中学生になっても、朝は変わらなかった。
「遅いよ!海人くん!」
「まだ間に合うわ!」
「間に合うと余裕があるは違うの!」
「朝から元気だね、ふたりとも」
4月。
まだ少し大きな制服を着た3人は、小学生の頃と同じ角に集まり、同じ道を歩いていた。
ランドセルがスクールバッグに変わった。
黄色い帽子もなくなった。
教科書は重くなり、授業時間も長くなった。
それくらいだった。
「海人くん、ネクタイ曲がってる」
「え?」
「動かないで」
陽菜が海人の胸元へ手を伸ばす。
「お前はオカンかよ」
「だって気になるんだもん」
「陽菜、自分のリボンも曲がってるよ」
涼に言われ、陽菜が慌てて自分の胸元を見る。
「嘘!?」
「本当」
「涼くん直して!」
「はいはい」
そう言いながら涼が直してやる。
海人が呆れた。
「お前ら二人ともホント放っておけないよな」
「海人くんがいるから大丈夫!」
「俺がいなくなったらどうするんだよ」
何気なく言った言葉に陽菜が笑った。
「いなくならないでしょ?」
「転校するかもしんないじゃん」
「ダメ」
「なんでお前が決めるんだよ」
「3人でいるって約束したもん」
卒業式の日の約束を、まだ覚えていた。
海人は面倒そうな顔をした。
「はいはい」
涼が笑う。
3人で学校へ向かった。
何も変わっていない。
少なくとも。
春の初めは、そうだった。
宮原家の夕食は、うるさい。
「海人! 醤油取って!」
「目の前じゃん!」
「お母さん今手離せないの!」
「普通に届くじゃん!」
「海人、ついでに俺にも」
「おとんは自分で取れ!」
テレビがついている。
母親が笑っている。
父親が仕事の愚痴を言って、母親に「食事中にやめて」と怒られている。
海人が今日の学校であったことを話せば、両親は笑って話を聞く。
「そういや涼くんと陽菜ちゃん、元気?」
「元気」
「中学でも3人一緒なの?」
「クラスは陽菜だけ別」
「あら、寂しいねぇ」
「朝とか放課後とか、あと休みの日は一緒だし、全然」
父親が笑った。
「仲いいな、ほんと」
「腐れ縁」
「幼馴染だしな、大切にしろよ」
「まぁ、あいつらの面倒見れるの、俺だけだし」
そう言いながら海人は笑っている。
食べ終われば「お皿持ってきて」と言われる。
風呂に入れと言われる。
宿題は終わったのかと聞かれる。
早く寝ろと怒られる。
翌朝になれば。
「いってきます」
「いってらっしゃい!」
それで終わる。
宮原海人にとって家とはそういう場所だった。
明るく少し大雑把でうるさい、だけど何でも言える、そんな両親がいる家。
広瀬家は、静かだった。
「涼」
夕食を食べていた涼が顔を上げる。
「今日のテスト、どうだった?」
「普通だったよ」
「普通って何?」
母親の箸が止まった。
「ちゃんと説明して」
涼も箸を止める。
「……点数は悪くなかった。先生にも褒められたよ」
「それだけ?」
父親が言った。
「お前ならもっとできるだろ」
「うん」
「中学に上がったからって気を抜くなよ。周りも伸びる時期なんだから」
「分かってるよ」
「分かってるならいいけど」
母親が笑う。
優しい笑顔だった。
「涼はその辺の子とは違うんだから」
父親も頷く。
「お父さんたちは、お前のためを思って言ってるんだぞ」
「うん」
「期待してるからな」
「……うん」
それで会話は終わった。
部屋へ戻った涼は、ベッドへ寝転がった。
スマートフォンが震える。
三人のグループだった。
『見て!』
陽菜から写真が送られてきた。
コンビニで買ったらしいアイス。
当たり棒。
『当たった!!』
続けて海人。
『しょうもな』
『すごいでしょ!』
涼は笑った。
『おめでとう』
すぐに陽菜から返事が来る。
『ありがとう! 明日交換してくる!3人で食べよ!』
『1本しかないじゃん』
『三等分!』
『少な!』
『そんな事言う海人くんにはあげない!』
『別にいらねぇよ!』
『涼くんと半分こする』
『ありがとう、陽菜』
画面を見ながら涼は声を殺して笑った。
階下から母親の声がした。
「涼、明日の朝も早いんだから、スマホばかり見てないで寝なさい」
「……分かってる」
スマートフォンを伏せる。
笑顔が少しだけ消える。
それでも。
枕元には置いたままにした。
早川家はよく笑う家だった。
「お母さん! 今日ね、海人くんが――」
「また海人くん?」
