「朔にも連絡しといた」
「え?」
「え、じゃなくて」
蓮くんが肩をすくめる。
「胡桃ちゃん、危なっかしいからな」
「う……」
反論できない。
しかも朔まで来るとなると、かなり本格的だ。
「僕も行きます」
ふわっとした声がして、今度は天瀬いおりくんが顔をのぞかせた。
相変わらず可愛い笑顔。
でも今日は、少しだけ目が笑っていない気がした。
「先輩が危ないところ行くなら、放っておけないです」
「いおりまで……」
「後輩の愛です」
にこにこしながら言うけれど、その言葉のわりに空気が妙に重い。
「だめだ」
氷河ノ先輩がはっきり言った。
「今回はお前は来るな」
「えー、なんでですか」
「足手まといになる」
「ひどい」
口ではそう言いながらも、いおりくんはあっさり引き下がらない。
むしろ、じっと先輩を見上げていた。
「……先輩だけに任せるの、不安なんですけど」
「何が言いたい」
「別に?」
ふわっと笑う。
なのに、二人の間にだけ見えない火花が散った気がした。
「とにかく、胡桃は俺が預かる」
氷河ノ先輩がそう言った瞬間。
「……預かる?」
なぜか、いおりくんの声が少しだけ低くなった。
「その言い方、嫌です」
「は?」
「胡桃先輩は物じゃないですよ」
「そんな意味で言ってない」
「でもそう聞こえました」
空気がぴんと張る。
え、え。
なんで。
どうしていきなりこんなに怖い雰囲気になるの。
「ちょ、ちょっと待って、ふたりとも仲良くしてくださいっ」
私があわてて間に入ると、いおりくんはぱっと笑顔に戻った。
「胡桃先輩がそう言うなら」
早い。
切り替えが早すぎる。
でも氷河ノ先輩は、まだどこか警戒したままいおりくんを見ていた。
「七時に旧資料棟前だ」
短く言って、先輩は私の手首を軽く引く。
「帰る準備しろ。時間まで一人にしない」
「えっ、今からですか!?」
「当然だろ」
「当然じゃないです!」
けれど先輩は聞く気ゼロで、私はそのまま半ば強制的に連れていかれることになった。
そして夜七時。
旧資料棟は、昼間よりずっと不気味だった。
古びた三階建ての建物。
明かりはほとんどなく、窓ガラスはところどころくもっている。
風が吹くたび、どこかでぎしりといやな音がした。
「こわい……」
「今さらか」
隣で氷河ノ先輩が小さく息をつく。
「怖いなら俺の後ろにいろ」
「だ、大丈夫です。私だって」
「強がるな」
すぐに言い返されて、私はむっとした。
「強がってません」
「じゃあ手、震えてるのは何だ」
「……これは、その、ちょっと寒いだけです」
「嘘つけ」
先輩が私の手に触れる。
ひやっとした指先に包まれて、心臓が大きく跳ねた。
「冷えてる」
「ひゃっ」
「静かにしろ」
そう言いながら、先輩は自然な動作で私の手を握った。
「……っ」
だめだ。
こんなの、落ち着けるわけがない。
「氷河、ちゃっかりしとるなぁ」
背後から聞こえた声に、私はさらに飛び上がりそうになった。
蓮くんと朔が、暗がりから姿を現す。
「遅い」
氷河ノ先輩が言う。
「悪い悪い。見回りの先生おってん」
蓮くんは軽く手を振ったあと、私と先輩のつないだ手を見てにやりとした。
「ほんで、何それ」
「うるさい」
「胡桃、平気か」
朔が私だけを見る。
相変わらず無口で、表情もほとんど変わらない。
でもその一言だけで、少しだけ肩の力が抜けた。
「う、うん。たぶん」
「たぶんかよ」
蓮くんが笑う。
そのとき。
ぎぃ、と旧資料棟の扉が、ひとりでに開いた。
全員の空気が一気に変わる。
「……行くぞ」
氷河ノ先輩の声とともに、私たちは建物の中へ足を踏み入れた。
中は古い紙の匂いがした。
薄暗い廊下の両側に、閉ざされた教室と資料室が並んでいる。
誰かがいる気配は、まだない。
