屋敷へ戻ったあと、シエラは自室でマリーに髪を整えてもらっていた。
鏡台の前へ座ると、マリーの視線がすぐに髪飾りへ向く。
「まあ。奥様、その髪飾りは?」
「これ?」
シエラは耳元へそっと触れた。
「今日、旦那様が買ってくださったの」
「旦那様が?」
マリーの声が、分かりやすく弾んだ。
「うん。私が見ていたのを旦那様が気づいて……」
そう口にしただけで、昼間の光景が蘇る。
露店に並んだ髪飾りを眺めていただけなのに、テオドアはすぐに気づいてくれた。
そして――。
『……似合っている』
頬へ触れた長い指まで思い出してしまい、シエラは無意識にそこへ手を添えた。
「奥様?」
「えっ?」
「お顔が赤いようですが」
「そ、そう?」
慌てて両頬を押さえる。
「今日はたくさん歩いたから、暑かったのかも」
「そういうことにしておきますね」
「マリー?」
含みのある言い方に振り返ろうとすると、「動かないでくださいませ」とやんわり制された。
仕方なく正面へ向き直ると、鏡の中でマリーが微笑ましそうに目を細めている。
「でも、本当によくお似合いです」
「旦那様も、そう言ってくださったわ」
また口にしてから、シエラは照れくさくなって視線を伏せた。
少し前までなら、テオドアに何かを褒められたところで、こんなふうにいつまでも気にすることなどなかったはずなのに。
「ねえ、マリー」
「はい?」
「旦那様って……前からあんな感じだった?」
「あんな感じ、と申しますと?」
「なんていうか……最近、すごく優しいというか」
以前よりも気にかけてもらえることが増えた。
今日だって、本来ならマリーと出かけるはずだったのに、自分から一緒に来てくれた。
買い物にも付き合ってくれて、昼食も一緒にとって、こうして髪飾りまで贈ってくれた。
「体調がよくなられてから、旦那様も随分と変わられましたから」
「やっぱり、元気になったからかな」
「それだけではない気もしますけれど」
「え?」
シエラが首を傾げる。
けれどマリーは答えを教えるつもりはないらしく、髪へ櫛を通しながら柔らかく微笑んだ。
「ただ、奥様のことをとても大切に思っていらっしゃるのは、私にも分かります」
「……そっか」
そう言われると、素直に嬉しい。
「今日ね、すごく楽しかったの」
「それは何よりでございます」
「旦那様と一緒に買い物をするのも、外で食事をするのも初めてで。何もかも新鮮だったし……また一緒に出かけられたらいいな」
何気なく口にすると、マリーの手がほんの一瞬だけ止まった。
「奥様」
「なに?」
「旦那様のお話をなさっている時、とても楽しそうでいらっしゃいますね」
「え?」
シエラは鏡の中の自分を見つめた。
そこには、いつになく穏やかな顔をした自分がいる。
「……そうかな」
「はい」
迷いのない返事に、シエラは何も言えなくなった。
やがて髪を整え終えると、シエラは髪飾りを外して、そっと手のひらへ乗せた。
淡い翡翠色のリボンに、真珠色の小花。
昼間に見た時と変わらないはずなのに、今はあの露店に並んでいた時より、ずっと特別なものに見える。
「……大切にしまっておこう」
鏡台の引き出しから小箱を取り出し、髪飾りを丁寧に収める。
蓋を閉じる直前、頬へ触れたテオドアの指先を思い出す。
もう何時間も経っているのに、その感触だけは妙に鮮明だった。
鏡台の前へ座ると、マリーの視線がすぐに髪飾りへ向く。
「まあ。奥様、その髪飾りは?」
「これ?」
シエラは耳元へそっと触れた。
「今日、旦那様が買ってくださったの」
「旦那様が?」
マリーの声が、分かりやすく弾んだ。
「うん。私が見ていたのを旦那様が気づいて……」
そう口にしただけで、昼間の光景が蘇る。
露店に並んだ髪飾りを眺めていただけなのに、テオドアはすぐに気づいてくれた。
そして――。
『……似合っている』
頬へ触れた長い指まで思い出してしまい、シエラは無意識にそこへ手を添えた。
「奥様?」
「えっ?」
「お顔が赤いようですが」
「そ、そう?」
慌てて両頬を押さえる。
「今日はたくさん歩いたから、暑かったのかも」
「そういうことにしておきますね」
「マリー?」
含みのある言い方に振り返ろうとすると、「動かないでくださいませ」とやんわり制された。
仕方なく正面へ向き直ると、鏡の中でマリーが微笑ましそうに目を細めている。
「でも、本当によくお似合いです」
「旦那様も、そう言ってくださったわ」
また口にしてから、シエラは照れくさくなって視線を伏せた。
少し前までなら、テオドアに何かを褒められたところで、こんなふうにいつまでも気にすることなどなかったはずなのに。
「ねえ、マリー」
「はい?」
「旦那様って……前からあんな感じだった?」
「あんな感じ、と申しますと?」
「なんていうか……最近、すごく優しいというか」
以前よりも気にかけてもらえることが増えた。
今日だって、本来ならマリーと出かけるはずだったのに、自分から一緒に来てくれた。
買い物にも付き合ってくれて、昼食も一緒にとって、こうして髪飾りまで贈ってくれた。
「体調がよくなられてから、旦那様も随分と変わられましたから」
「やっぱり、元気になったからかな」
「それだけではない気もしますけれど」
「え?」
シエラが首を傾げる。
けれどマリーは答えを教えるつもりはないらしく、髪へ櫛を通しながら柔らかく微笑んだ。
「ただ、奥様のことをとても大切に思っていらっしゃるのは、私にも分かります」
「……そっか」
そう言われると、素直に嬉しい。
「今日ね、すごく楽しかったの」
「それは何よりでございます」
「旦那様と一緒に買い物をするのも、外で食事をするのも初めてで。何もかも新鮮だったし……また一緒に出かけられたらいいな」
何気なく口にすると、マリーの手がほんの一瞬だけ止まった。
「奥様」
「なに?」
「旦那様のお話をなさっている時、とても楽しそうでいらっしゃいますね」
「え?」
シエラは鏡の中の自分を見つめた。
そこには、いつになく穏やかな顔をした自分がいる。
「……そうかな」
「はい」
迷いのない返事に、シエラは何も言えなくなった。
やがて髪を整え終えると、シエラは髪飾りを外して、そっと手のひらへ乗せた。
淡い翡翠色のリボンに、真珠色の小花。
昼間に見た時と変わらないはずなのに、今はあの露店に並んでいた時より、ずっと特別なものに見える。
「……大切にしまっておこう」
鏡台の引き出しから小箱を取り出し、髪飾りを丁寧に収める。
蓋を閉じる直前、頬へ触れたテオドアの指先を思い出す。
もう何時間も経っているのに、その感触だけは妙に鮮明だった。


