神の手と呼ばれた私は、今日も旦那様を寝落ちさせたい ~極上ヘッドスパで癒していたら、旦那様が極上スパダリに進化しました~

 婚礼の日。大聖堂には、多くの貴族たちが集まっていた。
 シエラは祭壇の前で、初めて夫となる男――テオドア・ミューゼルをまともに目にした。

 (……噂通りの姿……)

 黒い礼装の上からでも分かるほど、身体は痩せ細っている。肌は青白く、長い黒髪の隙間から覗く頬はげっそりとこけていた。
 それ以上見つめることができず、シエラはすぐに目を伏せた。

 けれど、俯いたところで、周囲から注がれる視線が消えるわけではない。
 これほど大勢の前に立つことなど、シエラにはほとんどなかった。

 誰かと目が合えば、醜いと笑われる。そんな気がして、顔を上げることができない。
 実際に誰が自分を見ているのかさえ分からないのに、あちらこちらから向けられる視線のすべてが、自分を値踏みしているように思えてしまう。

 そんなシエラの耳に、参列者たちの囁きが届いた。

 
 「……あれが“屍人公爵”か」
 「噂以上ね……」
 「ミューゼル家って、歴代当主が若くして亡くなる“呪われた家系”でしょう?」
 
 やがて、少し離れた場所から別の囁きが届いた。

 「……カーティス家が妹君ではなく、魔力調律のない姉君を出したということは」
 「そちらなら惜しくない、とでも考えたのかしら」

 くすり、と小さな笑い声が混じる。
 それが自分へ向けられたものだと決まったわけでもないのに、シエラの肩は小さく縮こまった。

 (王家が期待していたのは、きっとエリザだった)
 
 けれど、エリザが嫌がったから代わりにシエラが差し出された。

 (旦那様だって……きっと、エリザの方がよかったはず)

 魔力調律を持たない自分では、彼の役に立つことなどできない。
 そのうえ隣に立つテオドアは、シエラをほとんど見ようとしなかった。

 (やっぱり……私が醜いから)

 そう思うと、ますます顔を上げられなくなった。

 「それでは、誓いの言葉を」

 神官の声に、シエラははっと顔を上げた。

 「……誓います」
 「誓う」

 二人の声が、静かな大聖堂に響いた。
 その瞬間、シエラはカーティス家の娘ではなく、ミューゼル公爵夫人となった。

 *

 婚礼を終えたその夜。
 シエラは、ミューゼル公爵邸で与えられた自室の寝台に腰掛けていた。

 まだ見慣れない部屋には、落ち着いた色合いの調度品が並び、枕元のランプが柔らかな光を落としている。
 カーティス家で使っていた部屋とは比べものにならないほど広く整えられていたが、今のシエラには、その快適さを味わう余裕などなかった。

 膝の上で重ねた手に、知らず知らず力がこもる。

 今日は、婚礼の夜だ。
 夫婦になった以上、このあとテオドアがここを訪れることくらい、シエラにも分かっていた。
 何を話せばいいのか。どう振る舞えばいいのか。考えれば考えるほど、胸の鼓動が速くなっていく。

 これまで散々、醜いと言われてきた。
 そんな自分を妻として迎えなければならなかった彼に、せめてこれ以上、不快な思いだけはさせたくない。
 シエラは無意識に長い前髪へ触れ、顔がきちんと隠れていることを確かめた。

 気に入ってもらえるとは思っていない。
 それでも、迷惑をかけず、妻として求められたことくらいはきちんと果たさなければ。
 やがて、扉の向こうから控えめなノックの音がした。

 「……っ」

 シエラは弾かれたように顔を上げる。

 「入るぞ」

 低い声のあと、静かに扉が開いた。
 そこに立っていたのは、数時間前に夫となったばかりのテオドアだった。
 シエラは慌てて立ち上がる。

 「旦那様……」

 けれど、やはりまともに顔を見ることはできない。
 婚礼の時と同じように視線を伏せたまま、黒い礼装に包まれた細い身体だけを視界の端に捉えた。
 
 テオドアは部屋へ入ると、シエラから少し離れたところで足を止める。
 沈黙が落ちた。何か言わなければと思うのに、緊張で喉がうまく動かない。

 それでも、胸のどこかには小さな期待があった。
 カーティス家を出て、今日からここで暮らしていく。
 妻として迎えられたのなら、もしかすると今度こそ、自分にも居場所ができるのかもしれない。

 「君に夫婦らしい関係を求めるつもりはない」

 シエラは顔を上げかけて、止まった。

 「……え?」
 「形式上は夫婦だが、無理にそのように振る舞う必要はない」

 テオドアは少し間を置いてから、淡々と続けた。

 「……互いに干渉せず暮らすのが、一番だろう」

 胸の奥にあった小さな期待が、静かにしぼんでいく。
 やはり、自分では駄目なのだ。
 
 「……承知しました」

 どうにか、それだけを答える。
 カーティス家を出れば、何かが変わるのではないかと、ほんの少しだけ期待していた。

 けれど、場所が変わっても同じだった。

 (ここでも私は、望まれていないんだ)

 シエラは俯いたまま、長い前髪の向こうでそっと唇を噛んだ。