天候に恵まれた連休の中日。
典姫神社には、多くの観光客が訪れているようだ。
それを横目に通り過ぎ、雅は18時半にひとりで学校に来ていた。
3日前。
ジョウの様子が変だったのは、きっともう一つの学校ーーあちら側でなにかが起きたからに違いない。
雅は、2人が見舞いに来てくれた次の日、自分なりに状況を整理した。
・階段は【16時半以降】に現れる
・【18時半以降】は、学園の決まりで部活に所属していない生徒は強制下校
・【18時半以降】に誰もあちら側に行ったことがない
雅は、18時半以降にあちら側に行くべきだと考えた。
でも、3人とも部活に所属していない。
18時半以降に残る口実をどうにかして作れないだろうか。
そんなとき。
雅は、担任の田中から「体調はどう?」と電話をもらい、はたと気づいた。
ゴールデンウィーク中、部活のために学校は開いている。
であれば……。
部活の生徒になりきって、18時半以降でも校舎内にいられるではないか。
普段は、担任の田中が18時半までに帰宅部の生徒たちが下校しているか確認しているので難しかった。
でも、休み中であれば、田中に見つかる可能性は極めて低い。
それに、転校生の雅は、他の教師に顔を覚えられていないのでバレなければ問題にはならない。
だから、雅は、ひとりで学校に来たのだ。
ジョウにもヤマトにも伝えずーー。
雅は、階段を上り、いつものようにグレーの扉を開けた。
ーーギイイイイイ。
「え……」
どういうことだろう。
扉の向こうは、朝6時半でも夕方6時半でもない。
3年C組は、闇に包まれ、月の灯りに照らされている。
18時半以降にあちら側に行くと、時間が変わるということ?
「もしかして、夜中……?」
雅の声が教室に響いたすぐ後。
「誰?」と女の子の声がした。
ーービクッ。
雅は、驚いて声の方を見る。
すると、黒板の前に、自分と同じ制服を着た子が立っていた。
顔は、暗くてよく見えない。
あちら側で人に会うのは初めてだ。
「やっぱり来たんだ」
女の子からは、雅の顔が見えているようだ。
「あ、あの……」
「来る気がしていたわ」
彼女は、少しずつ雅の方に歩みを進める。
雅は、なぜか恐怖を感じなかった。
なんだろう。
この感じ。
彼女がだんだんと近づいてくる。
「突然、ごめんなさい」
「あ、あなたは……」
「はじめまして、私、白鳥雅」
ーーボトン。
雅は手に持っていたスクールバッグを落とした。
雅の目の前には、「白鳥雅」を名乗る人物が立っていたのだーー。
少し間が空いて、雅は自分も自己紹介しなければと口を開く。
「……私は、神崎雅です」
落ち着きを装って、自分の名前を述べた。
雅の名前を聞いてもちっとも動揺しない白鳥雅。
「神崎雅さん。神崎さんね」
「ええ、白鳥さん……」
普段、自分は、こんなにぶっきらぼうに話すのだろうか。
であれば、少し感じが悪いかもしれない。
沈黙が続いて、雅はこれをどう切り抜けようかと考えた。
すると、白鳥雅は、
「私のことが知りたいんじゃない?」
と雅に質問した。
雅は、ギョッとした。
自分は心の中で「どうしよう」と悩んでいるのに、この人はスンっとしている。
それでも雅は、勇気を振り絞って言った。
「ええ。白鳥さん、あなたのことを教えて」
なんだか口に出したら、勇気が湧いてきたわ。
いまは、自分が聞くべきことに集中しよう。
月明かりしか入らない教室。
まだ彼女の顔は見えない。
「わかったわ。そうね……質問に答えていくだけじゃ、なんだか味気ないわ。お互いに質問し合うのはどうかしら」
「構わないわ」
「じゃあ、まずは神崎雅さん、あなたからどうぞ」
雅は、聞きたいことが山ほどあった。
だが、なにを初めに聞くべきか迷った。
連休中、学校が開いているとはいえ、19時半ごろには部活の生徒たちも帰宅する。
つまり、1時間弱しかない。
「いきなりだったかしら。じゃあ、私から。神崎さんの好きな食べ物は?」
白鳥雅の最初の質問に、雅は拍子抜けしてしまった。
好きな食べ物なんて聞いて、どうするのかしら?
