「ミーリ。明日ヒマでしょ?ちょっと付き合ってくれない?」
「あ~、残念。忙しいので無理です」
ある日、お姉様が部屋に入るなりこちらの用事も訊かずに言い放った言葉。
この姉はたまに突拍子もなく、私を連れ出す時がある。大概は買い物に付き合わされるだけなのだが、数回に一度の確率で男性を紹介してくる。
アイヴァン様との婚約が決まったばかりのこのタイミング……この姉の事だ。きっと若い男でも用意して、そっちに靡くように仕向けてくるに違いない。
(何がそんなに気に食わないのか)
今流行りのスパダリとかいうやつなのに……それに、今の私は本当に忙しい。
「なんでよ。たまにはいいでしょ?──……って、何してるの?」
「……」
黙ったままの私の手には、中途半端に刺繍されているハンカチが握られている。
「え、もしかして刺繍してるの!?」
そう驚くのも無理はない。刺繍は私がもっとも苦手とするもの。その証拠に、指は痛々しいほどに傷だらけ。ハンカチが血で染まらない内に仕上げたいところ。
「どうしたの!?誰に贈るの!?」
「私が贈るなんて一人しかいないでしょう?」
「もしかして、団長様!?」
「当然です」
この国では、女性は婚約者に刺繍を施したハンカチを贈る習慣がある。その贈られたハンカチを手に、夜会へエスコートしてもらう事で初めて正式な婚約者と周知される。
そして、次回開催される夜会は一週間後。
何としてでもそれまでに仕上げたいのだが、苦手意識で今までろくにやって来なかったツケが回って来て絶賛焦燥中。
針も糸も言う事をきいてくれないし、時間はないし、指は痛いし、どうしろってんだ!
もはや文句を言っている時間すら惜しい。
「それ、私が教えてあげてもいいわよ?」
「え!?本当ですか!?」
天の助け…!やはり、持つべきものは器用な姉!
だらしなく綻んだ顔をあげると、ニヤリ顔のお姉様と目が合った。
「ええ、交換条件だけどね」
「……」
天使の皮を被った悪魔が囁いた……
***
拝啓、愛しのアイヴァン様……貴方のミーリアムは悪い子です。
「悪魔の誘惑に負けてしまいました……!」
「誰が悪魔よ」
「痛い!」
メソメソと泣き真似をしている私の頭をパシンッと扇で殴りつけたのは、悪魔…もとい、お姉様である。
「変な言い掛かりはやめてちょうだい。取引した上で合意したじゃない」
言っていることは至極真っ当なんだが、どうしても納得できない理由がある。
「確かに合意しましたけど、私が合意したのはお姉様の買い物に付き合う事です!なんです!?この状況は!」
怒りを露わにしながら指差した先には、お姉様の婚約者であるエリク・マクナリーと、その弟であるレスター・マクナリーが優雅に茶を啜っている。
「あら、幼馴染に会うのに貴方の合意なんていらないでしょう?」
「ッ!そ、そうだけど、そうじゃない!」
私が言いたいのは、先日アイヴァン様と一悶着あった矢先に、他の男とお茶を飲むってのが問題だと言いたい。
あの人の事だから、幼馴染だと言えば納得してくれるに違いない。だけど、あんな不安な顔は二度と見たくない。
嫉妬とは違う…悲しみと失望が混ざったような切ない表情。
不安材料は少しでも取り除いておきたいのに、これじゃあ取り除くどころか火に油を注いでるのと一緒なのよ……
「ミーリは相変わらず元気で面白いなぁ」
「兄さん、フォローになってませんよ」
クスクスと口元を緩めているのは兄のエリク。
姉と同い年で、穏やかな雰囲気に相違ないおっとりとした性格の持ち主。しっかり者のお姉様と一緒にいると、どうしても頼りなく見えてしまい、周りからは"あべこべカップル"なんて言われる始末。
しかし、一歩執務室へ足を踏み入れればその雰囲気は一変する。眉間に皺を寄せ、髪をかきあげながら机に向かう姿は、見ているこちらが息を飲むほど圧倒的な存在感がある。
現在、侯爵家を仕切っているのはこの人。経営から軍備に関することまで熟知している敏腕ぶりに前侯爵様…エリク達の両親だが、早々に息子にその任を押し付け、自分たちは領地で悠々自適な隠居生活を楽しんでいる。
