別拠点へ戻った頃には、もう夜明けが近かった。
なのに誰ひとり休もうとしない。
ホテルで拾った録音。
東條の言葉。
蓮司の反応。
それら全部が、ここで止まるわけにはいかないと告げていた。
机の上に機材が並べられ、伊織がすぐに音声の処理を始める。
私はソファに座らされたけれど、落ち着いてなんていられなかった。
「立たない」
低い声で言われて振り向くと、要がいた。
「でも」
「座ってろ」
短いのに逆らえない。
そのまま隣に腰を下ろされて、私は少しだけ息をつく。
要は何も言わず、私の手に温かい飲み物を持たせた。
指先がまだ少し震えているのを、自分でもわかっていた。
「……ありがと」
「ん」
それだけ。
でも、その何でもないやり取りに救われる。
「取れました」
伊織の声で、部屋の空気が引き締まる。
全員がモニターへ視線を向ける。
ノイズを削られた音声が、静かに流れ始めた。
最初に聞こえたのは、蓮司の声。
「例の件は、もう長く引っ張れない」
続いて東條。
「なら、先にあの娘を押さえるべきだ」
自分のことなのに、第三者みたいに聞こえてしまう。
けれど次の言葉で、そんな余裕は消えた。
「白石の兄が残したものは想定外だった」
蓮司の声が低く響く。
「だが妹まで深入りするとはな」
私は思わず息をのんだ。
やっぱり兄は、何かを残していた。
偶然じゃない。
蓮司たちにとって、消しきれなかった何か。
要の手が、静かに私の手の上へ重なる。
見なくてもわかる。
大丈夫だと言いたいのだと。
録音はまだ続く。
「月影がついている以上、放置は危険だ」
東條の声。
「特に月城要は厄介だ」
「身内に牙を向ける子は、昔から厄介だ」
蓮司が薄く笑う。
「だが、まだ使い道はある」
そこで、恒一が顔をしかめた。
「使い道って何だ」
伊織が音声を少し戻し、波形を拡大する。
そして次の断片を拾った。
「……帳簿だけでは足りない。鍵はまだ娘の側にある」
部屋が凍った。
娘。
それは私だ。
「どういう意味」
声がかすれる。
誰もすぐには答えなかった。
代わりに伊織が、ホテル前までに集めていた資料を数枚並べる。
「白石さんのお兄さんは、亡くなる直前にご自宅へ一度戻っています」
「帰ってたの」
「はい。その後、足取りが途切れています」
私は必死に記憶を探る。
兄が家に戻った日。
私が見たもの。
何か、いつもと違ったこと。
「……部屋」
思わずつぶやく。
要がすぐにこちらを見る。
「何だ」
「お兄ちゃんの部屋、少しだけ変だった」
「どこが」
「机の位置」
自分でも曖昧だと思う。
でも、ずっと引っかかっていた。
「前は窓側に寄ってたのに、その日だけ少しずれてた気がする」
碧が身を乗り出す。
「隠し場所?」
「その可能性は高いですね」
伊織が静かにうなずく。
「兄は何かを自宅に残し、その場所を妹なら気づく前提にしたのかもしれません」
胸がどくんと鳴る。
兄は、私に託したのだろうか。
言葉にできなかった最後の続きとして。
「戻るぞ」
要がすぐに言った。
「家に?」
「今なら向こうも、そこまで完全には読めてない」
恒一が地図を開く。
「だが急いだほうがいい。敵がもう紗菜を狙ってる以上、家も安全じゃない」
私は手の中のカップを強く握った。
怖い。
でも、行くしかない。
そのとき、要が私の顔をのぞき込む。
「行けるか」
さっきまでと同じ問い。
でも今度はもっと重い。
兄の部屋。
兄が最後に残した場所。
そこへ戻る覚悟を問われている。
私はゆっくりうなずいた。
「行く」
「……わかった」
要の声が少しだけやわらぐ。
「今度は絶対、ひとりにしない」
そのひと言が胸に深く落ちる。
伊織が準備を進める間、私は少しだけ目を閉じた。
兄の部屋。
机。
窓。
本棚。
何かある。
きっとある。
すると、不意に要の指先が私の髪に触れた。
みんなが動いている隙の、ほんの一瞬だけ。
「要」
「何だ」
「……怖い」
本音がまた、するりとこぼれる。
要は黙ったまま、私の額に軽く触れた。
キスではない。
でも、それに近いやさしい触れ方だった。
「知ってる」
低い声。
「それでも来るって言ったおまえは強い」
胸が少し熱くなる。
強いわけじゃない。
でも、そう言ってもらえると立てる気がした。
「終わったら」
私が小さく言うと、要が目を細める。
「ん」
「返事の続き、ちゃんとする」
その瞬間、要の表情が止まった。
本当に一瞬だけ。
でも、はっきり揺れた。
「……それ、今言うのか」
「だって」
「本気で離したくなくなる」
かすれた声が甘くて、胸が苦しくなる。
私は少しだけ笑った。
怖いのに、要の前だとこうして笑える自分がいる。
「終わったら、ね」
「約束だぞ」
「うん」
