深夜二時。
湾岸の倉庫街は、昼とはまるで別の場所みたいだった。
潮のにおいを含んだ風が、静かな道路をすべっていく。
人気はない。
けれど、静かすぎるその空気が逆に何かを隠しているようで、胸の奥が落ち着かなかった。
少し離れた場所に車を止め、月影は予定どおり二手に分かれる。
恒一と碧が表側。
伊織は通信の補助。
そして私と要は、二階の外階段から中を探る役だった。
「行く前に」
低い声で呼ばれて振り向く。
他のみんなが準備に意識を向けている隙に、要が私の手首をそっと引いた。
建物の影。
外灯の届きにくい暗がり。
ふたりだけが切り取られたみたいな小さな空間だった。
「要……?」
「少しだけ」
またその言い方。
短いのに逆らえない。
要は私を見下ろしたまま、少しだけ眉を寄せる。
「顔が強がってる」
「そんなの見たらわかるの」
「おまえのは全部わかる」
さらっと言われて、胸が熱くなる。
でも今は照れている場合じゃない。
「大丈夫だよ」
そう言ってみても、要は納得しなかった。
「大丈夫でも、怖いなら怖いって思っとけ」
静かな声。
責めるような強さじゃなくて、受け止めるための言い方だった。
「無理に平気なふりするな」
そのひと言に、張りつめていたものが少しだけ緩む。
「……怖いよ」
やっと本音が落ちた。
夜も、倉庫も、黒幕も。
兄の真実に近づくことさえ、正直怖い。
「でも行きたい」
要の目が、まっすぐ私を見つめる。
「知りたいから」
「うん」
「要と一緒に」
言い終わった瞬間、自分で顔が熱くなるのがわかった。
こんなときに言うことじゃないかもしれない。
でも、これも本音だった。
要は一瞬だけ息を止めて、それからひどく甘い目をした。
「今、そういうこと言うな」
「え」
「連れて帰りたくなる」
低くこぼれたその声に、心臓が強く鳴る。
次の瞬間、要の手が私の頬に触れた。
ひんやりした夜の中で、その指先だけが熱い。
「終わったら」
要がゆっくり言う。
「今日はちゃんと、返事の続き聞く」
「続きって……」
「まだ足りない」
真顔で言うから、余計にどきどきする。
「おまえがどこまで俺を好きになってるのか、ちゃんと聞く」
そんなの、今ここで言われたらまともに呼吸もできない。
「要ってほんと……」
「ずるい?」
「うん」
「知ってる」
少し笑ったあと、要はそっと額にキスを落とした。
やさしい。
でもそのやさしさが、逆に離れがたくなる。
「行くぞ」
短く言って、要は手を差し出す。
私は迷わずその手を取った。
建物の外階段は古く、ひと足ごとに小さく軋んだ。
夜の静けさの中では、それさえ大きく響く気がする。
私は要の少し後ろを歩きながら、手すりではなく彼の背中を見つめていた。
頼りたい。
守られたい。
でも同時に、ちゃんと隣に立てる自分でいたい。
二階の通路に上がると、要が片手を上げて合図する。
止まれ。
私は息を止めて足を止めた。
奥の窓から、かすかに灯りが漏れている。
人の気配。
誰かいる。
通信機から小さく伊織の声が入る。
「表側にも動きありです。予定どおり中に人がいます」
恒一の低い声が続く。
「こっちは注意引く。そっちは見つかるなよ」
要は短く了解を返し、私のほうを振り向く。
その目が暗がりの中で鋭く光る。
「俺の後ろ」
小さくうなずくと、要は私の手を一度だけ強く握ってから離した。
その一瞬で、大丈夫だと言われた気がした。
窓の近くまで、足音を殺して進む。
中をそっとのぞくと、広い倉庫の一角に机があり、数人の男たちが資料を広げていた。
その中心にいるのは、年上の男。
整ったスーツ姿。
冷たい横顔。
画面で見た人物と同じ雰囲気をまとっている。
月城蓮司。
思わず息が止まる。
兄の最期につながる男。
要の叔父。
そして、この闇の中心にいる人間。
その隣に、もう一人立っていた。
帽子を深く被っていて顔は見えにくい。
でも体格。
動き方。
映像に映っていた影と似ている。
私は思わず要の袖をつかんだ。
要がすぐに目だけで問い返す。
私は小さくうなずく。
たぶん、あの人だ。
そのときだった。
下のほうで、わずかに物音がした。
表側だ。
恒一たちが動いたのか、それとも相手が気づいたのか。
倉庫内の空気が一気に変わる。
月城蓮司が顔を上げた。
「……来たか」
低い声が、窓越しに届く。
知っていたみたいな言い方に、背筋が冷たくなる。
次の瞬間、帽子の男がこちらを向いた。
暗がりの中でも、その視線だけははっきり感じる。
見つかった。
要がすぐに私の肩を抱き寄せる。
「下がれ」
耳元の声は低いのに、ひどく落ち着いていた。
でもその腕には、隠しきれない強さがこもっている。
倉庫の扉が内側から開く音。
足音。
夜が、一気にこちらへ迫ってくる。
けれど私は、要の腕の中で目をそらさなかった。
逃げないと決めたから。
この先にある真実を、自分の目で見ると決めたから。
そして要もまた、私を守りながら前を向いていた。
