
「これ、白鳥さんのでしょ?」
「え! どうして神崎さんが持っているの?」
「突然、私の持ち物に紛れ込んでいたの。しかも今日、私の世界で、個人ロッカーの名札が、白鳥雅になっていたわ」
「え!?」
「ジョウには、言うなって言われていたけどね」
白鳥雅は、固まった。
もし、白鳥雅が雅の個人ロッカーや机の名札を変えた犯人ならこんな顔はしないだろう。
ここに閉じ込められているのだから、そんなことはできないと思っていたが、雅は、改めて白鳥雅の仕業ではないと、確信が持てて安心する。
「返すわね。持ち主の元に」
白鳥雅は、教科書と消しゴムを受け取った。
「この消しゴム……」
「消しゴムがどうかしたの?」
「ヤマトくんにもらったの。私、すぐものをなくすから、ヤマトくんが名前を書いておけって」
「これ、もしかしてヤマトの字?」
「そう……またなくしたかもって思ってたの。よかった。ありがとう」
「私は、ものをなくさないし、ヤマトの字はもっと汚いから。やっぱり白鳥さんと私は、同一人物であって、同一人物じゃないわね」
「そうね。だって、神崎さんは、和田くんと付き合いたいって思ってるものね。全然違うわ」
「そんな……! 思って……ない……わ」
ふと、ジョウの顔が頭に浮かぶ。
「雅!」と必死に叫ぶ姿。
はじめて名前を呼んでもらう瞬間が、別れ際だったなんて。
ジョウはいま、どうしているだろう。
「……元の世界に頑張って戻りましょう。そしたら、ジョウくんにもちゃんと気持ちを伝えなきゃ。ね? 神崎さん」
「……そうね」
こうしては、いられない。
掃除用具入れから帰れないのであれば、校内を回って、元の世界に帰れる階段を見つけなければ。
走り回るなら身軽になろうと、雅はジャケットを慌てて脱ぐ。
夏服がOKになった5月下旬だったが、私立の校内はクーラーが効いていて、雅は肌寒いのでジャケットを羽織っていたのだ。
ーーカラン。
すると、小さいものが落ちたような物音がした。
「?」
「なにか落ちたわよ」
足元に転がり落ちた平たくて丸い形のものーー。
あ、ジョウと2人で帰った雨の日に、ポッケに入っていた手鏡だ。
すっかり忘れていた。
雅が拾うと「それ……」と白鳥雅がつぶやく。
「それも……私のだわ」
白鳥雅は、雅の手からやさしく手鏡を取る。
「これも白鳥さんのものだったの?」
「これは、お母さんからもらったもので……」
「ということは、私の手元に紛れ込んできた古文の教科書と消しゴムだけじゃなくて……他にもあるのかも……」
「え? どういうこと?」
「白鳥さんの持ち物が、少し前から私の手元にやってきていた可能性があるわ。その手鏡は、ゴールデンウィークよりも前に私のポッケに入っていたの。誰のだろう、返さなきゃって思ってて……」
「3人で会いにきたとき、ゴールデンウィーク明けって言ってたわよね。ゴールデンウィーク中は? なにか変わったことはあった?」
「ゴールデンウィーク中は……あ!」
雅は、急いで財布の中からプリクラを取り出す。
10枚以上ある束を一枚一枚確認すると、自分が撮ったことのないプリクラがあった。
顔が同じだから気づかなかったけど、これ……私じゃない。
「これ」
急いで白鳥雅にそれを手渡す。
すると、また教室が揺れ動いた。
ーーガガガガガガ。
「「わ!」」
机と椅子が後方に寄ったままではあるが、教室の傾きが直る。
雅はもう揺れないことを確認して、白鳥雅にたずねた。
「もしかして、白鳥さんのものを返したから教室が元に戻ったの?」
「そういうことかもしれないわ」
「まだなにかあるのかしら……。それ以外はまだ思い出せないのだけれど…」
「ううん。このプリクラも……ありがとう。なくしたことすごく後悔していたものだったの」
白鳥雅は、プリクラを見つめていた。
「白鳥さん? 大丈夫?」
「ええ。ありがとう。神崎さん、私はあなたに出会えてよかったわ」
「突然、どうしたの?」
「私ね。栃木に引っ越してきて、クラスに馴染めなくて」
「え? 白鳥さんが?」
「うん。でもそんな私を助けてくれたのがヤマトくんだった」
「そう……ヤマトらしいわ」
「この話し方でしょ? それで、バカにされて。ヤマトくんまで陰で悪口言われるようになっちゃって。そんなとき、ここーーもう一つの学校にたどり着いたの」
「そうだったの……」
「家ではね、お母さんとお父さんが電話越しでよく喧嘩をしていて。お母さんがわーって怒るの、私苦手で。離婚してなくても、地獄だったわ」
