神の手を持つ私は、今日も旦那様を寝落ちさせたい ~極上ヘッドスパで癒していたら、旦那様が極上スパダリに進化しました~

 いつものように髪へ触れようと、シエラが手を伸ばす。
 けれど、その指先が届くより先に、テオドアがそっとその手を取った。

 「……旦那様?」

 大きな手に包まれたまま、シエラはきょとんと彼を見る。

 テオドアは何も言わず、しばらくその手を見つめていた。
 やがて、親指がゆっくりとシエラの手の甲をなぞる。

 「……っ」

 施術のためなら、これまで何度だって触れてきた。
 髪にも、額にも、首筋にも。
 それなのに、自分が触れられる側になると途端に落ち着かなくなり、シエラの心臓が早鐘を打ち始める。

 「……この手には、いつも助けられてばかりだな」
 「え……」

 その言葉に、シエラの胸が静かに揺れた。
 
 「この手が、眠れない夜を終わらせてくれた」
 「そ、それは……私にできることをしただけで……」

 いつもならもっと普通に言えるはずなのに、なぜか声が少し上ずる。
 テオドアはそんなシエラを見つめたまま、静かに続けた。

 「なのに俺は、ずっと君を遠ざけようとしていた」
 「……旦那様?」
 「結婚した夜、君に言っただろう。夫婦らしい関係を求めるつもりはない、と」

 シエラは、ほんの少し目を伏せた。
 あの夜の言葉は、今でもはっきり覚えている。

 「俺のこの身体は、いつまで持つのかも分からない。父と同じ道を辿るかもしれない」

 握られた手に、少しだけ力がこもる。

 「そんな俺が誰かを望めば、その人の人生まで巻き込むことになると思っていた。君を、俺に縛りつけるようなことはしたくなかった」

 シエラは何も言わず、その横顔を見つめた。
 するとテオドアは一度言葉を切り、ゆっくりとシエラへ視線を戻す。

 「あの時もそうだった」
 「……あの時?」
 「君が、欲しいと思った」
 「……っ」

 一瞬、呼吸が止まる。

 「このまま触れていたら、歯止めが利かなくなっていた。だから――離れたんだ」

 その言葉と同時に、あの夜の光景が鮮明に蘇る。
 押し倒され、間近にあった紫の瞳。触れそうになった唇。
 
 『……すまない』
 そう言って、離れていったテオドアの姿。
 
 「私、てっきり……」

 テオドアはじっと、シエラの次の言葉を待っている。

 「私が形式上だけの妻だから、旦那様にとってはそれ以上にはなれないんだって……」
 「……違う」

 はっきりとした声だった。
 シエラが顔を上げると、テオドアは真っ直ぐこちらを見つめていた。

 「君をもう、そんなふうには思えない」
 
 シエラは息を呑んだ。
 
 「君が笑えば嬉しいし、他の男に触れられれば腹が立つ。君が苦しんでいれば、代われるものなら代わりたいと思う」

 胸の奥で、大きく鼓動が鳴る。

 「そして、君がいなくなると思った時――何も考えられなくなった」
 「旦那様……」
 「君を遠ざけることが、君のためになると思っていた。だが、それも違った」

 少しだけ間を置いて、テオドアは続ける。

 「君がどんな未来を選ぶのかまで、俺一人で決めるべきじゃなかった」

 その言葉に、夜会で自分が口にした言葉が蘇った。
 ――私の人生は、私のものよ。
 
 シエラは、包まれた手をそっと握り返した。