2週間も必要なかった。
陽菜は笑っていた。
何でもないように。
いつものように、委員会の仕事も積極的にして、授業では発表もして、休み時間には友達とふざけあって笑っていた。
だけど、ずっと一緒にいた涼と海人は騙されない。
疲れた表情が一瞬見える。
ため息がもれている。
目の下にはクマが出来ている。
そして、
棚の上にある物を取ろうとした時に見えた痣。
男の教師が近づくと一瞬、身体が震えて真っ青になっている。
もう、十分だった。
「大人に言う」
放課後、海人は陽菜にそう言った。
「ヤダ!駄目!
私、大丈夫だもん!
何もないもん!」
「もう、騙されるわけないだろ」
「お願い、海人くん……。
涼くんと、海人くんと離れるの、ヤダ……!」
目に涙を浮かべる陽菜。
それでも、海人は首を横に振った。
「……ダメだ。お前に嫌われても、これは言う」
「海人……」
涼が静かに呼んだ。
海人がそちらを見る。
涼は陽菜の肩へ手を置いたまま、苦しそうに2人を見比べていた。
そして、
「……海人。今日だけ待って」
そう言った。
「何?」
「今日だけ。僕が陽菜とちゃんと話すから」
「今話してるだろ」
「2人で話したい」
「涼」
「お願い」
涼がこんなふうに頼むことは、今までほとんどなかった。
海人は眉間に皺を寄せる。
「明日になったら?」
「そのときは、僕も一緒に大人に話す」
陽菜が涼を見る。
「涼くん……」
「このままでいいとは僕も思ってないよ」
涼はそう言ってから、海人へ視線を戻した。
「一日だけ。僕にちょうだい」
海人は長い間、何も言わなかった。
断るべきだと思った。
今すぐ母親へ電話してもいい。
担任へ話してもいい。
保健室へ連れていって、痣を見せればいい。
でも。
涼も陽菜も、自分にとっては同じくらい大切な2人だった。
その涼が、自分に一日だけくれと言っている。
「……今日だけだ」
ようやく海人は答えた。
「うん」
「明日になったら、もう待たないからな」
「分かった」
「何言われてもだからな」
「うん」
海人は陽菜を見る。
陽菜は泣いたまま、何も言わなかった。
その日の放課後、3人は一緒に帰った。
いつもの道なのに、いつものような会話はなかった。
陽菜が何度か何かを言いかけ、結局口を閉じる。
涼も黙って歩いている。
やがて、いつもの分かれ道へ着いた。
ここから先、陽菜の家へ向かう道と、海人と涼の家へ向かう道が分かれる。
陽菜が立ち止まった。
「……じゃあ、また明日」
涼が陽菜を見る。
それから海人を見た。
「海人」
「ん?」
「僕、今日陽菜ん家行く」
陽菜が驚いた。
「え?」
海人も眉を寄せる。
「今から?」
「うん。さっき言ったでしょ。
陽菜とちゃんと話すって」
「でも涼くん、今日塾が――」
「休む」
「ダメだよ」
「1日くらい、いいよ」
涼は何でもないことのように言った。
陽菜は困ったように涼を見たが、涼はもう決めているらしい。
海人は少し考えてから言った。
「俺も行こうか?」
「今日は僕だけでいい」
「なんで」
「海人いたら、陽菜また意地張るから」
「誰が意地張ってるの」
陽菜が少しだけ頬を膨らませる。
ほんの一瞬。
昔の陽菜が戻った。
涼が笑う。
「ほら」
「意味分からねぇよ」
海人も少し笑った。
本当に少しだけ、いつもの3 人に戻った。
「じゃあ、明日の朝聞くからな」
海人が涼へ言う。
「うん」
「逃げんなよ」
「逃げないよ」
「陽菜もだからな」
「……分かった」
「じゃあ、また明日」
「また明日」
涼が答える。
陽菜も続いた。
「また明日、海人くん」
2 人が並んで、陽菜の家へ向かって歩いていく。
海人はしばらくその背中を見送っていた。
涼が陽菜の家へ遊びに行くこと自体は、珍しいことではない。
小学生の頃なら3人で何度も行った。
雨の日には、陽菜の父親の大きなTシャツを3人で借りたこともある。
陽菜の母親が作ったココアを飲みながら、3 人でくだらないことで笑った。
だからこのときの海人は、
涼が陽菜の家へ行くことに、特別な意味など感じなかった。
「……明日な」
誰に聞かせるでもなく呟いて、海人も自分の家へ向かった。
「ただいま」
家へ帰ると、夕食の匂いがした。
「おかえり。手ぇ洗ってきなさーい」
「分かってる」
「海人、今日ゴミ出し頼んだだろー!」
リビングから父親の声まで飛んでくる。
「あ」
「忘れてたな!」
「明日出す!」
「今日だったって!」
「もう回収終わってるわ!」
キッチンから母親の笑い声がした。
いつもの家だった。
海人は鞄を置いて、洗面所へ向かう。
鏡に映った自分を見ながら、昼間の陽菜を思い出した。
本当に。
明日まで待っていいのだろうか。
一瞬だけ。
そう思った。
今からでも母親に話した方がいいのではないか。
「海人ー! ご飯ー!」
母親の声が響く。
「今行く!」
反射的に返事をする。
明日。
明日の朝、涼に聞こう。
涼がちゃんと陽菜と話してくれる。
それで駄目なら、自分が大人に言う。
そう決めたのだから。
海人はリビングへ向かった。
その夜。
母親の料理を食べた。
父親とくだらないことで言い合った。
テレビを見て笑った。
風呂に入った。
布団へ入った。
そして何も知らないまま眠った。
同じ頃。
涼はまだ。
陽菜の家にいたのを、海人は知らなかった。
陽菜は笑っていた。
何でもないように。
いつものように、委員会の仕事も積極的にして、授業では発表もして、休み時間には友達とふざけあって笑っていた。
だけど、ずっと一緒にいた涼と海人は騙されない。
疲れた表情が一瞬見える。
ため息がもれている。
目の下にはクマが出来ている。
そして、
棚の上にある物を取ろうとした時に見えた痣。
男の教師が近づくと一瞬、身体が震えて真っ青になっている。
もう、十分だった。
「大人に言う」
放課後、海人は陽菜にそう言った。
「ヤダ!駄目!