一方、弟のレスターは私の一つ年上の冷静沈着な寡黙男子。
笑顔を振りまき愛想の塊のようなエリクに対して、表情筋を兄に吸い取られたのでは?と疑うほど表情が乏しく、何を考えているのか分からないと怖がられることもしばしば。
昔からやんちゃ者だった私は、よくレスターの引き合いにされたものだ。
「そういえば、ミーリは婚約者が決まったみたいだね。おめでとう」
「え、あ、ありがとう……」
手を叩いて喜んでくれるエリクの言葉が嬉しくて、むず痒くて真っ赤に染まった顔を逸らしながら礼の言葉を伝えた。
「お相手はあの団長様なんだって?ふふ、本当におじさんを捕まえたんだ?」
「おじさんとは失礼よ。とても紳士な方なんだから」
エリクの言葉にムッとしながら反論し返す。
「ごめんごめん。怒らせるつもりはなかったんだ。でも、悔しいから少しぐらいは意趣返しさせてよ。僕は昔からレスターを君の婚約者にと推していたんだからさぁ」
「はぁ?レスターを?」
「そうだよ」
それは初耳。…………いや、今思えばわざとらしく二人きりにされた事が多々あるな……てっきり、お姉様と二人きりになりたいが為だと思っていたけど、もしかしてあれは私とレスターの仲を取り持つ為の罠だった?
首を捻りながら考えるが、興味無さすぎて……って言ったらレスターに失礼だけど、本気で眼中になくて気付かなかった。
「兄の僕が言うのもなんだけど、うちの弟結構人気あるんだよ?」
そうなのだ。エリクが言うように、レスターはわりとモテる。無愛想で寡黙。一見してつまらない男に見えるが、裏を返せばミステリアスで素敵だと、どこぞの奇特な令嬢が発言したのを皮切りに、レスター人気に火がついた。
「レスターだってミーリの事、満更じゃないんだろう?」
「は!?」
おっとりとした声色でとんでもない発言を耳にし、勢いよくレスターの方を振り返った。当のレスターは焦る様子もなく、顔色一つ変えずジッと私を見つめていた。
(え、ちょっと?何か言ってよ)
ジッと見つめたまま黙られていたら勘違いされるじゃない……
「えっと……レスター?早いとこ否定してくれる?貴方も困るって」
あまりにも居た堪れなくて私が誘導するように声をかけた。
レスターは相変わらず顔色を変えずに黙っていたが突如「ふっ」と目を細め一言
「どうかな」
曖昧な返事ーーー!!
「あ~、残念。忙しいので無理です」
ある日、お姉様が部屋に入るなりこちらの用事も訊かずに言い放った言葉。
この姉はたまに突拍子もなく、私を連れ出す時がある。大概は買い物に付き合わされるだけなのだが、数回に一度の確率で男性を紹介してくる。
アイヴァン様との婚約が決まったばかりのこのタイミング……この姉の事だ。きっと若い男でも用意して、そっちに靡くように仕向けてくるに違いない。
(何がそんなに気に食わないのか)
今流行りのスパダリとかいうやつなのに……それに、今の私は本当に忙しい。
「なんでよ。たまにはいいでしょ?──……って、何してるの?」
「……」
黙ったままの私の手には、中途半端に刺繍されているハンカチが握られている。
「え、もしかして刺繍してるの!?」
そう驚くのも無理はない。刺繍は私がもっとも苦手とするもの。その証拠に、指は痛々しいほどに傷だらけ。ハンカチが血で染まらない内に仕上げたいところ。
「どうしたの!?誰に贈るの!?」
「私が贈るなんて一人しかいないでしょう?」
「もしかして、団長様!?」
「当然です」
この国では、女性は婚約者に刺繍を施したハンカチを贈る習慣がある。その贈られたハンカチを手に、夜会へエスコートしてもらう事で初めて正式な婚約者と周知される。
そして、次回開催される夜会は一週間後。
何としてでもそれまでに仕上げたいのだが、苦手意識で今までろくにやって来なかったツケが回って来て絶賛焦燥中。
針も糸も言う事をきいてくれないし、時間はないし、指は痛いし、どうしろってんだ!
