言いかけて、加賀見くんは一瞬、言葉を止めた。
「……椎名さん。ありがとな」
言い直した声は、いつもと変わらなかった。
でも、今の一瞬の間は、何だったんだろう。噛んだだけ、にしては、妙な止まり方だった。
「?」
「いや、なんでもない」
加賀見くんは、ぶっきらぼうに言って、目をそらした。
たったそれだけの言葉で、強張っていた体から、力がふっと抜けた気がした。
今の引っかかりは気のせいだと、自分に言い聞かせる。
北条さんが、ぱんと手を叩いた。
「よし、じゃあバトンも見つかったし、明日に備えて解散しよう!」
ほっとしたような空気が、部屋の中に、じわりと広がる。
それでも、宮川さんだけは、最後まで一度も私のほうを見なかった。
◇
その夜、ノートの数字を書き換えた。
【選考日まで あと35】
星印の横に、二重丸。今日は、少しだけ顔を上げて、丸をつけた。
そのとき、スマホが震えた。母からのメッセージだった。
『彩葉の学校の担任の先生が、日曜の部活の帰りに、お見舞いに寄ってくださるそうよ。友達からの寄せ書きも、預かってるって』
……日曜。体育祭の、次の日。
先生が、家に来るの?
画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
病気で寝ているはずの子が、全身筋肉痛で、カニ歩きをしていたら。先生は、どう思うだろう。
想像してちょっとだけ笑って、それから、すぐに笑えなくなった。
寄せ書き。バスケ部のみんなが、私のために書いてくれた言葉。読む勇気は、まだなかった。
明日は、体育祭本番。琴葉のフリを始めて、初めての大舞台だ。
──ちゃんと、乗り切れるよね?
窓の外に浮かぶ月に、そう問いかけてみたけれど、答えてくれるはずもなかった。



