神の手を持つ私は、今日も旦那様を寝落ちさせたい ~極上ヘッドスパで癒していたら、旦那様が極上スパダリに進化しました~

 「ルシアン、右だ!」
 「分かってます!」

 グランツの声に応え、ルシアンが素早く詠唱をして魔術を放つ。
 迫っていた影が弾け、黒い靄となって霧散した。
 もう一人の宮廷魔術師も反対側へ回り込み、次々と形を取る影を食い止めていく。

 「ここは任せろ!」

 グランツは地面へ片手をついた。
 男を中心に、複雑な黒い術式が地面いっぱいへ広がっている。
 先ほど男が身体へ取り込んだ魔石と繋がり、今もなお禍々しい光を脈打たせていた。

 「この術式を止める!」

 グランツの手元から光が走り、黒い線の一部へ食い込んでいく。
 だが、術式は幾重にも絡み合っている。
 すぐに解除できるようなものではなかった。

 その間にも、清浄の天蓋は容赦なくテオドアの魔力を奪い続ける。

 「ほらな」

 男が笑う。ゆっくりと、一歩ずつテオドアへ近づいてくる。

 「結局、お前も同じだ」

 テオドアは答えない。

 「どれだけ強がったところで、国に喰われて死ぬ」

 男の手には、いつの間にか短剣が握られていた。

 禁術にほとんどの魔力を注ぎ込んだのだろう。
 先ほどまで全身を覆っていた黒い魔力は、もうほとんど残っていない。
 それでも男は、歪んだ笑みを浮かべたまま地面を蹴った。

 「テオドア!」

 グランツの声が飛ぶ。
 しかし、術式の解除から手を離せない。

 ルシアンたちもまた、次々と現れる黒い影に阻まれていた。
 男が一直線に迫る。
 
 テオドアの膝から、ふっと力が抜けかけた。
 視界が滲み、呼吸が浅くなる。身体の奥から、今も容赦なく魔力を引き抜かれていた。
 
 短剣の切っ先が、胸元へ迫った。
 その瞬間――。

 『絶対に、無事に帰ってきてくださいね』
 不安そうに、自分を見上げていたシエラの顔が脳裏に浮かんだ。

 ——約束したばかりだ。

 テオドアの紫の瞳に、再び鋭い光が宿る。

 「……舐めるな」

 唸るように吐き捨て、片手を前へ突き出した。
 短剣の切っ先が胸へ届く寸前、透明な防壁が二人の間へ滑り込む。

 「な……っ」

 男の目が大きく見開かれた。
 防壁が形を変え、左右へ折れ曲がる。そのまま男を囲い込むように閉じていった。

 「待て……!」

 男が身を翻そうとするが、もう遅い。
 半透明の壁が四方を囲み、最後に強い光が弾けた。
 男の身体が、その場へ縫い止められる。

 「ぐっ……!」

 男は膝をつく。
 透明な檻の内側で、苦しげに顔を上げた。

 テオドアは荒い息を吐きながら、その姿を見据える。

 「言っただろう」

 掠れた声だった。
 それでも、そこに揺らぎはない。

 「お前の攻撃は、俺には届かない」
 
 「――っ、くそおおおおおっ!」

 男の絶叫が森を震わせた。
 それでも、透明な檻は微動だにしなかった。