「涼くんも!」
「はいはい」
母親が笑う。
父親は新聞を読みながら言った。
「お父さん最近、その2人の話しか聞いてない気がする」
「だって毎日一緒なんだもん」
「お父さんより好き?」
「うーん」
「悩まないで!?」
母親が吹き出し、陽菜も笑った。
「じゃあ一番はお母さん!」
「お父さんは!?」
「2 番!」
「涼くんと海人くんは?」
「三番!」
「2人まとめて?」
「同じくらい好きだから」
「お父さん、ギリギリ勝ったわ」
「大人げないわよ」
母親が呆れる。
テレビから笑い声が流れる。
食卓にも笑い声がある。
陽菜はその真ん中にいた。
食後には母親と一緒に翌日のお弁当のおかずを考えた。
父親には数学の宿題を見てもらった。
風呂から上がると母親が髪を乾かしてくれた。
「もう中学生なんだから自分でできるよ」
そう言いながら、陽菜は母親の前に座っている。
「じゃあ自分でする?」
「……今日はやって」
「はいはい」
温かい風が髪を揺らす。
父親がリビングから叫んだ。
「陽菜ー! プリン食べるぞー!」
「食べる!」
「お母さんの分も残してよ!」
「3個ある!」
何でもない夜だった。
本当に。
何でもない。
幸せな夜だった。
5月。
6月。
季節は進んだ。
3人は相変わらずだった。
学校帰りにコンビニへ寄って、3人でアイスを食べた。
テストの点数を見せ合った。
雨の日には1本の傘へ無理やり3人で入った。
「狭い!」
「陽菜が真ん中入りすぎなんだよ!」
「だって濡れる!」
「僕もう肩びしょびしょやけど」
「羊くんもっとこっち!」
「押すなって!」
結局3 人とも濡れて陽菜の家へ逃げ込んだ。
「まあ! びしょびしょじゃない!」
陽菜の母親が大笑いして、3人分のタオルを出してくれる。
「風邪ひくから着替えなさい。2人とも、お父さんのTシャツでいい?」
「ありがとうございます」
「すみません」
「気にしない気にしない」
しばらくして2人は大きすぎるTシャツを着て、リビングに並んで座っていた。
温かいココアが3つ並ぶ。
陽菜の父親が帰宅すると、3人を見て笑った。
「なんだこれ」
「三つ子!」
陽菜が笑って答える。
「誰がだよ!」
「私たち!」
「似てなくない?」
「今日から三つ子!」
「勝手に兄弟にすんな!」
その夜、雨が止むまで。
3人は陽菜の家で笑っていた。
夏休みが近づいた頃だった。
その日も朝は普通だった。
「行ってきます!」
陽菜が玄関を飛び出す。
「走らない!」
母親の声が響く。
「はーい!」
「帰り遅くなるなら連絡してね!」
「分かった!」
「陽菜!」
今度は父親だった。
「何?」
「いってらっしゃい」
陽菜が笑う。
「いってきます!」
ドアが閉まった。
いつもの角まで走る。
そこには涼と海人がいた。
「遅い」
「ごめん!」
「また寝坊?」
涼が聞く。
「違うもん。髪決まらなかったの」
「知らねぇよ!」
「女の子には大事なの!」
「そうだよ海人。
陽菜の今日の髪、可愛いじゃん」
「やっぱり涼くん優しい!」
「陽菜を甘やかすな!」
3人で歩き出す。
その日の放課後も3人で帰った。
「じゃあ明日ね!」
陽菜が手を振る。
「おう」
「また明日」
涼と海人も手を振った。
陽菜は家へ帰ると元気に叫ぶ。
「ただいま!」
「おかえり」
母親がいた。
父親も。
夕食を食べた。
笑った。
翌日の予定を話した。
おやすみと言った。
それが最後の。
何でもない夜になった。
翌日の夕方。
涼のスマートフォンに、海人から電話がかかってきた。
「もしもし、海人?」
返事がない。
「……海人?」
やがて、聞いたことのない声で。
海人が言った。
「……涼」
涼は起き上がった。
「……何?」
「……陽菜の親」
そこで、
海人の声が止まった。
「事故に遭ったらしい」
涼は何も言えなかった。
窓の外では。
蝉が鳴いていた。
昨日と何も変わらない夏の夕方だった。
「……陽菜は?」
「病院」
海人が答える。
「俺、今から行く」
「僕も行く」
「おう」
電話を切ると、涼は部屋を飛び出した。
それまで3人とも知らなかった。
昨日まであったものが。
今日もあるとは限らないことを。
朝。
「いってきます」と言った相手に。
夜。
「ただいま」と言えるとは限らないことを。
そして。
この夏を境に。
3人にとって。
帰る場所という言葉の意味が、同じではなくなることを。
