もう一つの学校

 ゴールデンウィーク明け初日。
 夏はもう少し先だが、暑い日があったからか、今年は蝉が早々に歌を歌いはじめた。
 雅は朝早く目が覚めてしまって、いつもより早く家を出た。
 教室には、相変わらず机に顔を貼り付けて、窓側を見ているジョウの姿があった。
 桜の木々は、青々とした緑の葉でいっぱいだ。

「DIC-598ってところかしら」

 雅が母から借りたカラーガイドを広げて、葉の色を確認する。
 すると、ジョウはムクっと起き上がった。

「いや、572やな」
「起きてたの?」
「俺はいつも寝とらんわ」

 雅がスクールバッグから、今日の授業で使う教科書を引き出しに入れる。
 だが……。
 すでに引き出しの中に本のようなものが入っていた。
 熱を出して長期休みに入ったから、なにか忘れて帰ったのかしら。
 入っていた本を取り出すと、それは古文の教科書だった。

「あれ……?」
「どうした?」

 雅の声に、ジョウが反応する。

「古文の教科書が入ってて。今朝、家から持ってきたはず……誰かが間違えたのかしら」

 雅は、教科書を裏返す。
 名前を確認するとーー。
 そこには「白鳥雅」と書かれていた。

「……!」
「おい、お前。これって……」

 ジョウも驚き、身を乗り出して教科書を見る。

「白鳥さんの教科書……?」

 そのとき。

ーーガラガラガラガラ。

 教室のドアが開く。

ーーバッ。

 雅は、咄嗟に教科書を表に返した。

「あ! いたいた! 和田くん!」
「……野村先輩」

 教室と廊下の境界線の上に立つ、高等部の制服を着たショートカットの先輩。
 うさぎのようなふわふわしたかわいらしい人だ。

「和田くんが連絡先を教えてくれないから、教室まできちゃったよ〜」

 ジョウは席を立ち、引き寄せられるようにその先輩の元へ向かった。

「例の件なんだけど……」

 先輩が話そうとすると「場所、変えましょ」とジョウは先輩とともにどこかへ行こうとする。

「ジョウ? どこ行くの?」

 雅が呼び止めるとジョウは振り返らず、
「悪いな、野暮用や」
 と行ってしまった。
 雅は、ジョウがいなくなった教室でひとり、もう一度古文の教科書を確認した。

「やっぱり……」

 白鳥雅の名前が書かれている。
 そして、雅は、マッキーで書かれた白鳥雅という文字を手で撫でた。

「あれ? 雅ちゃん、ひとり? わーい! 2人きりじゃん」

 ヤマトが登校してきて、いつもの調子で自席につく。
 本当は、3人でこのことについて話したかった。
 だが、ジョウはどこかに行ってしまったのでしょうがない。

「……ヤマト。これを見て」

 ヤマトは固まり、みるみるうちに青ざめていく。
 
「これって……」
「白鳥雅さんの古文の教科書みたいなの……」
「ど、どういうこと!? てか、雅ちゃんのは?」
「私のは……ここにあるわ」

 雅は、スクールバッグの中にあった自分の古文の教科書をヤマトに見せた。

「どういうこと……」
「私にもわからない……。でも、ジョウはどこかに行っちゃうし……」
「え? ジョウ、もう来てんの? あいつ早いな」
「……知らない先輩と2人でどこかに行ったわ」
「知らない先輩? こんなときになにしてんだよ」
「さあね」

 プイッと少し怒った様子の雅を見て、ヤマトはジョウに会いにきた人は、女子の先輩だとわかったらしい。

「あ! それって、ショートカットの先輩?」
「……ええ。ヤマトも知り合い?」
「あー、知ってるっていうか。その人、生徒会長だから」
「え? あの人が高等部の生徒会長なの? 生徒会長とジョウって、知り合いなの?」

 ヤマトは、雅に詰め寄られてぎゅっと目を閉じた。
 高等部には、知り合いがいないようなこと言ってたのに。

「それは〜その〜。まあまあ、落ち着いて。雅ちゃん」
「2人して、なにか隠してるんでしょ?」

 目をパッと開いたヤマトは、今度は雅の机にうなだれる。

「怒んないでよ〜」
「ゴールデンウィークあたりから怪しいわ」
「そんなことないよー! 仲間割れしたっていいことないから、ね? てか、白鳥雅に関するものはこれだけ? ほかにもなにかあったりした?」
「ヤマト、話題変えようとしてるでしょ」
「へへへ。バレた?」
「もういいわ」