私、大丈夫だもん!
何もないもん!」
「もう、騙されるわけないだろ」
「お願い、海人くん……。
涼くんと、海人くんと離れるの、ヤダ……!」
目に涙を浮かべる陽菜。
それでも、海人は首を横に振った。
「……ダメだ。お前に嫌われても、これは言う」
「海人……」
涼が静かに呼んだ。
海人がそちらを見る。
涼は陽菜の肩へ手を置いたまま、苦しそうに2人を見比べていた。
そして、
「……海人。今日だけ待って」
そう言った。
「何?」
「今日だけ。僕が陽菜とちゃんと話すから」
「今話してるだろ」
「2人で話したい」
「涼」
「お願い」
涼がこんなふうに頼むことは、今までほとんどなかった。
海人は眉間に皺を寄せる。
「明日になったら?」
「そのときは、僕も一緒に大人に話す」
陽菜が涼を見る。
「涼くん……」
「このままでいいとは僕も思ってないよ」
涼はそう言ってから、海人へ視線を戻した。
「一日だけ。僕にちょうだい」
海人は長い間、何も言わなかった。
断るべきだと思った。
今すぐ母親へ電話してもいい。
担任へ話してもいい。
保健室へ連れていって、痣を見せればいい。
でも。
涼も陽菜も、自分にとっては同じくらい大切な2人だった。
その涼が、自分に一日だけくれと言っている。
「……今日だけだ」
ようやく海人は答えた。
「うん」
「明日になったら、もう待たないからな」
「分かった」
「何言われてもだからな」
「うん」
海人は陽菜を見る。
陽菜は泣いたまま、何も言わなかった。
その日の放課後、3人は一緒に帰った。
いつもの道なのに、いつものような会話はなかった。
陽菜が何度か何かを言いかけ、結局口を閉じる。
涼も黙って歩いている。
やがて、いつもの分かれ道へ着いた。
ここから先、陽菜の家へ向かう道と、海人と涼の家へ向かう道が分かれる。
陽菜が立ち止まった。
「……じゃあ、また明日」
涼が陽菜を見る。
それから海人を見た。
「海人」
「ん?」
「僕、今日陽菜ん家行く」
陽菜が驚いた。
「え?」
海人も眉を寄せる。
「今から?」
「うん。さっき言ったでしょ。
陽菜とちゃんと話すって」
「でも涼くん、今日塾が――」
「休む」
「ダメだよ」
「1日くらい、いいよ」
涼は何でもないことのように言った。
陽菜は困ったように涼を見たが、涼はもう決めているらしい。
海人は少し考えてから言った。
「俺も行こうか?」
「今日は僕だけでいい」
「なんで」
「海人いたら、陽菜また意地張るから」
「誰が意地張ってるの」
陽菜が少しだけ頬を膨らませる。
ほんの一瞬。
昔の陽菜が戻った。
涼が笑う。
「ほら」
「意味分からねぇよ」
海人も少し笑った。
本当に少しだけ、いつもの3 人に戻った。
「じゃあ、明日の朝聞くからな」
海人が涼へ言う。
「うん」
「逃げんなよ」
「逃げないよ」
「陽菜もだからな」
「……分かった」
「じゃあ、また明日」
「また明日」
涼が答える。
陽菜も続いた。
「また明日、海人くん」
2 人が並んで、陽菜の家へ向かって歩いていく。
海人はしばらくその背中を見送っていた。
涼が陽菜の家へ遊びに行くこと自体は、珍しいことではない。
小学生の頃なら3人で何度も行った。
雨の日には、陽菜の父親の大きなTシャツを3人で借りたこともある。
陽菜の母親が作ったココアを飲みながら、3 人でくだらないことで笑った。
だからこのときの海人は、
涼が陽菜の家へ行くことに、特別な意味など感じなかった。
「……明日な」
誰に聞かせるでもなく呟いて、海人も自分の家へ向かった。
「ただいま」
家へ帰ると、夕食の匂いがした。
「おかえり。手ぇ洗ってきなさーい」
「分かってる」
「海人、今日ゴミ出し頼んだだろー!」
リビングから父親の声まで飛んでくる。
「あ」
「忘れてたな!」
「明日出す!」
「今日だったって!」
「もう回収終わってるわ!」
キッチンから母親の笑い声がした。
いつもの家だった。
海人は鞄を置いて、洗面所へ向かう。
鏡に映った自分を見ながら、昼間の陽菜を思い出した。
本当に。
明日まで待っていいのだろうか。
一瞬だけ。
そう思った。
今からでも母親に話した方がいいのではないか。
「海人ー! ご飯ー!」
母親の声が響く。
「今行く!」
反射的に返事をする。
明日。
明日の朝、涼に聞こう。
涼がちゃんと陽菜と話してくれる。
それで駄目なら、自分が大人に言う。
そう決めたのだから。
海人はリビングへ向かった。
その夜。
母親の料理を食べた。
父親とくだらないことで言い合った。
テレビを見て笑った。
風呂に入った。
布団へ入った。
そして何も知らないまま眠った。
同じ頃。
涼はまだ。
陽菜の家にいたのを、海人は知らなかった。