「遅いよ!海人くん!」
「まだ間に合うわ!」
「間に合うと余裕があるは違うの!」
「朝から元気だね、ふたりとも」
4月。
まだ少し大きな制服を着た3人は、小学生の頃と同じ角に集まり、同じ道を歩いていた。
ランドセルがスクールバッグに変わった。
黄色い帽子もなくなった。
教科書は重くなり、授業時間も長くなった。
それくらいだった。
「海人くん、ネクタイ曲がってる」
「え?」
「動かないで」
陽菜が海人の胸元へ手を伸ばす。
「お前はオカンかよ」
「だって気になるんだもん」
「陽菜、自分のリボンも曲がってるよ」
涼に言われ、陽菜が慌てて自分の胸元を見る。
「嘘!?」
「本当」
「涼くん直して!」
「はいはい」
そう言いながら涼が直してやる。
海人が呆れた。
「お前ら二人ともホント放っておけないよな」
「海人くんがいるから大丈夫!」
「俺がいなくなったらどうするんだよ」
何気なく言った言葉に陽菜が笑った。
「いなくならないでしょ?」
「転校するかもしんないじゃん」
「ダメ」
「なんでお前が決めるんだよ」
「3人でいるって約束したもん」
卒業式の日の約束を、まだ覚えていた。
海人は面倒そうな顔をした。
「はいはい」
涼が笑う。
3人で学校へ向かった。
何も変わっていない。
少なくとも。
春の初めは、そうだった。
宮原家の夕食は、うるさい。
「海人! 醤油取って!」
「目の前じゃん!」
「お母さん今手離せないの!」
「普通に届くじゃん!」
「海人、ついでに俺にも」
「おとんは自分で取れ!」
テレビがついている。
母親が笑っている。
父親が仕事の愚痴を言って、母親に「食事中にやめて」と怒られている。
海人が今日の学校であったことを話せば、両親は笑って話を聞く。
「そういや涼くんと陽菜ちゃん、元気?」
「元気」
「中学でも3人一緒なの?」
「クラスは陽菜だけ別」
「あら、寂しいねぇ」
「朝とか放課後とか、あと休みの日は一緒だし、全然」
父親が笑った。
「仲いいな、ほんと」
「腐れ縁」
「幼馴染だしな、大切にしろよ」
「まぁ、あいつらの面倒見れるの、俺だけだし」
そう言いながら海人は笑っている。
食べ終われば「お皿持ってきて」と言われる。
風呂に入れと言われる。
宿題は終わったのかと聞かれる。
早く寝ろと怒られる。
翌朝になれば。
「いってきます」
「いってらっしゃい!」
それで終わる。
宮原海人にとって家とはそういう場所だった。
明るく少し大雑把でうるさい、だけど何でも言える、そんな両親がいる家。
広瀬家は、静かだった。
「涼」
夕食を食べていた涼が顔を上げる。
「今日のテスト、どうだった?」
「普通だったよ」
「普通って何?」
母親の箸が止まった。
「ちゃんと説明して」
涼も箸を止める。
「……点数は悪くなかった。先生にも褒められたよ」
「それだけ?」
父親が言った。
「お前ならもっとできるだろ」
「うん」
「中学に上がったからって気を抜くなよ。周りも伸びる時期なんだから」
「分かってるよ」
「分かってるならいいけど」
母親が笑う。
優しい笑顔だった。
「涼はその辺の子とは違うんだから」
父親も頷く。
「お父さんたちは、お前のためを思って言ってるんだぞ」
「うん」
「期待してるからな」
「……うん」
それで会話は終わった。
部屋へ戻った涼は、ベッドへ寝転がった。
スマートフォンが震える。
三人のグループだった。
『見て!』
陽菜から写真が送られてきた。
コンビニで買ったらしいアイス。
当たり棒。
『当たった!!』
続けて海人。
『しょうもな』
『すごいでしょ!』
涼は笑った。
『おめでとう』
すぐに陽菜から返事が来る。
『ありがとう! 明日交換してくる!3人で食べよ!』
『1本しかないじゃん』
『三等分!』
『少な!』
『そんな事言う海人くんにはあげない!』
『別にいらねぇよ!』
『涼くんと半分こする』
『ありがとう、陽菜』
画面を見ながら涼は声を殺して笑った。
階下から母親の声がした。
「涼、明日の朝も早いんだから、スマホばかり見てないで寝なさい」
「……分かってる」
スマートフォンを伏せる。
笑顔が少しだけ消える。
それでも。
枕元には置いたままにした。
早川家はよく笑う家だった。
「お母さん! 今日ね、海人くんが――」
「また海人くん?」
「涼くんも!」
「はいはい」
