エタってしまった小説の世界で、ヤンデレ化した勇者が離してくれません。~聖女と呼ばれ執愛されていますが……読者です!~

後に残ったのは、紗希と氷の破片と無言のエギル。
そこにはまったく交差せぬ二つの価値観が気不味い空気に沈んでいる。

悪辣勇者。そんな肩書きは字面で読むだけなら現実味がなく直視出来た。
しかしフィルターのない生身の彼の感情の前には倫理という壁が立ちはだかった。その奥には、とても複雑で、荒々しく、のたうち回るような愛情表現が痛々しく存在しているというのに。

この世界で、あの勇者を結末に導くなど自分に出来るのだろうか。
大それたことを約束してしまったように思え、紗希は気が遠くなる。

出だしからこんな事で大丈夫だろうか。

――――バルトの姿が消えた部屋で、紗希は氷の蜘蛛へ憐憫の眼差しを向け見下ろした。長い脚は氷柱のようで、それらから白い上気が上に伸びてゆらゆらと空気に溶けてゆく。


今はバルトのことを考えることができず、ふと、膝を折り屈み込んだ。

「あつっ……」

指先を伸ばし蜘蛛に触れてみると思いの外、鋭い痛みが走る。
まるでドライアイス。氷の蜘蛛はそれほどに冷たかった。


「――エギルさん。これってもう死んでいるんですか……?」

「いえ。水属性の魔法が得意なバルト様のことですので芯から凍らせていると思います。ですので、厳密にはまだ死んでいません」

氷漬けにされているが、生きているのか。
紗希は反射的に瞬間冷凍を想像した。まだ細胞も砕けたことを認識していないというレベルなら希望がある。

「くっつけたら元に戻るということでしょうか?」

自分を慰めるための口実のような、根拠のない安直な事を口にしていた。このまま何もアクションを起こさず放置する事などできなかったのだ。

「溶けたら死ぬということです。ただ組み立てたところで意味はありません。かたちを作り、一気に溶かすと同時に治癒魔法をかければ……運がよければ可能といったところですね。時間が経つと成功率は下がります」

エギルの説明になるほどと独言る。

成形、解凍、治癒。工程に複雑さは見られない。とにかく時間が成功を左右するということか。
紗希は砕けた氷の破片を見ては、一瞬の躊躇してを眉根に刻んだあとエギルに問う。

「確かエギルさんの種族はサラマンダーとも言われてましたよね?溶かすことって出来たりしますか?」

紗希の視線はエギルの燃える尻尾に視線は落ちていた。

バルトとの会話から察するに彼女はサキュバスとサラマンダーの血を引く。とはいえ現代ファンタジーのイメージがこの世界で通用するのかは分からないけれども。

「可能です」

エギルは頷き短く答えた。
なら、やるしかないだろう。

「もし完成出来たら、解凍と治癒魔法をお願いしていいですか?」