「――その蜘蛛って、本当に白い糸を吐くんですか……」
紫色の泡を吹く蜘蛛はビクビクと小刻みに痙攣し、今にも息絶えようとしていた。
”糸だけ採ってきます”ぐらいの意味合いで”狩ってきた”のかと思えば、蜘蛛自体を生け捕りにしてくるなど規格外過ぎる。
しかもせっかく捕まえてきたにも関わらず、くだらない理由で叩き落として瀕死に至らしめるというバルトの荒々しさに、紗希は一歩引いた心で訝し気な視線をやった。
しかし当のバルトはこちらの視線に目もくれずエギルに指示を出している。
「この蜘蛛から糸を絞れるだけ搾り取れ。そのあとは無駄なく処理しろ」
「承知しました」
「大体どれぐらいで布地は出来そうだ?」
「五分もあれば可能です。しかし霊蟲公からまた苦言が入りそうですが、いかがなさいますか?」
「言わせておけ。どうせ何もしなくともこの種は共食いして勝手に数が減ってるだろ。あの爺さんは俺に難癖つけたいだけだ」
「自分への当てつけだとも訴えていますが……」
「知るか。仮に、たかが蜘蛛一匹で騒ぐようなら、あいつを俺の前に引き摺り出してこい」
そんな物騒なやり取りを聞いて、紗希は”処理”という言葉に妙な居心地の悪さを覚える。
「まさか糸を採り終えたら殺すつもりですか?」
真偽を確かめるべく問うと、バルトの代わりにエギルが答えた。
「はい。治癒魔法をかけながら生かさず殺さず糸を取り出したあと、剛鉄の外装や目玉など素材として利用出来るところは回収したのち処分いたします。それがどうかされましたか?」
なんてことのない、家畜の処理と変わらない行為であるような説明だった。
しかしこの蜘蛛がこれから死ぬ理由はドレスのため。これらが紗希には食肉としての殺生とは似て非なる行為に思え、直ぐに納得出来る感じがしなかった。
それもこれも、幼少期に事故で亡くなった母の姿が過ったからだろう。
綺麗な部分だけ取り出され、消費尽くされたあとは残った不要と捨てられる。どこか重なる。
――あぁ、なるほど。
居心地の悪さの正体が分かり、紗希は呼吸を一つ置くとバルトへ向かって言った。
「――バルトさん。折角捕まえてきてもらったのに申し訳ないんですが、やっぱり白いドレスは要りません」
嫌な思い出が蘇り、それをかき消すために口にしていた。
「なぜですか?」
ようやくエギルから視線が外れ、バルトは困惑を露わに紫水晶の瞳を揺らし紗希を見つめる。
「……余剰品を作るために消費するのは苦手なんです。殺すなんてとても……」
紗希の母は美しく優しい人だったが、父はろくでなしだった。子供が出来ると途端に母に見向きもしなくなり、離婚して若い女性と同棲を始めたという。
養育費だけは払われたが、父は一度も紗希に会いたいとは言わなかった。
父は愛でなく、ただ自分を飾るものが欲しかっただけ。だからきっと紗希を捨てたのだ。
蜘蛛と母、一見なんの関係もないようだが、しかし”装飾品”という括りにおいて過剰に反応してしまっていた。
その使い捨ての飾りは一体なにを齎してくれるのだろう。
「聖女様。これは聖女様を美しく飾るための有意義な使い道です。それに考えてみてください。食べ物と同じじゃないですか。野菜なら皮を剥く、肉なら殺生し毛皮を剥いで内臓を摂る。なんら変わりありませんよ」
バルトは困ったように薄い笑みを浮かべると眉尻を下げた。それから紗希の肩に触れ、諭すように告げた。
彼の言っていることは分かっている。
この非科学的なファンタジー世界において、紗希自身生ぬるいことを言っていることならちゃんと分かっている。
現代ではイミテーション生温さに許されて、それに慣れきっていたが、しかし殺すなとは言ってない。
むやみやたらか否か、紗希にとっての論点はそこなのだ。
「生きるために奪う命と、飾り立てるために消費される命は同じように扱えないんです……私にとっては蜘蛛を殺して作るドレスは分不相応なので、服を返してもらえればそれでいいです」
