黒い奔流が、まっすぐシエラへ襲いかかった。
「シエラ!」
テオドアの鋭い声が響く。
次の瞬間、シエラの目の前に透明な壁が立ちはだかった。
激しい衝撃音とともに、黒い魔力が防壁へ叩きつけられる。室内の空気が震え、寝台脇の小物がかすかに揺れた。
シエラは思わず身を竦める。
けれど、その魔力が自分へ届くことはなかった。
気づけばテオドアがシエラの腕を掴み、自分の方へ引き寄せている。その片手は前へ向けられたまま、シエラとアーヴィンの間に防壁を張っていた。
「旦那様……」
テオドアは答えず、防壁の向こうで激しく渦巻く黒い魔力を見据えていた。
それはやがて、行き場を失ったように力を弱め、少しずつ薄れていく。
静けさが戻っても、誰もすぐには口を開かなかった。
シエラも、自分の指先を見つめたまま動けずにいた。
先ほどまで触れていた場所から伝わってきた、あの冷たく不気味な感覚。
あれは、ただ魔力の流れが滞っていただけではない。
「……今のは」
グランツが低く呟く。
テオドアはシエラを庇う位置に立ったまま、消えかけている魔力の残滓へ目を凝らしていた。
やがて、その紫の瞳が険しく細められる。
「これは……《転嫁》か」
「やはり、そう見えるか」
グランツの声も硬い。
聞き慣れない言葉に、シエラは二人を見比べた。
「てんか……?」
テオドアが振り返る。
「呪詛師が使う、禁じられた術のひとつだ」
「呪詛師……」
禁忌の術へ手を染めた魔術師。その名くらいは、シエラも知っていた。
グランツは寝台のアーヴィンへ視線を向けた。
「転嫁は、本来自分が負うはずの苦痛や魔力への負荷を、別の人間へ押しつける術だ」
シエラは息を呑む。
「じゃあ、アーヴィン殿下は……」
「誰かの負担を、長い間背負わされていた可能性がある」
その言葉に、先ほど指先から伝わってきた感覚が蘇る。
本人のものだけではない何かが、身体の奥へ紛れ込んでいるような、あの奇妙な感触。
「あれが……」
シエラが寝台へ目を向けると、テオドアが低い声で続けた。
「それだけじゃない。今の反応を見る限り、術そのものに干渉した者へ負荷を跳ね返す仕組みまで組み込まれている。まともに受けていれば、夫人までその苦痛を引き受けていたかもしれん」
グランツの言葉に、シエラは無意識に自分の腕を抱いた。
ほんの一瞬触れただけで、あれほど冷たく不気味な感覚がしたのだ。それを自分の身体へ押しつけられていたかもしれないと思えば、背筋が冷える。
「これ以上は危険だな」
グランツがそう告げると、傍らにいた医師も深く頷いた。
「ええ。原因が呪詛である可能性が高い以上、これ以上不用意に触れるべきではありません」
シエラも、その言葉が正しいことは分かっていた。
怖くないわけではない。けれど、まったく手の出しようがないとも思えなかった。
(つまり……ものすごく手ごわい凝りに、呪いまで絡んでるってことよね)
そう考えると、今度は少しずつ別の感情が湧いてくる。
怖さが消えたわけではない。
それでも、どうすればほどけるのか、どこから触れれば流れを戻せるのか――考えずにはいられなかった。
シエラは袖をきゅっとまくり上げた。
「……腕が鳴るわ!」
「シエラ!」
テオドアの鋭い声が響く。
次の瞬間、シエラの目の前に透明な壁が立ちはだかった。
激しい衝撃音とともに、黒い魔力が防壁へ叩きつけられる。室内の空気が震え、寝台脇の小物がかすかに揺れた。
シエラは思わず身を竦める。
けれど、その魔力が自分へ届くことはなかった。
気づけばテオドアがシエラの腕を掴み、自分の方へ引き寄せている。その片手は前へ向けられたまま、シエラとアーヴィンの間に防壁を張っていた。
「旦那様……」
テオドアは答えず、防壁の向こうで激しく渦巻く黒い魔力を見据えていた。
それはやがて、行き場を失ったように力を弱め、少しずつ薄れていく。
静けさが戻っても、誰もすぐには口を開かなかった。
シエラも、自分の指先を見つめたまま動けずにいた。
先ほどまで触れていた場所から伝わってきた、あの冷たく不気味な感覚。
あれは、ただ魔力の流れが滞っていただけではない。
「……今のは」
グランツが低く呟く。
テオドアはシエラを庇う位置に立ったまま、消えかけている魔力の残滓へ目を凝らしていた。
やがて、その紫の瞳が険しく細められる。
「これは……《転嫁》か」
「やはり、そう見えるか」
グランツの声も硬い。
聞き慣れない言葉に、シエラは二人を見比べた。
「てんか……?」
テオドアが振り返る。
「呪詛師が使う、禁じられた術のひとつだ」
「呪詛師……」
禁忌の術へ手を染めた魔術師。その名くらいは、シエラも知っていた。
グランツは寝台のアーヴィンへ視線を向けた。
「転嫁は、本来自分が負うはずの苦痛や魔力への負荷を、別の人間へ押しつける術だ」
シエラは息を呑む。
「じゃあ、アーヴィン殿下は……」
「誰かの負担を、長い間背負わされていた可能性がある」
その言葉に、先ほど指先から伝わってきた感覚が蘇る。
本人のものだけではない何かが、身体の奥へ紛れ込んでいるような、あの奇妙な感触。
「あれが……」
シエラが寝台へ目を向けると、テオドアが低い声で続けた。
「それだけじゃない。今の反応を見る限り、術そのものに干渉した者へ負荷を跳ね返す仕組みまで組み込まれている。まともに受けていれば、夫人までその苦痛を引き受けていたかもしれん」
グランツの言葉に、シエラは無意識に自分の腕を抱いた。
ほんの一瞬触れただけで、あれほど冷たく不気味な感覚がしたのだ。それを自分の身体へ押しつけられていたかもしれないと思えば、背筋が冷える。
「これ以上は危険だな」
グランツがそう告げると、傍らにいた医師も深く頷いた。
「ええ。原因が呪詛である可能性が高い以上、これ以上不用意に触れるべきではありません」
シエラも、その言葉が正しいことは分かっていた。
怖くないわけではない。けれど、まったく手の出しようがないとも思えなかった。
(つまり……ものすごく手ごわい凝りに、呪いまで絡んでるってことよね)
そう考えると、今度は少しずつ別の感情が湧いてくる。
怖さが消えたわけではない。
それでも、どうすればほどけるのか、どこから触れれば流れを戻せるのか――考えずにはいられなかった。
シエラは袖をきゅっとまくり上げた。
「……腕が鳴るわ!」