でも、互いに質問し合うことにしたのだから、ひとまず答えなくてはならない。
「グレープフルーツよ」
「神崎さん、私と同じね」
「え?」
「私もグレープフルーツが好きなの。じゃあ、次は神崎さんの番」
雅は驚いた。
好きな食べ物でグレープフルーツが同じという人は初めてだったから。
でも、動揺は見せてはいけないとすぐに質問を返す。
「じゃあ、白鳥さんの好きな本は?」
「好きな本かー。『走れメロス』」
「白鳥さんも?」
「神崎さんも太宰が好きなの?」
「ええ、太宰は『斜陽』も『人間失格』も読んだわ」
「私もよ。太宰、いいわよね。……じゃあ私の番ね。神崎さんの好きな教科は?」
「好きな教科……歴史かしら……。じゃあ、次は私ね。……白鳥さんの好きな色は?」
雅は、白鳥雅に合わせて簡単な質問から投げかけることにした。
どうしても聞きたい質問は、最後に残そう。
「黄色よ」
「ライオンとトラの色……」
「じゃあ、次は私ね。神崎さんの生年月日は?」
白鳥雅がいきなり攻めた質問をしてくるので、雅は言葉に詰まった。
生年月日も同じなら、白鳥雅はもうひとりの自分ということだろうーー。
「……2010年8月8日生まれ」
「そうよね……。寅年のしし座でしょ」
「どうして?」
「だって、神崎さん……」
一定の距離を保っていた白鳥雅が、再度距離を詰めてくる。
そして、ずいぶん溜めてから口を開いた。
「神崎さんは、もうひとりの私でしょ?」
目の前には、自分とそっくりな顔。
苗字以外、顔まで一緒なのだ。
雅は、一瞬思考停止した。
「驚いた。私と同じ顔だわ」
そうやって、驚いた顔をしない白鳥雅がとても奇妙に思えた。
雅は、心を落ち着かせて、頭の中で整理した。
・白鳥雅ルートと神崎雅ルートが存在していること
・それぞれがもう一つの学校で交差してしまったこと
こう仮定するのがいいだろう。
でも、なぜ白鳥と神崎なのか。
これが私がどうしても聞きたかった、最後の質問ーー。
「白鳥さん、両親の名前って……?」
「両親の名前? 父は、白鳥昴。母は、千里よ」
やっぱり、お父さんとお母さんの名前だ。
「どうして白鳥のままなの?」
「どうしてって?」
「だって、お父さんとお母さん離婚したでしょ?」
白鳥雅は、愕然とした。
いままで、冷静だった白鳥雅が見せた、初めてのゆらぎだった。
「え? 離婚した……の?」
白鳥雅ルートの両親は、離婚していないということか。
「白鳥さんの世界では、お父さんとお母さん、離婚していないってこと?」
「ええ。栃木には引っ越してきたけど、離婚はしてないわ」
「そう……。じゃあ、昨日の"やっぱり来たのね"ってどういう意味?」
「私もそうだったからよ」
「……白鳥さんも別の世界からここに来たってことね?」
「そう。私もある日、ここーーもう一つの学校に来たの」
◇◆◇
雅は、学校から自転車を押しながらトボトボと帰宅する。
時刻は19時半。
日の入りは18時半過ぎなので、あたりはすでに暗くなっている。
だが、大道路に出ると街灯とビュンビュンすれ違う車のライトで道はそれなりに明るかった。
学校近くの神社の前まできたとき。
「雅ちゃん?」
声がして顔を上げると、そこにはヤマトが立っていた。
ヤマト……。
「体調はもう大丈夫なの? なにしてるの? こんな時間にひとりでどうしたの?」
ヤマトの質問攻めを久々に聞いて、雅はそれまで強張っていた体の力が抜けた。
「え!?」
その場に崩れ落ちるようにしゃがみこんだ雅を、ヤマトは自転車ごと受け止めた。
「大丈夫!? 雅ちゃん!」
「ごめん。力が抜けちゃって……」
「ちょっと! どうしたの? とりあえず座ろう」
ヤマトは、鳥居横の邪魔にならないところに雅を座らせる。
そして、バッグに入っていたパックのココアを雅に手渡した。
「はい、これ雅ちゃんが好きなやつ」
「ありがとう、ヤマト」
雅の隣に一人分のスペースを空けてヤマトがしゃがむ。
ヤマトは、ジョウがいるときは雅と距離を詰めるが、2人きりのときは打って変わって、ある程度の距離を保つのだ。
「なにかあった?」
「え?」
