神の手を持つ私は、今日も旦那様を寝落ちさせたい ~極上ヘッドスパで癒していたら、旦那様が極上スパダリに進化しました~

 室内が、しんと静まり返った。
 グランツも医師も、言葉を失っている。
 彼らにとっては、触れることすら躊躇うような禍々しい呪詛だ。

 けれどシエラには、どうしても別のものに見えてしまう。
 手をかければ、少しずつでもほどけるかもしれない。そんな感覚があった。

 「……夫人」

 グランツがようやく口を開く。

 「本気で言っているのか?」
 「はい」

 シエラは迷わず頷いた。

 「もちろん、危険なのは分かっています。でも……まだ、ヘッドスパの途中なんです」

 それに、と続ける。

 「あれが何なのか分かった今なら、さっきより慎重に触れられると思うんです」
 「シエラ」

 テオドアに呼ばれ、シエラはその紫の瞳を見返した。
 眉間には深く皺が寄り、その表情から心配していることがありありと伝わってくる。

 その気持ちは、ちゃんと分かっている。
 それでも、目の前にはまだ苦しんでいる人がいる。

 「何より……まだ苦しんでいる人を前に、ここで投げ出すようなことはしたくないんです」

 テオドアはしばらく何も言わなかった。
 やがて、観念したように小さく息を吐く。

 「……少しだけだ」

 そう告げると、テオドアは再びアーヴィンとの間へ防壁を張った。

 「跳ね返りは俺が防ぐ。少しでも異変があれば、すぐに止めろ」

 シエラの表情がぱっと明るくなる。

 「ありがとうございます!」

 シエラは今度こそ慎重に、アーヴィンの額へ指先を添えた。
 先ほどと同じ、身体の奥を巡る流れが伝わってくる。

 そしてやはり、ところどころにひどく重い引っかかりがあった。何重にも重なりながら流れを塞ぎ、頭から首、その先へと深く続いている。
 今度は無理に奥へ触れず、滞りの周囲から少しずつほぐしていく。
 額からこめかみ、頭皮へと指を滑らせるたび、固く閉ざされていた流れがわずかに動く。
 
 (……いける)
 
 さらに奥へ触れかけた瞬間、再び黒い魔力が弾けた。
 けれど今度は、テオドアの防壁がそれを真正面から受け止める。
 
 「シエラ」
 「大丈夫です」

 シエラは短く答え、もう一度アーヴィンへ意識を戻した。
 反応する場所も、少しずつ分かってきた。
 絡まった糸を一本ずつ解くように、シエラは外側から丁寧に滞りを緩めていく。

 すると、今度は先ほどよりも長く、穏やかに感覚が動く。
 ひとつ緩めば、その先もわずかに流れ始める。
 その変化を確かめながら、少しずつ範囲を広げていった。

 もちろん、呪詛が大人しくしているわけではなかった。
 施術が進むたびに黒い魔力が跳ね返ろうとするが、そのたびにテオドアの防壁がシエラの前へ立ちはだかり、禍々しい奔流を弾いていく。
 その確かな守りがあるからこそ、シエラは目の前の施術だけに集中することができた。