「Rって何やと思う?」
小声で蓮くんが聞く。
「わからない。でも氷河は知ってそうだった」
朔の言葉に、先輩は少しだけ目を細めた。
「昔、この学園の裏で動いてたグループの頭文字だ」
「グループ……?」
私は思わず先輩を見上げた。
「その名も、ローズ」
「ローズ……?」
なんだか綺麗な名前なのに、先輩の声は少しもやさしくない。
「表向きは生徒同士の助け合い組織。でも実際は違った。学園の中で情報を集めて、人を操って、自分たちに邪魔なものを消す」
「こわ……」
「数年前に消えたはずだった」
朔が低くつぶやく。
「なのに今さら動いてるってことか」
その瞬間。
二階の廊下で、何かがかすかにきらめいた。
「誰かいる!」
私が叫ぶより早く、氷河ノ先輩が前に出る。
駆け上がる足音。
追いかける私たち。
二階へ上がったとき、廊下の突き当たりに白い影が見えた。
長い髪。
制服の裾。
そして、こちらを振り返る横顔。
「……九条先輩!?」
思わず声が出る。
でもその人影は、ふっと笑った気がした次の瞬間、角の向こうへ消えた。
「待て!」
氷河ノ先輩が走る。
私も必死でついていこうとして、そのとき。
ぐい、と腕をつかまれた。
「えっ」
振り返る。
誰もいないはずの暗がりから、ぬっと伸びた手が私を引いた。
「きゃ……っ!」
「胡桃!」
先輩たちの声が遠くなる。
廊下の脇の古い資料室へ、私は勢いよく引きずりこまれた。
扉が閉まる。
真っ暗だ。
「だ、誰――」
「静かにしてください、先輩」
耳元で、ふわっと甘い声がした。
「……いおり、くん?」
暗闇の中、天瀬いおりくんの顔が、すぐ近くにあった。
にこっと笑っている。
でもその目は、ぞくっとするほど冷たかった。
「こんな簡単に一人になるなんて」
やわらかい声が、闇の中で静かに落ちる。
「やっぱり先輩、無防備すぎます」
「え?」
「え、じゃなくて」
蓮くんが肩をすくめる。
「胡桃ちゃん、危なっかしいからな」
「う……」
反論できない。
しかも朔まで来るとなると、かなり本格的だ。
「僕も行きます」
ふわっとした声がして、今度は天瀬いおりくんが顔をのぞかせた。
相変わらず可愛い笑顔。
でも今日は、少しだけ目が笑っていない気がした。
「先輩が危ないところ行くなら、放っておけないです」
「いおりまで……」
「後輩の愛です」
にこにこしながら言うけれど、その言葉のわりに空気が妙に重い。
「だめだ」
氷河ノ先輩がはっきり言った。
「今回はお前は来るな」
「えー、なんでですか」
「足手まといになる」
「ひどい」
口ではそう言いながらも、いおりくんはあっさり引き下がらない。
むしろ、じっと先輩を見上げていた。
「……先輩だけに任せるの、不安なんですけど」
「何が言いたい」
「別に?」
ふわっと笑う。
なのに、二人の間にだけ見えない火花が散った気がした。
「とにかく、胡桃は俺が預かる」
氷河ノ先輩がそう言った瞬間。
「……預かる?」
なぜか、いおりくんの声が少しだけ低くなった。
「その言い方、嫌です」
「は?」
「胡桃先輩は物じゃないですよ」
「そんな意味で言ってない」
「でもそう聞こえました」
空気がぴんと張る。
え、え。
なんで。
どうしていきなりこんなに怖い雰囲気になるの。
「ちょ、ちょっと待って、ふたりとも仲良くしてくださいっ」
私があわてて間に入ると、いおりくんはぱっと笑顔に戻った。
「胡桃先輩がそう言うなら」
早い。
切り替えが早すぎる。
でも氷河ノ先輩は、まだどこか警戒したままいおりくんを見ていた。
「七時に旧資料棟前だ」
短く言って、先輩は私の手首を軽く引く。
「帰る準備しろ。時間まで一人にしない」
「えっ、今からですか!?」
「当然だろ」
