もう一つの学校

ーーピーンポーン。

「はーい」

 明るい声が屋内から聞こえた。
 ジョウもヤマトもこほんと咳払いをして、いつもよりピシッと立つ。

ーーガラガラガラガラ。

「あれ? その制服……雅の学校の……?」

 顔を出したのは、ゆるくウェーブがかかったロングヘアの女性。
 キリッとした目の形と、すうっと通った鼻が雅とそっくりだ。
 だから、2人はすぐにその人物が、雅の母親だとわかった。

「雅さんと同じクラスの渡部大和といいます」

 ヤマトが丁寧に挨拶して、ジョウも「和田譲です」と続けた。

「わー! クラスメイトね! ここじゃなんだし、上がって上がって! お茶出すから」

 客間に通された2人は、畳の上に敷かれた座布団に正座する。
 立派な和風の家やな。
 一枚板でできた深い茶色の机に、雅の母親が湯呑みを二つ置いた。
 ジョウとヤマトのもとにやってきたお茶からは、湯気が立っている。

「お茶、熱いから気をつけて飲んでね!」
「はい、いただきます」
「ありがとうございます」

 2人は揃ってお辞儀する。

「あ、自己紹介がまだだった! どうも、雅の母親、千里です! 2人は、3年C組ね! それで……雅の彼氏は、どっち?」
「「ぶは!」」

 ジョウもヤマトも思わずお茶を吹き出した。
 か、彼氏……!?

「ははは!」

 千里は、ゲラゲラとおなかを抱えて笑っている。
 雅と母親の真逆のキャラクターに、2人とも困惑した。
 顔は似てるけど中身はまったく似てないんやな……。

「ごめんごめん、冗談。渡部くんと和田くんだっけ? 今日はどうしてうちに?」
「その……雅さんが心配で……お見舞いに来ました。明日からゴールデンウィークなので、会えないなと思いまして。雅さんの体調はいかがですか」

 ヤマトはこうやって堂々と大人とも会話できる。
 ジョウはその姿を目の当たりにして、少し羨ましく思った。

「雅なら大丈夫。昨日の夜は、辛そうだったけどね! 今日の昼間には微熱になったし」
「そうですか。安心しました」

 ジョウは、ヤマトの相槌と同じタイミングで安心する。
 よかった……。

「和田くんだよね。昨日、駅まで雅を送ってくれたの」

 いきなり話を振られて、ジョウはビクッとした。
 そして、正しく座り直して頭を下げる。

「いや、自分は、その、傘に入れてもらった側で……すんません」
「いやいや! 謝らないで! 雅が駅まで一緒に帰ってくれたって、喜んでたから。転校して、初めてできた友達のひとりだって。ありがとね」
「……いえ、そんな……」
「もうひとり、明るくて一緒にいると楽しい気持ちになる子と友達になったって。そう話してくれたのが、渡部くんのことね。雅、楽しそうに学校のことを話すようになったの。本当にありがとう」
「いえ、僕はなにも。雅さんは、しっかり者で、すっかりクラスの人気者です。それに、美人ですし!」
「ははは! そうでしょ? 私に似て美人なの。クラスに馴染めてるなら、安心したー! もしかして渡部くん? 雅のことをDIC-582って呼んでるの」
「あ、それは僕じゃなくて、彼ですね」

 ヤマトがジョウに案内する手を向ける。

「和田くんか!」
「……す、すんません」
「もう! 謝らないでよ。和田くん、センスいいわ。私には、どういう意味かすぐにわかったけど、雅はまだわからないみたいね〜」
「僕もわかりません! どういう意味なんですか。そのディック……?」
「それは、ナイショよ〜。ね? 和田くん」
「……はい」
「あー、安心した! あの子、ちょっと変わってるじゃない? 親の私が言うのもなんだけど、大人びてるっていうか。それに怖い顔して笑わないでしょ。話を聞いて、ほっとしたわ。あ! そうだ! 雅の部屋、案内するから! 顔くらい見てってよ! お茶はいいから! そのままで!」

