「……っ」
「シエラ!」
テオドアの声は聞こえている。
けれど、その声さえ少しずつ遠ざかっていった。
(旦那様……)
目を開けて、大丈夫だと伝えたい。そんな顔をしないでほしいのに、もう指一本動かすことさえできない。
視界が暗くなっていく中、最後に見えたのは、いつもの冷静さを完全に失い、必死に自分の名前を呼ぶテオドアの顔だった。
(そんな顔……しないで)
そう伝えたかった。
けれど、声にはならない。
「――シエラ!」
その声を最後に、意識が途切れた。
直後、シエラの身体から淡い光がゆっくりと浮かび上がり始めた。
最初は薄い霧のようだったそれが、次第に人の輪郭を形作っていく。
「……何だ、これは」
その姿は透き通るように薄く、輪郭の向こうに大広間の景色がぼんやりと滲んで見えた。
輪郭は光に溶け、顔立ちさえ霞んでいる。けれど、テオドアがその姿を見間違えるはずがなかった。
——シエラだ。
それを目にしたグランツの表情が凍りついた。
「……まずい! 魂だ!」
テオドアが息を呑む。
「夫人の魂が、肉体から引き剥がされている!」
淡い光で形作られたシエラの姿は、なおも少しずつ肉体から遠ざかっていく。
「完全に離れる前に、肉体へ繋ぎ止めるしかない! だが、魂そのものへ干渉する術など――」
「……繋ぎ止めれば、いいんですね?」
「何?」
テオドアの視線が、腕の中のシエラと宙へ浮かぶ魂の間を走る。
グランツの顔色が変わった。
「待て、テオドア。まさか今ここで術を組むつもりか?」
テオドアは答えず、シエラを抱く腕へさらに力を込めた。
次の瞬間、凄まじい魔力が大広間を揺らした。
紫色の光が床を駆け、テオドアを中心に巨大な術式を描き出していく。空気そのものが軋むような圧力に、その場にいた魔術師たちが一斉に息を呑んだ。
「な……何だ、この魔力量は……」
「これが、ミューゼル公爵の……?」
「テオドア、やめろ!」
グランツの怒声が響く。
「そんな膨大な魔力を一度に使えば、お前の身体が持たんぞ!」
「……構いません」
「何だと!?」
テオドアは腕の中のシエラへ視線を落とした。
「それでシエラを繋ぎ止められるなら、この身体がどうなろうと構いません」
グランツが言葉を失う。
それでもシエラの魂は、少しずつ肉体から遠ざかっていた。