「当然じゃないです!」
けれど先輩は聞く気ゼロで、私はそのまま半ば強制的に連れていかれることになった。
そして夜七時。
旧資料棟は、昼間よりずっと不気味だった。
古びた三階建ての建物。
明かりはほとんどなく、窓ガラスはところどころくもっている。
風が吹くたび、どこかでぎしりといやな音がした。
「こわい……」
「今さらか」
隣で氷河ノ先輩が小さく息をつく。
「怖いなら俺の後ろにいろ」
「だ、大丈夫です。私だって」
「強がるな」
すぐに言い返されて、私はむっとした。
「強がってません」
「じゃあ手、震えてるのは何だ」
「……これは、その、ちょっと寒いだけです」
「嘘つけ」
先輩が私の手に触れる。
ひやっとした指先に包まれて、心臓が大きく跳ねた。
「冷えてる」
「ひゃっ」
「静かにしろ」
そう言いながら、先輩は自然な動作で私の手を握った。
「……っ」
だめだ。
こんなの、落ち着けるわけがない。
「氷河、ちゃっかりしとるなぁ」
背後から聞こえた声に、私はさらに飛び上がりそうになった。
蓮くんと朔が、暗がりから姿を現す。
「遅い」
氷河ノ先輩が言う。
「悪い悪い。見回りの先生おってん」
蓮くんは軽く手を振ったあと、私と先輩のつないだ手を見てにやりとした。
「ほんで、何それ」
「うるさい」
「胡桃、平気か」
朔が私だけを見る。
相変わらず無口で、表情もほとんど変わらない。
でもその一言だけで、少しだけ肩の力が抜けた。
「う、うん。たぶん」
「たぶんかよ」
蓮くんが笑う。
そのとき。
ぎぃ、と旧資料棟の扉が、ひとりでに開いた。
全員の空気が一気に変わる。
「……行くぞ」
氷河ノ先輩の声とともに、私たちは建物の中へ足を踏み入れた。
中は古い紙の匂いがした。
薄暗い廊下の両側に、閉ざされた教室と資料室が並んでいる。
誰かがいる気配は、まだない。
「Rって何やと思う?」
小声で蓮くんが聞く。
「わからない。でも氷河は知ってそうだった」
朔の言葉に、先輩は少しだけ目を細めた。
「昔、この学園の裏で動いてたグループの頭文字だ」
「グループ……?」
私は思わず先輩を見上げた。
「その名も、ローズ」
「ローズ……?」
なんだか綺麗な名前なのに、先輩の声は少しもやさしくない。
「表向きは生徒同士の助け合い組織。でも実際は違った。学園の中で情報を集めて、人を操って、自分たちに邪魔なものを消す」
「こわ……」
「数年前に消えたはずだった」
朔が低くつぶやく。
「なのに今さら動いてるってことか」
その瞬間。
二階の廊下で、何かがかすかにきらめいた。
「誰かいる!」
私が叫ぶより早く、氷河ノ先輩が前に出る。
駆け上がる足音。
追いかける私たち。
二階へ上がったとき、廊下の突き当たりに白い影が見えた。
長い髪。
制服の裾。
そして、こちらを振り返る横顔。
「……九条先輩!?」
思わず声が出る。
でもその人影は、ふっと笑った気がした次の瞬間、角の向こうへ消えた。
「待て!」
氷河ノ先輩が走る。
私も必死でついていこうとして、そのとき。
ぐい、と腕をつかまれた。
「えっ」
振り返る。
誰もいないはずの暗がりから、ぬっと伸びた手が私を引いた。
「きゃ……っ!」
「胡桃!」
先輩たちの声が遠くなる。
廊下の脇の古い資料室へ、私は勢いよく引きずりこまれた。
扉が閉まる。
真っ暗だ。
「だ、誰――」
「静かにしてください、先輩」
耳元で、ふわっと甘い声がした。
「……いおり、くん?」
暗闇の中、天瀬いおりくんの顔が、すぐ近くにあった。
にこっと笑っている。
でもその目は、ぞくっとするほど冷たかった。
「こんな簡単に一人になるなんて」
やわらかい声が、闇の中で静かに落ちる。
「やっぱり先輩、無防備すぎます」