 千里のマシンガントークに面食らった2人は、雅の部屋に連行される。
 年頃の女子の部屋に入っていいものか、年頃の男子2人は悩んだ。
 だが、千里が「ほら早く!」と急かすので、断る隙もない。
 雅の部屋は、階段を上がった左側にあった。

「雅ー! お友達が来てくれたわよ!」

 千里は、雅の返事を聞く前に部屋のドアを開けた。

「え?」

 部屋の中から雅の声がする。
 ジョウは、ごくんと息を呑んだ。
 なんせ、女子の部屋に入るのは初めてだ。

「和田くんと渡部くんがお見舞いに来てくれたのよ! ほら、入って入って」

 雅は、ベッド近くの白く丸い机の前に体育座りで座っていた。
 寝てなくて大丈夫なんか……?
 ベッドと本棚と白い丸い机だけの白い壁に包まれた雅の部屋。
 カーテンとカーペットの色はクリーム色で、ベッドの上にはライオンのぬいぐるみがひとつ置いてある。
 普段は制服姿の雅が、今日はかわいいもふもふのパジャマを着ている。
 ジョウは、ピシッとした雅の見たことのない一面にドキッとした。
 雅は、手に持っていた本を置いて「ジョウくん、ヤマト、いらっしゃい」と前髪を整える動作をした。
 いつもの洗練された動き。
 チッ、こいつ、こんなときも動揺せんのか。
 ヤマトもおんのに。
 ジョウはムッとした。

「麦茶持ってくるから! 雅も今は調子がいいみたいだし、話でもしてあげて! じいさん、ばあさん、カラオケの会から早く帰ってこないかな。お友達がきたなんて言ったら2人とも喜ぶのに!」

 千里が嵐のように部屋を去る。
 ジョウとヤマトは、机を囲むように正座した。
 2人が居心地悪そうなのに気付いたのか、雅は、
「あ、足、崩してね」
 と声をかけた。
 2人は、雅のひと言であぐらに変えたが、ジョウは浮かない顔をした。
 「白鳥雅」のプロフィールのことを思い出したからだ。
 ヤマトは、雅の顔をのぞき込んで、
「雅ちゃん、体調大丈夫?」
 と、雅の体調を改めて気遣った。

「ええ、微熱だから。明日には、治ると思うわ」
「そっか〜。安心した! な! ジョウ!」
「ああ」
「わざわざお見舞いなんて、なんだか申し訳ないわ」
「ううん。ジョウと話して、雅ちゃん大丈夫かなって。明日からゴールデンウィークだし。会えないから。な! ジョウ」
「ああ」
「嬉しいわ」

 ヤマトは、ジョウのひじにこつんとグーにした手を当てた。
 だが、ジョウは自らなにも話そうとしない。

「あ。迷惑じゃなければ、今日の分のノート、写させてくれない?」

 雅が2人の顔を見たので、ヤマトはすぐさま反応する。

「もちろんだよ! 今日ノート預けて帰る! ゴールデンウィーク明けに返してくれればいいよ」
「ありがとう、助かるわ」

 5秒ほど沈黙した後、急にヤマトが立ち上がる。

「えっと、あのさ、雅ちゃん。このタイミングでまじごめん! トイレ借りてもいい?」
「もちろんよ。階段を降りた目の前がお手洗いなの。わかるかしら?」
「ありがとう、大丈夫! わからなかったら、お母さんに聞くよ」

 ヤマトは、小声で「2人でちゃんと話せよ」とジョウに耳打ちして、部屋を出て行った。
 
 ジョウは、ヤマトが出ていった後もしばらく黙っていた。
 雅は「ジョウくん」と小さい声で言って、間をあけてから続けた。

「ジョウくんのせいじゃないわ。私が勝手に……雨に濡れて……風邪をひいたのだから。気にしないでね」

 こんなときも俺の心配してんのかこいつは。

「いや、俺がすぐにお前のこと傘に入れればよかったやろ」
「ううん、ジョウくんのせいじゃない。私がドキドキしてしまったのもあって」
「ドキドキ?」

 雅は顔を赤らめた。
 どういう意味や?

