「今日ね、初めて病院の廊下を一周歩いたの。窓から、夕焼けが見えたよ」
「そっか。よかった」
窓の外の、藍色の空。琴葉が立っている廊下の景色を、思い浮かべる。
──あの病院は、加賀見くんの家の病院だ。
聞いてみたい。この三日間、何度も思った。面会の帰りにも、メッセージを打つたびにも。
そのたびに、琴葉の細い手首を思い出して、指が止まった。療養中の子に、余計な心配を増やしたくない。
「あのね」
先に口を開いたのは、琴葉だった。
「ここにいるとね、ときどき、考えちゃうの。わたしの席に、もう誰も座ってなかったらどうしよう、って」
「琴葉……」
「ほんとはね、ちょっとだけ、寂しい」
小さな声だった。強がりの琴葉が初めて、私に見せた弱さだった。
「座ってるよ。毎日、私が」
私は、わざと明るく言った。
「あったかくしてあるから」
「……座布団みたいに言わないで」
「約束したでしょ。四十五日たったら、自分の足で戻るって。そのとき席が空いてなかったら、私が椅子ごと、持ってきてあげる」
くすくす、と琴葉が笑った。泣き笑いのような声だった。
「……ありがとう、彩葉ちゃん」
それから琴葉は、少しためらってから言った。
「あの、ね。加賀見くん、何か、言ってた?」
声が、ほんの少しだけ上ずっていた。
……やっぱり。
昨日、『倒れたとき、俺、近くにいたのに、動けなかった』と言った、彼のあの横顔が浮かぶ。