湾岸の倉庫街は、昼とはまるで別の場所みたいだった。
潮のにおいを含んだ風が、静かな道路をすべっていく。
人気はない。
けれど、静かすぎるその空気が逆に何かを隠しているようで、胸の奥が落ち着かなかった。
少し離れた場所に車を止め、月影は予定どおり二手に分かれる。
恒一と碧が表側。
伊織は通信の補助。
そして私と要は、二階の外階段から中を探る役だった。
「行く前に」
低い声で呼ばれて振り向く。
他のみんなが準備に意識を向けている隙に、要が私の手首をそっと引いた。
建物の影。
外灯の届きにくい暗がり。
ふたりだけが切り取られたみたいな小さな空間だった。
「要……?」
「少しだけ」
またその言い方。
短いのに逆らえない。
要は私を見下ろしたまま、少しだけ眉を寄せる。
「顔が強がってる」
「そんなの見たらわかるの」
「おまえのは全部わかる」
さらっと言われて、胸が熱くなる。
でも今は照れている場合じゃない。
「大丈夫だよ」
そう言ってみても、要は納得しなかった。
「大丈夫でも、怖いなら怖いって思っとけ」
静かな声。
責めるような強さじゃなくて、受け止めるための言い方だった。
「無理に平気なふりするな」
そのひと言に、張りつめていたものが少しだけ緩む。
「……怖いよ」
やっと本音が落ちた。
夜も、倉庫も、黒幕も。
兄の真実に近づくことさえ、正直怖い。
「でも行きたい」
要の目が、まっすぐ私を見つめる。
「知りたいから」
「うん」
「要と一緒に」
言い終わった瞬間、自分で顔が熱くなるのがわかった。
こんなときに言うことじゃないかもしれない。
でも、これも本音だった。
要は一瞬だけ息を止めて、それからひどく甘い目をした。
「今、そういうこと言うな」
「え」
「連れて帰りたくなる」
低くこぼれたその声に、心臓が強く鳴る。
次の瞬間、要の手が私の頬に触れた。
ひんやりした夜の中で、その指先だけが熱い。
「終わったら」
要がゆっくり言う。
「今日はちゃんと、返事の続き聞く」
「続きって……」
「まだ足りない」
真顔で言うから、余計にどきどきする。
「おまえがどこまで俺を好きになってるのか、ちゃんと聞く」
そんなの、今ここで言われたらまともに呼吸もできない。
「要ってほんと……」
「ずるい?」
「うん」
「知ってる」
少し笑ったあと、要はそっと額にキスを落とした。
やさしい。
でもそのやさしさが、逆に離れがたくなる。
「行くぞ」
短く言って、要は手を差し出す。
私は迷わずその手を取った。
建物の外階段は古く、ひと足ごとに小さく軋んだ。
夜の静けさの中では、それさえ大きく響く気がする。
私は要の少し後ろを歩きながら、手すりではなく彼の背中を見つめていた。
頼りたい。
守られたい。
でも同時に、ちゃんと隣に立てる自分でいたい。
二階の通路に上がると、要が片手を上げて合図する。
止まれ。
私は息を止めて足を止めた。
奥の窓から、かすかに灯りが漏れている。
人の気配。
誰かいる。
通信機から小さく伊織の声が入る。
「表側にも動きありです。予定どおり中に人がいます」
恒一の低い声が続く。
「こっちは注意引く。そっちは見つかるなよ」
要は短く了解を返し、私のほうを振り向く。
その目が暗がりの中で鋭く光る。
「俺の後ろ」
小さくうなずくと、要は私の手を一度だけ強く握ってから離した。
その一瞬で、大丈夫だと言われた気がした。
窓の近くまで、足音を殺して進む。
中をそっとのぞくと、広い倉庫の一角に机があり、数人の男たちが資料を広げていた。
その中心にいるのは、年上の男。
整ったスーツ姿。
冷たい横顔。
画面で見た人物と同じ雰囲気をまとっている。
月城蓮司。
思わず息が止まる。
兄の最期につながる男。
要の叔父。
そして、この闇の中心にいる人間。
その隣に、もう一人立っていた。
帽子を深く被っていて顔は見えにくい。
でも体格。
動き方。
映像に映っていた影と似ている。
私は思わず要の袖をつかんだ。
要がすぐに目だけで問い返す。
私は小さくうなずく。
たぶん、あの人だ。
そのときだった。
下のほうで、わずかに物音がした。
表側だ。
恒一たちが動いたのか、それとも相手が気づいたのか。
倉庫内の空気が一気に変わる。
月城蓮司が顔を上げた。
「……来たか」
低い声が、窓越しに届く。
知っていたみたいな言い方に、背筋が冷たくなる。
次の瞬間、帽子の男がこちらを向いた。
暗がりの中でも、その視線だけははっきり感じる。
見つかった。
要がすぐに私の肩を抱き寄せる。
「下がれ」
耳元の声は低いのに、ひどく落ち着いていた。
でもその腕には、隠しきれない強さがこもっている。
倉庫の扉が内側から開く音。
足音。
夜が、一気にこちらへ迫ってくる。
けれど私は、要の腕の中で目をそらさなかった。
逃げないと決めたから。
この先にある真実を、自分の目で見ると決めたから。
そして要もまた、私を守りながら前を向いていた。