しかしバルトは緩慢としてうなじを掻くと、吐息を零してから笑みを消した。
「聖女様は慈悲深いお方ですね。しかし心を痛める必要はありませんよ」
それから指を伸ばして有無を言わさず紗希の顎先を掴むと、瞳をじっと覗き込む。
身体は強張り、指先の一つ動かすことすら危険だと本能が感じとっていた。
――おそらく分かってもらえていない。
バルトの怪訝な瞳が物語っている。
「俺にとってドレスは余剰品などではありません。それに……ここでは全てにおいて、何かの命と引き換えに手に入れるのが当然です。弱肉強食なんですよ。生きるも死ぬも自己責任。その摂理に躊躇していては貪られるだけの存在になりますよ」
言葉と共に唇が迫り、指先ひとつの距離で紗希は掠れた声を漏らした。
「っ……どういう意味ですか……」
「俺の行動は全て愛ゆえですので、どうしても止めたければ食い返すぐらいの気構えでいてもらわねば、と」
意味深なことを言われ、紗希は眉根を寄せた。
「分かりますか?聖女様。どうしても些末なことに心を砕きたいというのなら、もっと俺をよく見て上手く強請ってください。でないとほら」
バルトは蜘蛛へと手を翳した。
瞬間、霜が降りたように氷の膜が蜘蛛を包み込む。
そして亀裂がみしみしと音を立てると割れて、その場に握り拳程度の氷の塊がいくつも転がった。
「そんな……」
あっけなく氷の蜘蛛が無惨に割れ、言葉を失い唇を震わせた。
「蜘蛛はまた狩ってくるのでご安心を。ドレスは白でひと通り揃えましょう」
「さすがに、酷すぎます……」
見せしめだ。脅しのような行為に居た堪れず力のない声が溢れた。それは意図せず感情をそのまま剥き出しに吐き出すものとなり、紗希の瞳には失望の色が帯びていた。
そんな紗希の顔を見ると、バルトは我に返ったように息を詰めた。
「……失礼。少し席を外します」
そして視線を逸らし、出て行ってしまった。
紫色の泡を吹く蜘蛛はビクビクと小刻みに痙攣し、今にも息絶えようとしていた。
”糸だけ採ってきます”ぐらいの意味合いで”狩ってきた”のかと思えば、蜘蛛自体を生け捕りにしてくるなど規格外過ぎる。
しかもせっかく捕まえてきたにも関わらず、くだらない理由で叩き落として瀕死に至らしめるというバルトの荒々しさに、紗希は一歩引いた心で訝し気な視線をやった。
しかし当のバルトはこちらの視線に目もくれずエギルに指示を出している。
「この蜘蛛から糸を絞れるだけ搾り取れ。そのあとは無駄なく処理しろ」
「承知しました」
「大体どれぐらいで布地は出来そうだ?」
「五分もあれば可能です。しかし霊蟲公からまた苦言が入りそうですが、いかがなさいますか?」
「言わせておけ。どうせ何もしなくともこの種は共食いして勝手に数が減ってるだろ。あの爺さんは俺に難癖つけたいだけだ」
「自分への当てつけだとも訴えていますが……」
「知るか。仮に、たかが蜘蛛一匹で騒ぐようなら、あいつを俺の前に引き摺り出してこい」
そんな物騒なやり取りを聞いて、紗希は”処理”という言葉に妙な居心地の悪さを覚える。
「まさか糸を採り終えたら殺すつもりですか?」
真偽を確かめるべく問うと、バルトの代わりにエギルが答えた。
「はい。治癒魔法をかけながら生かさず殺さず糸を取り出したあと、剛鉄の外装や目玉など素材として利用出来るところは回収したのち処分いたします。それがどうかされましたか?」
なんてことのない、家畜の処理と変わらない行為であるような説明だった。
しかしこの蜘蛛がこれから死ぬ理由はドレスのため。これらが紗希には食肉としての殺生とは似て非なる行為に思え、直ぐに納得出来る感じがしなかった。
それもこれも、幼少期に事故で亡くなった母の姿が過ったからだろう。
綺麗な部分だけ取り出され、消費尽くされたあとは残った不要と捨てられる。どこか重なる。