その短い約束が、今は何より支えだった。
なのに誰ひとり休もうとしない。
ホテルで拾った録音。
東條の言葉。
蓮司の反応。
それら全部が、ここで止まるわけにはいかないと告げていた。
机の上に機材が並べられ、伊織がすぐに音声の処理を始める。
私はソファに座らされたけれど、落ち着いてなんていられなかった。
「立たない」
低い声で言われて振り向くと、要がいた。
「でも」
「座ってろ」
短いのに逆らえない。
そのまま隣に腰を下ろされて、私は少しだけ息をつく。
要は何も言わず、私の手に温かい飲み物を持たせた。
指先がまだ少し震えているのを、自分でもわかっていた。
「……ありがと」
「ん」
それだけ。
でも、その何でもないやり取りに救われる。
「取れました」
伊織の声で、部屋の空気が引き締まる。
全員がモニターへ視線を向ける。
ノイズを削られた音声が、静かに流れ始めた。
最初に聞こえたのは、蓮司の声。
「例の件は、もう長く引っ張れない」
続いて東條。
「なら、先にあの娘を押さえるべきだ」
自分のことなのに、第三者みたいに聞こえてしまう。
けれど次の言葉で、そんな余裕は消えた。
「白石の兄が残したものは想定外だった」
蓮司の声が低く響く。
「だが妹まで深入りするとはな」
私は思わず息をのんだ。
やっぱり兄は、何かを残していた。
偶然じゃない。
蓮司たちにとって、消しきれなかった何か。
要の手が、静かに私の手の上へ重なる。
見なくてもわかる。
大丈夫だと言いたいのだと。
録音はまだ続く。
「月影がついている以上、放置は危険だ」
東條の声。
「特に月城要は厄介だ」
「身内に牙を向ける子は、昔から厄介だ」
蓮司が薄く笑う。
「だが、まだ使い道はある」
そこで、恒一が顔をしかめた。
「使い道って何だ」
伊織が音声を少し戻し、波形を拡大する。
そして次の断片を拾った。
「……帳簿だけでは足りない。鍵はまだ娘の側にある」
部屋が凍った。
娘。
それは私だ。
「どういう意味」
声がかすれる。
誰もすぐには答えなかった。
代わりに伊織が、ホテル前までに集めていた資料を数枚並べる。
「白石さんのお兄さんは、亡くなる直前にご自宅へ一度戻っています」
「帰ってたの」
「はい。その後、足取りが途切れています」
私は必死に記憶を探る。
兄が家に戻った日。
私が見たもの。
何か、いつもと違ったこと。
「……部屋」
思わずつぶやく。
要がすぐにこちらを見る。
「何だ」
「お兄ちゃんの部屋、少しだけ変だった」
「どこが」
「机の位置」
自分でも曖昧だと思う。
でも、ずっと引っかかっていた。
「前は窓側に寄ってたのに、その日だけ少しずれてた気がする」
碧が身を乗り出す。
「隠し場所?」
「その可能性は高いですね」
伊織が静かにうなずく。
「兄は何かを自宅に残し、その場所を妹なら気づく前提にしたのかもしれません」
胸がどくんと鳴る。
兄は、私に託したのだろうか。
言葉にできなかった最後の続きとして。
「戻るぞ」
要がすぐに言った。
「家に?」
「今なら向こうも、そこまで完全には読めてない」
恒一が地図を開く。
「だが急いだほうがいい。敵がもう紗菜を狙ってる以上、家も安全じゃない」
私は手の中のカップを強く握った。
怖い。
でも、行くしかない。
そのとき、要が私の顔をのぞき込む。
「行けるか」
さっきまでと同じ問い。
でも今度はもっと重い。
兄の部屋。
兄が最後に残した場所。
そこへ戻る覚悟を問われている。
私はゆっくりうなずいた。
「行く」
「……わかった」
要の声が少しだけやわらぐ。
「今度は絶対、ひとりにしない」
そのひと言が胸に深く落ちる。
伊織が準備を進める間、私は少しだけ目を閉じた。
兄の部屋。
机。
窓。
本棚。
何かある。
きっとある。
すると、不意に要の指先が私の髪に触れた。
みんなが動いている隙の、ほんの一瞬だけ。
「要」
「何だ」
「……怖い」
本音がまた、するりとこぼれる。
要は黙ったまま、私の額に軽く触れた。
キスではない。
でも、それに近いやさしい触れ方だった。
「知ってる」
低い声。
「それでも来るって言ったおまえは強い」
胸が少し熱くなる。
強いわけじゃない。
でも、そう言ってもらえると立てる気がした。
「終わったら」
私が小さく言うと、要が目を細める。
「ん」
「返事の続き、ちゃんとする」
その瞬間、要の表情が止まった。
本当に一瞬だけ。
でも、はっきり揺れた。
「……それ、今言うのか」
「だって」
「本気で離したくなくなる」
かすれた声が甘くて、胸が苦しくなる。
私は少しだけ笑った。
怖いのに、要の前だとこうして笑える自分がいる。
「終わったら、ね」
「約束だぞ」
「うん」
その短い約束が、今は何より支えだった。



