「……怒ってなんか、いません」
「ほんと? なら良かった」
ほっとしたように笑う先輩。
その笑顔を見ながら、私はふと、田村先輩たちの目を気にしていたことも忘れて、先輩の隣に立つこの距離感が、たまらなく心地良いことに気づいてしまった。
いつもは保健室のベッドの縁で並んで座るのが定位置だったけれど、こうして下校時、校門を出る前のなんでもない場所で肩を並べているだけで、なんだか特別なことをしているような気分になる。
雨上がりの生ぬるい風が、下駄箱の入り口から吹き込んでくる。
その風に、先輩の前髪がふわりと揺れた。
「なに? 俺のこと、そんなに見て」
「べ、別に見てません」
慌てて目を逸らしたけれど、視界の端には、まだ先輩の横顔が残っていた。
「咲奈ちゃんはさ」
先輩が、壁に頭を預けたまま、ぽつりと呟く。
「俺がいない一日って、どんな感じだった?」
「……普通、でしたけど」
「普通、ね」
先輩が、面白がるようにこちらを見た。
「なんか今、一瞬迷ったよね」
「迷ってません」
「絶対迷ったじゃん」
くすくすと笑う先輩に、私はもう何も言い返せなくなって、ただ黙って靴紐を結び直すフリをした。



