神の手と呼ばれた私は、今日も旦那様を寝落ちさせたい ~極上ヘッドスパで癒していたら、旦那様が極上スパダリに進化しました~

 「“屍人公爵”なんて、誰かが勝手につけた呼び名でしょう?」

 テオドアはわずかに目を見開く。

 「だが、事実だ」
 「違います」

 シエラは迷わず言い切った。

 改めて、正面から彼の顔を見る。
 確かに痩せている。顔色も悪い。目の下の隈だって尋常ではない。
 けれど、それだけだ。

 「少し痩せすぎていて、顔色が悪くて、それから――ものすごーく寝不足なだけです!」
 「……」
 「だから、ちゃんと眠って元気になればいいんです」

 にこりと笑うと、テオドアは一瞬だけ言葉を失ったようにシエラを見つめた。

 「……随分、簡単に言ってくれるな」
 やがて小さく息を吐き、シエラの手を顔から外す。

 「そもそも、君も自分の顔を隠しているだろう」
 「……え」

 紫色の瞳が、シエラの長い前髪へ向けられた。

 「人のことを言える立場か?」

 胸の奥が、わずかに揺れた。

 醜いから。見せるなと言われたから。
 シエラの中で顔を隠すことは当たり前で、どうしてと考えることさえなくなっていた。

 けれど今のシエラには、もう一人分の人生の記憶がある。
 明るい店内で客を迎え、笑っていた自分。
 誰かの目を恐れることなく、自分の腕に誇りを持って働いていた自分。

 (私……こんなふうに俯いてばかりじゃなかった)

 視線を上げる。
 寝台脇の棚に置かれた裁縫道具が目に入った。
 シエラはその中から、大きな裁ちばさみを取り上げる。
 
 「おい、何を――」

 鈍く光る刃を開き、迷うことなく前髪へ差し入れる。
 ざくり、と重い音を立てて、亜麻色の髪が床へ落ちた。

 「な……」

 額を覆い隠していた前髪が短くなり、長いあいだ隠してきた顔があらわになる。

 胸は早鐘のように鳴っていた。
 怖くないわけではない。今すぐ反射的に顔を隠したくなる。

 それでもシエラは逃げなかった。

 「これで、よく見えますか?」

 ほんの少しの緊張を残しながら、笑ってみせる。

 テオドアは何も言わなかった。
 ただ、初めて見るもののようにシエラを見つめている。

 「……一体、何が目的なんだ」

 しばらくして返ってきたのは、警戒に満ちた問いだった。

 「旦那様、ずっとまともに眠れていないんですよね」

 テオドアは答えず、シエラをじっと見つめ返す。

 「だから、私の得意なヘッドスパを受けてもらいます!」
 「ヘッド……?」
 「頭を中心にほぐすマッサージです」
 
 (そっか。この世界じゃ、こういう施術はあまり馴染みがないんだ)

 体調を整えるとなれば、薬や治癒魔術、それに魔力調律が頼りにされる世界だ。前世のような専門的なマッサージ技術は、ほとんど見かけない。
 テオドアは胡乱げに目を細める。

 「それで、“寝落ち”とやらができるというのか?」
 「はい!」
 「無駄だ」

 間髪を入れずに返された。

 「これまで、思いつく限りのことは試した。薬も、治療も……魔力調律さえ受けた」

 テオドアは自嘲するように目を伏せる。

 「それでも駄目だった。マッサージ程度でどうにかなるものじゃない」

 その声音には、諦めとも確信ともつかない響きが滲んでいた。
 けれど、シエラは怯まない。

 「まあまあ、物は試しです」

 寝台を手で示す。

 「どうぞ」
 「だが――」
 「任せてください。どうぞ!」
 
 「……」
 「仰向けになってくださいね」

 しばらく睨み合った末、先に折れたのはテオドアだった。
 深いため息をつき、不本意そうに寝台へ横になる。