千里の顔がふっと思い浮かぶ。
雅にとっては、明るくてはつらつとした母だったが、白鳥雅に対しては少し違ったのかもしれない。
「お母さん、スイッチ入ると止まらないものね……」
「それでね。"もう、一生ここにいる"って、もう一つの学校にいるとき声に出してしまって。そしたら、ある日、帰れなくなった」
「……え」
「閉じ込められているとね。おなかもすかないし、眠くもならない。ずっと時が止まっているような感じなの。ハッと気づけば、昨日に戻っている気もするし、明日になっている気もする」
時間が止まっている空間だからなのか。
閉じ込められると、そんな状態になるなんて。
「……いきなりそんな状況で、怖かったわよね」
「でも、神崎さんが来てくれたじゃない? それからは、怖くなかったわ。それに、もうひとりの自分だけれど、妹っていうか、姉っていうか。姉妹ができたような気持ちになって、とても嬉しかったの」
「私もよ! 白鳥さんに出会えてそう思ったの」
今度は、雅の方から白鳥雅の手を握った。
すると「ありがとう」と白鳥雅は、微笑んだ。
白鳥さんは、笑えるのね。
「それにね、記憶が薄れてしまっていたし。だから3人が来てくれるたびに、なにかを思い出した気にもなれたわ。だけどね、神崎さん」
白鳥雅は、真剣な表情で続けた。
「とにかく早くあなたを元の世界に帰したい。記憶が薄れる前に……」
「……ありがとう。でも、私は白鳥さんが元に帰れる方法を探すことも忘れたくないわ」
「ありがとう」
雅は考えた。
なぜ自分と白鳥雅の2人が閉じ込められたのか、それは偶然なのだろうか、それとも必然なのだろうか。
「……白鳥さん。閉じ込められてしまう理由があったとしたら……」
「閉じ込められてしまう理由?」
「私たちは、ルールを破っているのかもしれない。だって、ジョウにもヤマトにも起こりうる可能性があったのに、半年以上、閉じ込められずに済んでいるもの」
「たしかそうね。和田くんもヤマトくんも、もう一つ学校に来たとき、決まってなにかしていたのかしら……?」
「そうだ! ヤマトは、毎回机の中に飴ちゃんを入れて帰っていたの」
「飴!」
「ジョウは、たしか机に正の字を書いてカウントしてたわ」
「飴と正の字……」
「もしかして、もう一つの学校に来たら、なにかを残していかなければいけなかった……?」
「私は、なにも残して帰らなかった。だから、何回か目に閉じ込められたってこと?」
「なにも残して帰らなかった場合、なにかを失う?」
「だから、私の持ち物が神崎さんの手元に行ってしまっていたのね」
雅は先ほどのノートに、ルールを追加した。
・もう一つの学校に来たら、なにかひとつ置いて帰らなくてはならない。物でも気持ちでも字でもいいと仮定する
・なにも置いて帰らなかった場合、なにかひとつを失う
・何回目かで閉じ込められてしまう
ということは、雅のモノも知らないうちになくなっているのだ。
なにがなくなっているのだろう。
まったく気づかなかったわ。
すると、突如、白鳥雅が神妙な顔になる。
「私、神崎さんには、この先の人生を生きてほしい。だから、あなただけでも元の世界に帰って」
「え? でも、これから、白鳥さんも私も帰れる道を探して……」
「いいえ、掃除用具入れをもう一度開けてみて。今度は階段になっているような気がするわ」
雅は、教室が二度目に揺れて教室の傾きが直ったときに白鳥雅と同じように思った。
階段も元に戻っているかもーーそんな気がしたのだ。
「開けてみて。私は、大丈夫だから」
白鳥雅は、雅の手をギュッと握った。
雅は、その手を握り返して、それから恐る恐る掃除用具入れの扉を開けたーー。
「階段が……ある」
元の世界に戻る階段が、ずっとそこにあったかのように再び現れた。
「とにかく、今のうちに今日は帰って。明日はどうなっているかわからないけれど……」
白鳥雅は、雅の背中を押した。
力強く、気持ちが伝わってくる体温と共に。
雅は白鳥雅の目をまっすぐ見た。
「白鳥さん」
「なに?」
「必ず、白鳥さんをここから助け出すから。だから、信じて待っていて」
ーーカチャ。
雅は、スクールバッグについていたトラのぬいぐるみを取り、白鳥雅に手渡す。
「これ、お守り。私たち、寅年のしし座でしょ? 怖いものなんてないわ」
「……そうよね。こんな強そうな生年月日ならなににも負ける気がしないわよね」
そして、雅は一気に階段を駆け降りた。



