神の手を持つ私は、今日も旦那様を寝落ちさせたい ~極上ヘッドスパで癒していたら、旦那様が極上スパダリに進化しました~

 再び施術室へ戻ると、ルシアンはすでに目を覚ましていた。
 椅子の背もたれを起こし、どこか呆然とした顔で自分のこめかみに触れている。

 「……痛くない」
 「本当ですか?」

 ルシアンはこめかみに触れたまま、信じられないように何度か瞬きをする。

 「本当に、痛くない。頭も……すごく軽い」

 先ほどまでの冗談めいた雰囲気は、すっかり消えていた。

 「……まぁじかあ……」

 ルシアンはこめかみに触れたまま、心底驚いたように息を漏らした。

 「正直、信じ切れてなかったんですよ。あれだけ変わったテオドアを見ても、グランツ卿の話を聞いても」
 「……何?」

 グランツの眉がぴくりと動く。

 「だって、そんなことが本当だったら――」

 ルシアンが改めてシエラを見る。
 その眼差しには、純粋な驚きと感心だけが浮かんでいた。

 「まるで、神の手じゃないですか」

 (神の、手——)

 前世で、まるで二つ名のように何度もそう呼ばれていた。
 その言葉を、この世界で再び耳にするとは思わなかった。
 シエラは思わず、自分の両手へ視線を落とした。

 「でも、本当だった」

 ルシアンは心から嬉しそうに笑った。

 「本当に楽になりました。ありがとうございます、公爵夫人」
 「いえ。お役に立てたなら、私も嬉しいです」

 微笑み返すシエラを、ルシアンが改めてまじまじと見つめる。

 「それにしても――」

 ルシアンは自然な動作で、シエラの手を取る。
 
 「こんなに綺麗で、腕までいいなんて。テオドアにはもったいないくらいだ」
 「えっ?」
 「今度、お礼に食事でもどうです? いい店を知ってるんですよ」

 突然の言葉にシエラが固まった、その直後。

 「――手を離せ」

 低い声が落ちた。

 見ると、テオドアがすぐそばまで来ていた。
 その視線は、シエラの手を取るルシアンの指先へ向けられている。

 「なんだよ、礼を言っているだけだろ?」
 「シエラ」

 テオドアが、隣のシエラを見る。

 「こいつと食事に行きたいか?」

 突然の問いに、シエラは目を丸くする。

 「いえ。対価を求めてやっているわけではありませんから」

 それに、と今度はルシアンへ向き直った。

 「まだ旦那様の食事強化プログラムの途中なんです。せっかくいい感じにお肉がついてきて、今が大事な時なので!」
 「私がいないと、すぐ食事を疎かにしてしまいますから」

 嘘偽りのない、満面の笑みだった。
 その隣で、テオドアはなんとも言えない顔をしている。
 ルシアンはしばらく目を丸くしていたが、やがてシエラの手をぱっと離すと、堪えきれないように吹き出した。

 「あっはは! 確かに、それは公爵夫人を連れ出すわけにはいきませんね」

 眦に滲んだ涙を拭いながら、ルシアンがテオドアを見る。

 「それに、まさか君のこんな姿が見られるとは」
 「……何が言いたい」

 テオドアが不機嫌そうに眉を寄せる。

 「いいや? いい奥方をもらったなぁと思って」

 テオドアは何も返さず、わずかに視線を逸らす。

 (旦那様、何だかいつもと様子が違うわ)

 その理由は分からず、シエラは不思議に思いながら二人を見比べる。
 そんな空気を切り替えるように、グランツが小さく咳払いをした。

 「そろそろ話を戻してもいいか」
 「あ、すみません」

 シエラが慌てて姿勢を正すと、ルシアンもまだ笑いの余韻を残しながら椅子へ座り直した。