今夜も執事は、お嬢様を手放さない

「……碧?」

「いえ」

 けれど次の瞬間には、いつも通りの微笑みが戻っている。

「そのように無邪気に礼をおっしゃるのは、おやめいただけますか」

「えっ、どうして?」

「困りますので」

「何が?」

「いろいろと、です」

 曖昧な答えに、ことはは首をかしげるばかりだ。

「変なの」

「そうでしょうか」

「うん。碧って、たまに意味わかんない」

「お嬢様が鈍すぎるのです」

「ええっ」

 あんまりな言い方に、ことはは思わずむくれる。すると碧は、どこか楽しそうに目を細めた。

「ですが、そのままでいてください」

「え?」

「今はまだ」

 最後の一言だけ、妙に静かだった。

 ことははその意味を考えたけれど、やっぱりよくわからなかった。

 ただ、胸の奥に小さな引っかかりだけが残る。

 東雲碧は、ことはの知る誰よりも優しい。

 そして、誰よりも完璧だ。

 けれどときどき、その完璧な微笑みの奥に、何か別のものが隠れている気がする。

 それが何なのか。まだことはには、知る由もなかった。

 このときの彼女はまだ知らない。

 自分に向けられるそのやさしさが、ただ穏やかなだけのものではないことを。
 甘く守るように見えて、その実、少しずつ逃げ道を塞いでいく愛情なのだということを。