伝えればいい。琴葉が喜ぶ話なのに。
なのに、喉の奥で言葉が止まった。この気持ちに名前をつけるのが、なぜだか怖かった。
「……特に、何も。進行係の仕事の話ばっかりだよ」
「そっか」
ほんの少し、琴葉の声が沈んだ。それから、「おやすみ」と、いつもの静かな声に戻って、電話は切れた。
通話の終わった画面が、暗くなる。
黒い鏡みたいなその画面に、ウィッグを外した短い髪の私が映っていた。
軽くなったはずの胸に、小さな石がひとつ落とされた。琴葉への嘘が、また一つ増えてしまった。
◇
水曜と木曜の放課後は、バトンパスの練習になった。
第三走者の私が、アンカーの加賀見くんに、赤いバトンを渡す。手のひらに、ぱん、と当たる感触。それを、何度も何度も繰り返す。
「今の、ちょっと早い。受け取る前に、俺が加速しすぎた」
「もう一回!」
夕方の風の中で、加賀見くんは、私の走りに合わせて、歩幅を変えてくれた。何本走っても、文句ひとつ言わない。
グラウンドに落ちた二人分の影が、走るたびに、重なったり離れたりする。
バトンが手から手へ渡る一瞬だけ、影がひとつになった。
木曜の練習は、途中で終わった。
「悪い、今日は先に上がる。救護の打ち合わせで、病院に寄らないといけなくて」
校門へ駆けていく背中を、私は見送った。あの人が向かう先に、琴葉がいる。



