神の手を持つ私は、今日も旦那様を寝落ちさせたい ~極上ヘッドスパで癒していたら、旦那様が極上スパダリに進化しました~

 ほんの短い、優しい口づけだった。
 それだけなのに、離れたあとも心臓はうるさいくらい鳴り続けている。
 まともにテオドアの顔を見ていられなくなり、シエラはぱっと身体を起こした。

 「じゃ、じゃあ……!」
 「?」
 「そろそろヘッドスパしていきましょうか!」

 照れを誤魔化すように、ぱっと両手を構える。
 いつもの調子を取り戻そうと、テオドアへ手を伸ばした――その瞬間。

 「きゃっ……!」

 逆に腕を引かれ、シエラの身体がベッドへ沈んだ。

 目を開けると、すぐ目の前にテオドアの顔がある。
 窓を背にした彼の輪郭を月明かりがなぞり、長い睫毛が微かに揺れる。その奥に覗く深い紫の瞳は、夜の光を溶かし込んだように静かだった。
 すっと通った鼻梁から薄い唇へ続く顔立ちは、思わず見惚れてしまいそうなほど端正に整っている。
 
 あまりの近さに、シエラの喉が小さく鳴った。

 「だ、旦那様……?」
 「今日は俺の番だ」
 「え……?」

 テオドアが、ほんの少しだけ唇の端を上げる。

 「今夜は――眠れなくていい」
 「……っ!」

 一瞬で顔が熱くなる。

 「だ、だめです……!」
 「なぜだ」
 「なぜって……!」
 「もう、“形式だけの夫婦”ではないんだろう?」
 「そ、それは……!」

 言葉に詰まるシエラを見ながら、テオドアはその髪を一房すくい上げた。
 そして、そのままさらりと口づける。

 「ひぇ……っ」

 思わず、変な声が漏れた。

 「ま、まだ病み上がりなんですから……!」
 「シエラ」

 低い声で名前を呼ばれる。

 「こっちを見て」
 「む、無理です……!」

 シエラはたまらず両手で顔を覆った。
 そして、指の隙間からそっとテオドアの様子を窺う。
 
 「だめです……恥ずかしくて、死んじゃいます……」

 その瞬間。
 テオドアの動きが、ぴたりと止まった。

 「……旦那様?」

 なぜか固まっている。
 その隙を、シエラは見逃さなかった。

 (い、今だわ!)

 がばっと身体を起こす。

 「は、はい! 旦那様はここに寝てくださいね!」
 「……待て」
 「待ちません!」

 頬を真っ赤にしたまま、シエラは半ば強引にテオドアをベッドへ寝かせる。
 そして何事もなかったかのように、その頭元へ回った。

 「さあ、今度こそ寝落ちの時間です!」

 テオドアはしばらく呆れたようにシエラを見上げていたが、やがて長く息を吐いた。

 「……君は、本当に」
 「?」
 「俺を掌で転がすのが上手いな」
 「ええ……?」

 本気で分かっていない顔をするシエラに、テオドアはもう一度だけ息を吐く。
 それから、観念したように目を閉じた。

 「……今日も、よろしく頼む」

 その言葉に、シエラの表情がぱっと明るくなる。

 「……はい!」

 いつものように。けれど今までより少しだけ、大切に。
 シエラはテオドアの髪へ指を入れた。

 側頭部からゆっくりとほぐし、凝りの残るところを丁寧に探していく。
 最初はどこか悔しそうだったテオドアの表情も、次第に穏やかになっていった。

 ほどなくして、静かな寝息が聞こえ始める。
 シエラは手を止めず、その横顔を見つめた。

 ずっと長い間、夜が来ても眠れず、一人で何もかもを抱え込んでいた人。
 けれど今は、こんなにも穏やかな顔で眠っている。

 「おやすみなさい、旦那様」

 これから先、この人が眠れない夜には、何度だって隣にいよう。
 シエラはその髪をそっと撫で、柔らかく微笑んだ。

 「これからも、極上の眠りをお届けしますね」

 静かな寝室には、テオドアの穏やかな寝息だけが響いていた。