 ふんっと鼻を鳴らして、雅は筆箱の中を確認した。
 ヤマトの言う通り、ほかにも白鳥雅の痕跡があるものが手元にあるかもしれない。
 今は、教科書以外の異変はないか、確認すべきよね。
 これ以上の異変はあって欲しくないが、なにかある気がする。
 すると、筆箱の中に見慣れない消しゴムがあった。
 シンプルなブルーと白のラインが入った消しゴムだ。
 もしかして……。

「これ……」

 雅は、消しゴムを取り出して、カバーを恐る恐るずらす。

「消しゴムがどうかしたの?」
「これ……私のじゃない」
「え?」

 消しゴムカバーをずらして現れたのはーーマッキーで書かれた「白鳥雅」の名前だった。

「……これも白鳥さんのものね」
「……! なにが起きてるんだ」

◇◆◇

 今日の最後の授業は、体育祭の係決め。
 織姫学園の体育祭は、6月第1週目の土曜日に開催される。

「体育祭実行委員をやってくれる人ー?」

 担任の田中が生徒たちを見渡し、挙手を促す。
 しんと静まり返った室内。
 生徒たちは目配せして、誰が手をあげるのだろうと見張る。

「はい」

 雅は、肘をピンと張って手を挙げた。
 学校に遅くまで残るチャンスかもしれない。
 18時半以降に公式で残れる理由がほしい。
 自分の元に「白鳥雅」のモノがある以上、「白鳥雅」に会える18時半以降にもう一つの学校に行かなければならない。

「神崎さん、やってくれるの! 助かるわ。毎年、実行委員はくじ引きだから……」

 すると、雅の後に続いて、男子たちが一斉に手を挙げる。

「先生! 俺やります」
「いや、俺が!」
「お前、そういうのやったことねーだろ」
「うるせえ! お前もだろ!」

 え!?
 こんなにやりたい人がいるの?
 体育祭実行委員は、クラスに男女一名ずつと決まっている。

「ちょっとちょっとー! みんな争わないで! 俺の雅ちゃんなんだからー!」

 ヤマトは、相変わらずふざけている。
 田中は収拾がつかないと思ったのか、頭を抱えていた。
 みんな、どうしたのだろう。
 そして、最後に手を挙げたのはーー。

「俺がやるわ」

 ジョウだった。
 え……?

「ジョウ?」

 雅は、驚いて左を向く。

「おい! 和田! イケメンはダメだ!」
「それに、最後に挙げたやつはダメだぞ!」
「そうだそうだ! 遅いし、イケメンだし! 和田はダメ!」

 男子たちは、ブーイングの嵐だ。
 盛り上がるクラスをメイトたち。
 祭りの前というワクワク感を感じるのか、女子たちもニコニコしながら「イケメンなのは関係なくない?」などとこそこそ話をしていた。

「うるさいわ」

 ジョウはボソッとつぶやく。

「落ち着け、落ち着け! 俺にいい考えがある」

 ヤマトは、立ち上がって大きな声を上げた。
 みんな一斉にヤマトに注目する。

「このクラスで一番頭がいいのは誰だよ?」
「そりゃ、和田だろ」
「でも神崎さん、転入試験、満点だったって」
「じゃあ、神崎さん?」

 ざわめきが収まらない中、ヤマトは続けた。

「俺らは、体育祭、優勝したい。それは、総意でいいよな?」
「「「そりゃもちろん!」」」

 男子たちは声を上げて同意し、女子たちはこくんと首を縦に振った。
 このクラスはイベントごとには全力なのね。

「体育祭は、運動能力だけじゃ勝てない。つまり、戦法が重要だ」

 みんな、ごくんと息を呑む。
 戦法……?

「運動能力をこれから伸ばすのは難しい。ただ、俺らのポテンシャルを最大限に活かせるのは、クラス一の頭脳を持つ、ジョウと雅ちゃんなんじゃねーかって俺は思う」
「「「たしかに〜!」」」

 みんなが同意すると、ヤマトは畳み掛けた。

「実行委員は、雅ちゃんとジョウでいくのがベストだ。これは、クラス一丸となった、戦術! 関ヶ原の戦いじゃ!」
「「「おーーー!!!」」」

 男子全員が立ち上がり、声を上げて盛り上がる。
 女子は手叩きしながら、合いの手を入れる。

「ジョウ!」
「チャチャチャ!」
「雅!」
「チャチャチャ!」
「ジョウ!」
「チャチャチャ!」
「雅!」
「チャチャチャ!」

 ヤマトは掛け声の中に紛れ込みながら、雅にだけわかるようにウィンクした。
 さすが、茶髪パピヨン。
 ヤマトのおかげで体育祭実行委員は、無事にジョウと雅に決定した。

