このまま、「棚の奥に落ちてました」と言って、渡すだけなら。
そんなずるい考えが、するりと頭に入りこんできた。
誰が落としたかなんて、誰にも分からない。
宮川さんの疑いは晴れるし、琴葉の評判にも傷はつかない。
それに、選考まで、もうそんなに日は残っていない。
ここで「椎名琴葉」が失敗したと思われたら、残りの毎日が全部、難しくなるかもしれない。
だけど、バトンを握った手が、なかなか動き出さなかった。
──琴葉なら、どうするだろう。
答えは、すぐに分かった。琴葉なら絶対に、自分から言う。迷わずに、頭を下げる。
……なら、これは嘘じゃない。琴葉のフリをして、いちばん琴葉らしいことをするんだ。
私はバトンを握りしめて、会議室に戻った。
ドアを開けると、みんなの視線が一斉に私に集まった。
手の中のバトンを、机の上に置く。かたん、と乾いた音がした。
「棚の奥に、落ちてた。……落としたの、私です。昨日、応援用の箱を運んだとき、ぶつけたのに、気づかなくて」
しん、と会議室が静まりかえった。
時計の秒針の音まで、聞こえそうだった。