――あぁ、なるほど。
居心地の悪さの正体が分かり、紗希は呼吸を一つ置くとバルトへ向かって言った。
「――バルトさん。折角捕まえてきてもらったのに申し訳ないんですが、やっぱり白いドレスは要りません」
嫌な思い出が蘇り、それをかき消すために口にしていた。
「なぜですか?」
ようやくエギルから視線が外れ、バルトは困惑を露わに紫水晶の瞳を揺らし紗希を見つめる。
「……余剰品を作るために消費するのは苦手なんです。殺すなんてとても……」
紗希の母は美しく優しい人だったが、父はろくでなしだった。子供が出来ると途端に母に見向きもしなくなり、離婚して若い女性と同棲を始めたという。
養育費だけは払われたが、父は一度も紗希に会いたいとは言わなかった。
父は愛でなく、ただ自分を飾るものが欲しかっただけ。だからきっと紗希を捨てたのだ。
蜘蛛と母、一見なんの関係もないようだが、しかし”装飾品”という括りにおいて過剰に反応してしまっていた。
その使い捨ての飾りは一体なにを齎してくれるのだろう。
「聖女様。これは聖女様を美しく飾るための有意義な使い道です。それに考えてみてください。食べ物と同じじゃないですか。野菜なら皮を剥く、肉なら殺生し毛皮を剥いで内臓を摂る。なんら変わりありませんよ」
バルトは困ったように薄い笑みを浮かべると眉尻を下げた。それから紗希の肩に触れ、諭すように告げた。
彼の言っていることは分かっている。
この非科学的なファンタジー世界において、紗希自身生ぬるいことを言っていることならちゃんと分かっている。
現代ではイミテーション生温さに許されて、それに慣れきっていたが、しかし殺すなとは言ってない。
むやみやたらか否か、紗希にとっての論点はそこなのだ。
「生きるために奪う命と、飾り立てるために消費される命は同じように扱えないんです……私にとっては蜘蛛を殺して作るドレスは分不相応なので、服を返してもらえればそれでいいです」
しかしバルトは緩慢としてうなじを掻くと、吐息を零してから笑みを消した。
「聖女様は慈悲深いお方ですね。しかし心を痛める必要はありませんよ」
それから指を伸ばして有無を言わさず紗希の顎先を掴むと、瞳をじっと覗き込む。
身体は強張り、指先の一つ動かすことすら危険だと本能が感じとっていた。
――おそらく分かってもらえていない。
バルトの怪訝な瞳が物語っている。
「俺にとってドレスは余剰品などではありません。それに……ここでは全てにおいて、何かの命と引き換えに手に入れるのが当然です。弱肉強食なんですよ。生きるも死ぬも自己責任。その摂理に躊躇していては貪られるだけの存在になりますよ」
言葉と共に唇が迫り、指先ひとつの距離で紗希は掠れた声を漏らした。
「っ……どういう意味ですか……」
「俺の行動は全て愛ゆえですので、どうしても止めたければ食い返すぐらいの気構えでいてもらわねば、と」
意味深なことを言われ、紗希は眉根を寄せた。
「分かりますか?聖女様。どうしても些末なことに心を砕きたいというのなら、もっと俺をよく見て上手く強請ってください。でないとほら」
バルトは蜘蛛へと手を翳した。
瞬間、霜が降りたように氷の膜が蜘蛛を包み込む。
そして亀裂がみしみしと音を立てると割れて、その場に握り拳程度の氷の塊がいくつも転がった。
「そんな……」
あっけなく氷の蜘蛛が無惨に割れ、言葉を失い唇を震わせた。
「蜘蛛はまた狩ってくるのでご安心を。ドレスは白でひと通り揃えましょう」
「さすがに、酷すぎます……」
見せしめだ。脅しのような行為に居た堪れず力のない声が溢れた。それは意図せず感情をそのまま剥き出しに吐き出すものとなり、紗希の瞳には失望の色が帯びていた。
そんな紗希の顔を見ると、バルトは我に返ったように息を詰めた。
「……失礼。少し席を外します」
そして視線を逸らし、出て行ってしまった。



