これは、本当は昨日走った私に向けられた言葉だって、琴葉も分かっているはずだ。
それでも、彼女は素直に喜んでいる。その健気さが、見えない分だけ余計に胸に刺さった。
私は、少し考えてから指を動かす。
【『ありがとう、そうする』でいいと思うよ】
送信して、スマホを伏せる。
嬉しそうな琴葉の顔が、目に浮かぶ。それなのに、なぜか返事を打った指先が重かった。
◇
朝ご飯のあと、母が私の部屋に入ってきた。手には、マスクとのど飴と、咳止めシロップの小瓶。
「先生、十四時頃来るって。それまでに、病人の準備をしておかないとね」
「……病人の準備って、本気?」
「本気よ。マスクをして、ときどき咳をすればいいわ。パジャマは、そのままでいいから」
母は、そう言ってから声を落とした。
「ごめんね、彩葉に、こんなことさせて」
「べつに、平気だよ。ゲームみたいで、ちょっと楽しいし」
わざと明るく言うと、母は少しだけ困ったように笑った。
言われるまま、マスクをつける。鏡を見ると、ぴんぴんに元気なのに、なぜか、病人みたいな顔をした自分がいた。
「ぷっ」
「笑わないの。先生の前では、咳が抜けなくて、だるいフリをしてね」
「はーい……」
母は、部屋をぐるりと見回した。
「制服とウィッグ、ちゃんと隠しておいてね」
「あ、そうだった」
慌てて、クローゼットを開ける。
紺色のブレザーは、押し入れの奥へ。琴葉のノートは、ベッドの下へ。ウィッグの箱も、クローゼットの一番奥へしまいこんだ。
「よし。これで、完璧」
そう思っていたのは、このときだけだった。