母親が笑う。
父親は新聞を読みながら言った。
「お父さん最近、その2人の話しか聞いてない気がする」
「だって毎日一緒なんだもん」
「お父さんより好き?」
「うーん」
「悩まないで!?」
母親が吹き出し、陽菜も笑った。
「じゃあ一番はお母さん!」
「お父さんは!?」
「2 番!」
「涼くんと海人くんは?」
「三番!」
「2人まとめて?」
「同じくらい好きだから」
「お父さん、ギリギリ勝ったわ」
「大人げないわよ」
母親が呆れる。
テレビから笑い声が流れる。
食卓にも笑い声がある。
陽菜はその真ん中にいた。
食後には母親と一緒に翌日のお弁当のおかずを考えた。
父親には数学の宿題を見てもらった。
風呂から上がると母親が髪を乾かしてくれた。
「もう中学生なんだから自分でできるよ」
そう言いながら、陽菜は母親の前に座っている。
「じゃあ自分でする?」
「……今日はやって」
「はいはい」
温かい風が髪を揺らす。
父親がリビングから叫んだ。
「陽菜ー! プリン食べるぞー!」
「食べる!」
「お母さんの分も残してよ!」
「3個ある!」
何でもない夜だった。
本当に。
何でもない。
幸せな夜だった。
5月。
6月。
季節は進んだ。
3人は相変わらずだった。
学校帰りにコンビニへ寄って、3人でアイスを食べた。
テストの点数を見せ合った。
雨の日には1本の傘へ無理やり3人で入った。
「狭い!」
「陽菜が真ん中入りすぎなんだよ!」
「だって濡れる!」
「僕もう肩びしょびしょやけど」
「羊くんもっとこっち!」
「押すなって!」
結局3 人とも濡れて陽菜の家へ逃げ込んだ。
「まあ! びしょびしょじゃない!」
陽菜の母親が大笑いして、3人分のタオルを出してくれる。
「風邪ひくから着替えなさい。2人とも、お父さんのTシャツでいい?」
「ありがとうございます」
「すみません」
「気にしない気にしない」
しばらくして2人は大きすぎるTシャツを着て、リビングに並んで座っていた。
温かいココアが3つ並ぶ。
陽菜の父親が帰宅すると、3人を見て笑った。
「なんだこれ」
「三つ子!」
陽菜が笑って答える。
「誰がだよ!」
「私たち!」
「似てなくない?」
「今日から三つ子!」
「勝手に兄弟にすんな!」
その夜、雨が止むまで。
3人は陽菜の家で笑っていた。
夏休みが近づいた頃だった。
その日も朝は普通だった。
「行ってきます!」
陽菜が玄関を飛び出す。
「走らない!」
母親の声が響く。
「はーい!」
「帰り遅くなるなら連絡してね!」
「分かった!」
「陽菜!」
今度は父親だった。
「何?」
「いってらっしゃい」
陽菜が笑う。
「いってきます!」
ドアが閉まった。
いつもの角まで走る。
そこには涼と海人がいた。
「遅い」
「ごめん!」
「また寝坊?」
涼が聞く。
「違うもん。髪決まらなかったの」
「知らねぇよ!」
「女の子には大事なの!」
「そうだよ海人。
陽菜の今日の髪、可愛いじゃん」
「やっぱり涼くん優しい!」
「陽菜を甘やかすな!」
3人で歩き出す。
その日の放課後も3人で帰った。
「じゃあ明日ね!」
陽菜が手を振る。
「おう」
「また明日」
涼と海人も手を振った。
陽菜は家へ帰ると元気に叫ぶ。
「ただいま!」
「おかえり」
母親がいた。
父親も。
夕食を食べた。
笑った。
翌日の予定を話した。
おやすみと言った。
それが最後の。
何でもない夜になった。
翌日の夕方。
涼のスマートフォンに、海人から電話がかかってきた。
「もしもし、海人?」
返事がない。
「……海人?」
やがて、聞いたことのない声で。
海人が言った。
「……涼」
涼は起き上がった。
「……何?」
「……陽菜の親」
そこで、
海人の声が止まった。
「事故に遭ったらしい」
涼は何も言えなかった。
窓の外では。
蝉が鳴いていた。
昨日と何も変わらない夏の夕方だった。
「……陽菜は?」
「病院」
海人が答える。
「俺、今から行く」
「僕も行く」
「おう」
電話を切ると、涼は部屋を飛び出した。
それまで3人とも知らなかった。
昨日まであったものが。
今日もあるとは限らないことを。
朝。
「いってきます」と言った相手に。
夜。
「ただいま」と言えるとは限らないことを。
そして。
この夏を境に。
3人にとって。
帰る場所という言葉の意味が、同じではなくなることを。


