神の手を持つ私は、今日も旦那様を寝落ちさせたい ~極上ヘッドスパで癒していたら、旦那様が極上スパダリに進化しました~

 ぱきん、と何かが砕けた。
 黒い糸が一気にほどけ、せき止められていた魔力が身体の隅々へ流れ込んでいく。

 「……戻っている!」

 グランツの驚いた声が響く。
 老いさらばえていたシエラの頬へ、少しずつ血色が戻り始めた。
 深く刻まれた皺が薄れ、白く色を失っていた髪にも、元の亜麻色の艶が蘇っていく。

 「あと……少し……!」

 残っているのは、最後の大きな黒い塊だけだった。
 シエラはそこへ両手を添える。

 「これで――最後!」

 一気に絡まりを解いた。
 黒い塊が弾けた、その瞬間。

 「……あ」

 実体化していたシエラの両手が、再び透け始めた。
 同時に、魂そのものが強い力で肉体へ引かれていく。

 「旦那様……!」
 「大丈夫だ」

 荒い呼吸のまま、テオドアがシエラを見上げた。

 「戻ってこい」

 その声に導かれるように、シエラの身体が光へ包まれていく。
 視界が白く染まり――。

 *

 「……っ」

 ぱちりと目を開く。
 最初に見えたのは、真っ青な顔で自分を見つめているテオドアだった。

 「……旦那様」
 「シエラ!」

 次の瞬間、強く抱きしめられる。

 「く、苦しいです……」
 「……すまない」

 そう言いながらも、その腕はほとんど緩まなかった。
 まるで本当にここへ戻ってきたのか、自分の腕の中へいるのかを確かめているようだった。
 シエラは少しだけ笑い、自分からもテオドアの服をそっと握る。

 「……ただいま、戻りました」
 「……ああ」

 返ってきた声は掠れ、ほんのわずかに震えていた。
 その時だった。

 「……え?」

 人垣の向こうから、呆然とした声が落ちる。
 エリザの手の中にある鏡には、いつの間にか黒い亀裂が走っていた。

 「何……?」

 鏡面に映っているのは、元の姿を取り戻したシエラだった。

 「どうして……そんなのおかしい……!」

 エリザは慌てて鏡へ魔力を注ぎ込む。
 さらに強く、強く。

 「醜いままでいなさいよ……!」

 ぴしり、と黒い亀裂が鏡面を駆け抜けた。

 「……え?」

 次の瞬間、鏡から溢れ出した黒い光がエリザの腕へ絡みついた。

 「きゃあっ!」

 振り払おうとしても離れない。
 黒い光は腕から肩、胸元、首へと一気に這い上がっていく。
 震える目で鏡を覗き込んだエリザの表情が凍りついた。
 
 そこに映っていたのは、もうシエラではない。
 ――自分だった。