 放課後。
 さっそく、体育祭実行委員は、高等部の生徒会室に呼び出された。
 体育祭の運営は、高等部と中等部の生徒会、そして体育祭実行委員が担当する。
 運営のメインは高等部の生徒会メンバーだ。
 雅とジョウは、高等部の廊下を経由して、生徒会室に向かう。

「ねえ、ジョウ」
「なんや」
「今朝のことだけど」
「ああ。委員会終わったら、話すか?」
「……うん。ありがとう」
「朝、悪かったな。ひとりにして」
「あ、ううん。大丈夫よ。ヤマトがすぐに来て、話を聞いてくれたから」
「……あっそ」

  しばらく無言で歩いていたが、耐えきれず雅はジョウに質問した。
 自分は18時半以降に残るために立候補したが、ジョウがなぜ実行委員をやると言い出したのか、気になっていたのだ。

「……どうしてジョウは、実行委員に立候補したの?」
「あ? そんなん、お前がやるからに決まってるやろ」

 ドキッと雅の胸は高鳴る。
 ジョウは、最近こういうことをさらっと言うので、雅は意識しないように努めていた。
 すると、高等部の3年A組の前でジョウが足を止めた。

「あれ? 和田くん?」

 教室からひょこっと顔を出したのは、今朝のショートカットの先輩だった。

「ああ、野村先輩」

 ジョウが立ち止まり、雅はペコっとお辞儀をした。
 雅の胸にもやっとした気持ちが再度現れる。

「もしかして、和田くん、体育祭実行委員?」
「はい」
「ははは! キャラじゃなくない?」

 野村はぴょんと小さく跳び、ジョウの前に立った。
 やっぱり。うさぎみたいだ。
 屈託ない笑顔の野村を見て、雅は自分とは正反対だなと思った。
 ジョウは、野村の質問に答える。

「たしかに。いつもならよーやらんですけど」

 少し間が空いて、雅はジョウの顔を見上げた。
 すると、ジョウは雅の肩を抱く。

「こいつがどうしても一緒にやりたいって言うんで。仕方なくです」
 
 そう言って意地悪そうな顔で笑った。
 ……え!
 ジョウは「じゃ、また後で」と野村にお辞儀をし、再び歩き始めた。
 雅も急いでお辞儀をして、ジョウと足並みを揃える。

 それから、雅はドキドキしてしまって、どうやってここまで来たかあまり覚えていない。
 あっという間に目的地ーー生徒会室に到着する。
 重厚な扉。
 ここが生徒会室ですと意思表示しているようだ。
 ジョウの手は、まだ雅の肩にある。

「……ちょっと」

 雅がその手を退けようとすると「このままでいいやろ。虫除けや」とジョウはさらに強く雅の肩を抱いた。
 虫除け?
 なに言ってるのだろう。
 このままじゃ、心臓がもたない。

「勘違いされるわ」

 雅はジョウの手を振り払って、生徒会室の扉を開けた。
 室内は、広々としたロイヤル感のある空間だ。

「素敵な生徒会室……」

 入り口横に、長机が置いてある。
 机の側面には、「受付」と紙が貼ってあった。
 高等部の制服を着たメガネをかけた黒髪の人が、別のクラスの生徒を案内しているので、順番を待つ。
 メガネの人……誰かと似ている……?

「次の人……」

 すると、その人は一瞬、ジョウの顔を見て固まった。

「あの……」

 雅が声をかけるとハッと我に返って「名前をここに記入して」とその先輩は、案内を続けた。

「生徒会、会計の八島です」

 関西弁……。
 先輩の自己紹介を聞いて、立ち姿がジョウと似ていると腹落ちした。

「中等部3年C組、神崎雅です」
「……和田譲です」
「ああ、君が雅ちゃんか」
「え? どこかでお会いしてましたか?」
「いや。はじめましてやで。かわいい子やな」
「おい」

 隣のジョウがあからさまに八島を睨んで突っかかる。

「ジョウ、どうしたの?」
「なんもないわ。はよ、案内してくれませんか? 先輩」

 ジョウは雅を無視して、八島を急かした。
 八島はふっと鼻で笑う。
 そして、「こちらへどうぞ」と雅とジョウを席に案内した。
 八島が別の人の案内に戻ると、雅はジョウに「知り合い?」と聞いてみる。
 しかし、ジョウは「いや」と否定して、それ以上話さなかった。
 雅は深掘りせず、そっとすることにした。
 八島さん……ジョウと話し方も似ていたわ。
 会ったことないのに、雅ちゃんって……。