「ぼうっと歩いてたからさ!」
「その……」
「話したくないことなら無理に話さなくていいよ」
ヤマトは、やさしい顔で雅を見た。
「雅ちゃんが話したいと思ったときに話してよ。ね?」
「話したくないわけじゃないの。その……」
「……なにかあったんだね」
「整理できたら、2人にも話すわ」
「あちら側のことかな?」
「えっと……うん」
「そっかそっか。大丈夫、大丈夫! 雅ちゃんは、雅ちゃんらしくだよ!」
「ありがとう、ヤマト」
「ほら! ココア飲んで! 元気出して」
雅はココアのパックにストローを刺すと、ごくんと一口飲んだ。
「甘くて美味しい……」
「よかった!」
ヤマトは、いつもの調子で笑った。
その笑顔を見て、雅はふと思う。
ヤマトはどうして「典姫神社」にいるのだろうか。
「ヤマトは、なんでここにいるの?」
「え!? あー、その、えっと、トレーニング? ははは」
「トレーニング……?」
「そうそう。最近、太ってきちゃってさー。ほら、典姫神社の階段ってめっちゃ長いじゃん!」
「たしかにそうね。この階段の上り下りをしたらダイエットになりそうだわ」
雅がそれ以上は詮索してこなかったので、ヤマトは少しホッとする。
2人で少しの間、談笑していると、
「おい!」
と、大きな声が階段の上から聞こえた。
ジョウだ。
息をあげて、はあはあと背中で息をしている。
「ジョウ?」
「あ、やべ!」
ヤマトは、突如立ち上がり、
「ごめん、俺、用事があったの思い出した!」
と走って行ってしまった。
「え! ヤマトってば!」
その場に残された雅とジョウ。
逃げ足が速いんだから……。
すると、ジョウは、無言で雅の隣にしゃがみ込んだ。
ワイシャツのボタンを二つ開けると、シャツを摘んでバタバタと風を送る。
額からは、汗が流れた。
「はあ、はあ……。お前、大丈夫なんか?」
息を切らしながら、ジョウが雅にたずねた。
なんのことだろう?
「なにが?」
「ヤマトがお前が倒れたって連絡してきて」
「え? 倒れてないわよ」
ジョウは息を整えると、雅の顔をのぞいた。
「じゃあなんや」
「……実は、腰が抜けてしまって」
「腰?」
「そうなの。ちょっと色々あって、その、力が抜けて……」
「はあ……なんだよ、あいつ! びびったわ」
ジョウは、ほっとした様子で天を仰いだ。
「もしかして、倒れたと思って、走ってきてくれたの?」
「……」
「心配かけてごめんなさい」
「たまたま神社にいたからな。元気でよかったわ」
「今朝も、元気だって連絡したじゃない」
「やけど、ぶり返す可能性もあるやろ」
「……ありがとう」
「なんともなくて安心したわ」
5月上旬は、昼間の気温は高いが、夕方を過ぎれば少し肌寒くなる。
「くしゅん」
雅がくしゃみをすると、ジョウは手に持っていた制服のジャケットを雅の肩にかけた。
「……ありがとう。ジョウは寒くない?」
「あ? お前のせいで暑くてしゃーないわ」
「ごめんなさい」
数分、少し冷たい風を浴びていた2人だったが、雅が「あれ?」と突然声をあげる。
「ジョウもたまたま神社にいたって、どうして?」
雅は、ジョウの顔を見る。
「ヤマトは、トレーニングって言ってたけど、ジョウも?」
「ヤマトが? トレーニング?」
「ヤマト、典姫神社の階段でトレーニングしてたって言ってたわ」
「あーそういうことか。俺は、ちょっと用があってやな……」
「そう」
「そういうお前も! なんでここにおんねん」
「それは、その……」
「もしかして、学校に? お前! ひとりであっち側に行ったんか?」
「……」
雅は、俯いてぎゅっと手を握った。
ヤマトは聞かないでいてくれたが、ジョウのことはきっと誤魔化せない。
「あっち側には、常に2人以上で行くって約束したやろ」
「……ごめんなさい」
「もういい。で、なにがあったんや」
ジョウは、心配そうな顔で雅の肩に手を置いた。
「……会ったの」
「あ? 誰に? あっち側に人はおらんやろ」
「いいえ、いたのよ……」
「誰が?」
雅は、ジョウの顔を見た。
ジョウも雅の目をまっすぐ見つめる。
「……白鳥雅さんよ」



