エタってしまった小説の世界で、ヤンデレ化した勇者が離してくれません。~聖女と呼ばれ執愛されていますが……読者です!~

あれから紗希は、文字通り上下左右どう進んだか分からないほど目が回るスピードで連れ去られた。

もしもヘッドカメラなどで撮影していたなら観衆を映像酔いするような内容になっていただろう。

ようやく動きが止まってバルトに懇願し、紗希は冷たい石の床に崩れ、手のひらをつきながら座り込むと身体の中身がぐらぐらとかき混ぜられる気持ち悪さと戦っていた。

「聖女様、御召物が汚れてしまいます」

バルトはどうしても紗希を座り込ませたくないようで、抱き上げていいか、せめて着替えをしようと言ってくる。

「……少しで良いので、そっとしておいてください!!」

息を荒げて宣言すると同時に胃液が上がってきた。気を抜けば吐きそうだ。気持ち悪さに再び紗希は俯いて顔を顰めたのだった。



――――拝啓 親愛なる作者様。

一体、何が彼をこんな風に変えたのでしょう?
七年という月日でしょうか。
それとも属性の追加予定でもあったのでしょうか?

このエタってしまった世界で、私は彼を結末まで導くつもりですが前途多難です。



――――結局、外に繋がるという第一層の転移魔法陣を見たものの、バルトはそこへ入って転移できるか試すことはしなかった。

ただ発動方法などを説明されただけで、『最終層』と告げられた部屋に今は連れて来られている。

転移魔法陣を前にした時のバルトを思い出すと、紗希を抱く腕に僅かな強張りがあったので彼はもしかすると怯えているのかもしれない。

何かあったのだろうか。
今はとても聞けるような状況ではないので頭の片隅に留め置くことにした。

そして気持ち悪さが抜けてきた頃、げっそりとした顔で視線を上げるとバルトの不安げな瞳とかち合った。

「すみませんでした。落ち着いてきました……」

「でしたら水をどうぞ、聖女様」

先ほど声を荒げたことを謝ると、バルトは手のひらを広げた。金色の粒子が宙で輝き、コップの形を成し、その中から水が湧き上がってくる。

「……すごい」

思わず感嘆が溢れていた。

「土魔法と水魔法で作ったものです。飲んで身体に害はありませんから、どうぞ」

初めて目にする魔法の美しさに固まって凝視していると、バルトは紗希が躊躇していると思ったのか補足するように告げた。

「ありがとうございます」

実際、飲んでみると紗希の知っている水と何も変わらなかった。けれど……――――

「おいしい……」

心地よい冷たさが身体中に染み渡ってゆく。

考えてみれば残業中に一度だけ水筒のお茶を飲んだだけで、それから何も口にしていなかった。

店の戸締りをしていた時に喉の渇きを覚えたものの、終電を逃すのではと焦る気持ちであっさり忘れ、電車に乗ったら乗ったで安心していたのでスマホに触れる方が先だった。

紗希のアパートは駅から徒歩で十分ほどの距離。帰ったらドラマの配信を流し見しつつ、キッチンで料理でもしながら白ビールを飲むつもりだったのだ。

それがまさか、エタってしまった世界で勇者を前に水を飲むことになるなんて。

「立てますか?聖女様」

「えぇ、はい……だいぶ良くなりました」

「すみません。もう少しゆっくり行けば良かったですね….人間と接するのが久しぶりで、加減というのを失念していました」

一生の不覚、と言わんばかりの口調で惜しむバルトになんともいえない気持ちになる。

そういえばバルトはここが魔王城だと言った。

確か最新話では、魔王討伐隊として、花雫の乙女ミレーヌとバルト、仲間の三名が魔王を打ち倒しアデル王国に戻って凱旋していたはずだ。

なぜ彼だけが城に取り残されているのだろう。そもそも残っているのはバルトだけなのだろうか。

「あの、魔王討伐隊の皆さんは?彼らはどうしているんですか?」

聞けば妙な沈黙が流れた。

バルトは胡乱な眼差しで床を見つめると静かに瞼を閉じる。

「……さぁ、俺は知りません」

吐き捨てるような、あまりに冷たい言い草だった。

もしかすると地雷だったのかもしれない。