「殿下。せめて一度、お試しになっては」
グランツがそう促すと、アーヴィンはようやく顔を上げた。
「頭を揉んで治すだと?」
低い声には、隠そうともしない苛立ちが滲んでいる。
「馬鹿馬鹿しい」
シエラは思わず背筋を伸ばした。
「治す、というわけではありません。少しでもお身体が楽になればと――」
「同じことだろう」
言葉を遮られる。
「医師も、治癒魔術師も、魔力調律の使い手も駄目だった。それを、頭を揉んだくらいでどうにかできると?」
「それは……」
「思い上がるな。そんなものが、王族にも通用すると本気で思っているのか?」
アーヴィンが不快さを隠さず、シエラを睨みつける。
その鋭い視線から庇うように、テオドアが一歩シエラの前へ出た。
「殿下」
低い声だった。
「かつての私が、どれほど体調を崩していたか――」
アーヴィンの眉がぴくりと動く。
「……あなたはそれを、よくご存じですよね」
その言葉に、アーヴィンの表情がほんの一瞬だけ揺れた。
シエラは思わず二人を見比べる。
どうやら、以前から多少の交流があったらしい。
「しかし私は、彼女に出会って変わりました」
テオドアはそう言って、シエラへ視線を向けた。
「彼女に——救われました」
テオドアの紫の瞳が、シエラだけを映している。
「だからこそ、一度くらい試してみても損はないはずです」
そこでアーヴィンの視線が、初めてはっきりとシエラへ向く。
シエラもアーヴィンを見つめ返し、やはり、と気づく。
顔色は悪く、目の下には濃い影がある。書類を持つ指先も、僅かに震えていた。
(……旦那様と、少し似てる)
かつて不眠と食欲不振で衰弱していたテオドアと、どこか同じ危うさを感じた。
「……殿下」
シエラは思わず口を開いた。
「少しだけでもいいので、どうか——」
「……っ……」
そこで、アーヴィンが顔を歪め、頭を両手で押さえた。
「アーヴィン殿下……!?」
頭で考えるより早く、身体が動く。
シエラはアーヴィンの元に駆け寄り、そっと手を伸ばすが——
パシッと乾いた音と共に、その手が振り払われた。
「触るな」
その片手は、隠すように顔を覆っている。
しかし隙間から見える表情は苦しげなままで、その瞳はシエラをはっきりと拒絶していた。
「シエラ」
テオドアも、すぐにシエラの元に駆け寄って、その隣に立つ。
アーヴィンはそれを横目に見てから、手元の書類に視線を落とした。
明らかに体調が悪いのに、まだ仕事を続けようとしているのだ。
「殿下」
テオドアの声にも、もう顔を上げようとしない。
「……帰ってくれ」
「でも――」
「帰れ」
食い下がろうとして、ぴしゃりと言い切られた。
「これ以上、時間を無駄にさせるな」
取りつく島もない。
グランツもこれ以上は無理だと判断したのか、小さく息を吐いた。
「……分かりました」


