神の手を持つ私は、今日も旦那様を寝落ちさせたい ~極上ヘッドスパで癒していたら、旦那様が極上スパダリに進化しました~

 テオドアが告げた直後、床へ落ちた鏡から黒い魔力が一斉に噴き上がった。

 「きゃあああっ!」

 大広間に悲鳴が響き、人々が我先にと逃げ出す。
 黒い光は何本もの鞭のようにうねりながら、床や柱を打ちつけ、逃げ惑う貴族たちへ襲いかかっていった。

 宮廷魔術師たちが一斉に杖を構え、詠唱を始める。
 その中にはルシアンの姿もあった。いつもの軽い笑みは消え、鋭い眼差しで鏡を見据えている。
 いくつもの詠唱が重なり、防御魔術が形を成そうとした、その時だった。
 
 黒い光の一本が、人垣の隙間を縫うように走る。
 その先にいたのは――アルベルトだった。

 「な……!」

 突然、自分へ向かってくる禍々しい光に、アルベルトが目を見開く。
 咄嗟に片手を上げたものの、術を使えるほどの力はなく、身体は完全に強張っていた。

 「お父様!」
 「伏せろ!」

 シエラの声と、テオドアの鋭い声が重なる。
 次の瞬間、紫色の光が一閃した。
 テオドアが片手を上げると、アルベルトの目前へ巨大な障壁が展開される。
 直後、黒い魔力が激しい音を立てて叩きつけられた。

 「……っ!」

 轟音と衝撃にアルベルトが身を竦ませる。
 けれど紫色の障壁は揺らぐことなく、黒い光を弾き返した。
 張り詰めていた力が抜けたのか、アルベルトはその場へへたり込む。

 「――《護壁》!」
 「――《結界》!」

 遅れて、宮廷魔術師たちの防御魔術が次々と展開された。
 シエラは、すぐ隣にいるテオドアを見上げる。

 「旦那様……」

 顔色は、先ほどより明らかに悪くなっていた。
 シエラの魂を繋ぎ止めるために膨大な魔力を使ったばかりだというのに、そのうえ大規模な障壁まで展開している。

 「もう、これ以上は……」
 「大丈夫だ」

 いつものように返される。
 けれど今度ばかりは、とてもそうは見えなかった。
 再び鏡から黒い魔力が噴き出す。

 「来るぞ!」

 グランツが杖を構え、鋭く声を張った。

 「魔術師総員、前へ! 三人一組で封鎖陣を組め!」
 「はい!」

 宮廷魔術師たちが一斉に動き出す。
 ルシアンも鏡の右手へ回り込み、杖を構えた。

 「――《風刃》!」

 放たれた風の刃が、迫っていた黒い光と激突する。
 弾けた魔力が黒い靄となって散り、その隙に別の魔術師たちが鏡を取り囲んだ。

 「直接触れるな! 魔力を流し込むのもやめろ。喰われるぞ!」

 グランツの指示が飛ぶ。
 シエラも改めて、床へ落ちた鏡を見つめた。
 中央に埋め込まれた赤紫色の宝石から、肌が粟立つほど禍々しい魔力が溢れている。
 鏡を凝視していたグランツが、ふいに息を呑んだ。

 「……まさか」
 「どうした?」

 アーヴィンの声に、グランツは険しい表情のまま答える。

 「《モルティスの鏡》……」
 「まさか、指定禁呪具の?」
 「ああ。人の生命力を奪う禁呪具だ。本体はすでに破壊され、残った欠片もすべて王家が封印したはずだが……これは、その欠片から作られている」

 その言葉を遮るように、びきり、と鏡面の亀裂がさらに広がった。