「えっと、あの、違くて。わ!」

 雅は急に立ちあがろうとして、白いテーブルに足をぶつけた。

「いててて」
「おい、大丈夫かよ」

 雅のうずくまる姿を見て、ジョウは雅の頭に手を置いた。
 雅は、ゆっくりとほてった顔を上げる。

「わかったわかった。まあ、元気そうで、安心したわ」
「うん、本当に大丈夫。私、寝れば治るタイプなの」
「次は、俺がおっきい傘持っていくから、それに入ればいいわ」
「傘を持ってきてくれれば、私は自分の傘があるから大丈夫よ」
「それもそうか」

 また、沈黙が2人を支配する。
 だが、2人とも今度は心地がよかった。
 2人きりの空間。
 その余韻を噛み締めていると、雅がジョウの腕をツンツンとつつく。

「ジョウくん、もしかして、今日もう一つ学校でなにかあった?」

 雅は、鋭いところがある。
 ジョウは、ドキッとして、話題を変えようと試みた。

「グレープフルーツと、シャインマスカットと、グレープフルーツとシャインマスカットがランダムに入った箱が3つあるとするやろ」
「なんの話?」
「すべての箱には、誤ったラベルが貼られている」
「……それで?」
「箱の中身をすべて正しく特定するために、中身を1個だけ取り出して確認できる」
「中身を一個だけ……」
「箱を最小でいくつ開けたらいいか、わかるか?」
「うーん。というか、どうしてグレープフルーツとシャインマスカットなの? りんごとみかんじゃだめなの?」
「んなことはどうでもええ。答えは?」
「……ひとつね」
「さすがやな」
「こんなことで話題を変えたつもり? なにかあったんでしょ?」
「……なんもないわ」

 もう一つの学校の生徒名簿に「白鳥雅」の名前を見つけたことは、ジョウとヤマト、2人の秘密にすることにした。
 これからのことは、ジョウとヤマト2人で考えて、後日相談することにしたのだ。
 今日はひとまず雅の見舞いに行く。
 そして、もし雅と話せた場合も、勘付かれないように、いつも通り振る舞うと約束して。

「そう。なかなか糸口が見つけられないわね」

 雅は、しつこくは聞いてこなかった。
 さっぱりした男前な性格は、こいつのいいとこやな。
 助かるわ。

「お前は、ゴールデンウィーク中、ゆっくり休み」
「え?」
「無理したらあかん」
「でも。あの、迷惑じゃなければ……その、ゴールデンウィーク中も会えないかしら」
「え?」

 どういうことや。
 休み中に会うって……。

「だから、休みの期間も会いたいの」
「……いきなりやな」

 ジョウは戸惑った。
 そんなジョウを見て、雅はかぶせて言った。

「いきなりよね。でも、もちろん、ヤマトも。3人で……」
「……俺は、2人でもええけどな」
「……え?」
「とにかく、明日はゆっくりし。LINEするわ。会う日はLINEして決めればええから」
「……うん、ありがと。ジョウくん」
「おい、いい加減。ジョウくん、ジョウくんってやめろや」
「え? あ、ごめんなさい。その慣れなくって」
「……はあ」
「もしかして、不機嫌だったのって……」
「うるさいわ」

 赤面したジョウは顔を隠すように俯いた。
 こいつ、なんもわかっとらんわ。
 俺のこと揺さぶっといて。

「ジョウ、ごめんね。許して」

 雅が"ジョウ"と呼ぶ音の響きを、ジョウはしばらく噛み締めていた。