もはや文句を言っている時間すら惜しい。
「それ、私が教えてあげてもいいわよ?」
「え!?本当ですか!?」
天の助け…!やはり、持つべきものは器用な姉!
だらしなく綻んだ顔をあげると、ニヤリ顔のお姉様と目が合った。
「ええ、交換条件だけどね」
「……」
天使の皮を被った悪魔が囁いた……
***
拝啓、愛しのアイヴァン様……貴方のミーリアムは悪い子です。
「悪魔の誘惑に負けてしまいました……!」
「誰が悪魔よ」
「痛い!」
メソメソと泣き真似をしている私の頭をパシンッと扇で殴りつけたのは、悪魔…もとい、お姉様である。
「変な言い掛かりはやめてちょうだい。取引した上で合意したじゃない」
言っていることは至極真っ当なんだが、どうしても納得できない理由がある。
「確かに合意しましたけど、私が合意したのはお姉様の買い物に付き合う事です!なんです!?この状況は!」
怒りを露わにしながら指差した先には、お姉様の婚約者であるエリク・マクナリーと、その弟であるレスター・マクナリーが優雅に茶を啜っている。
「あら、幼馴染に会うのに貴方の合意なんていらないでしょう?」
「ッ!そ、そうだけど、そうじゃない!」
私が言いたいのは、先日アイヴァン様と一悶着あった矢先に、他の男とお茶を飲むってのが問題だと言いたい。
あの人の事だから、幼馴染だと言えば納得してくれるに違いない。だけど、あんな不安な顔は二度と見たくない。
嫉妬とは違う…悲しみと失望が混ざったような切ない表情。
不安材料は少しでも取り除いておきたいのに、これじゃあ取り除くどころか火に油を注いでるのと一緒なのよ……
「ミーリは相変わらず元気で面白いなぁ」
「兄さん、フォローになってませんよ」
クスクスと口元を緩めているのは兄のエリク。
姉と同い年で、穏やかな雰囲気に相違ないおっとりとした性格の持ち主。しっかり者のお姉様と一緒にいると、どうしても頼りなく見えてしまい、周りからは"あべこべカップル"なんて言われる始末。
しかし、一歩執務室へ足を踏み入れればその雰囲気は一変する。眉間に皺を寄せ、髪をかきあげながら机に向かう姿は、見ているこちらが息を飲むほど圧倒的な存在感がある。
現在、侯爵家を仕切っているのはこの人。経営から軍備に関することまで熟知している敏腕ぶりに前侯爵様…エリク達の両親だが、早々に息子にその任を押し付け、自分たちは領地で悠々自適な隠居生活を楽しんでいる。
一方、弟のレスターは私の一つ年上の冷静沈着な寡黙男子。
笑顔を振りまき愛想の塊のようなエリクに対して、表情筋を兄に吸い取られたのでは?と疑うほど表情が乏しく、何を考えているのか分からないと怖がられることもしばしば。
昔からやんちゃ者だった私は、よくレスターの引き合いにされたものだ。
「そういえば、ミーリは婚約者が決まったみたいだね。おめでとう」
「え、あ、ありがとう……」
手を叩いて喜んでくれるエリクの言葉が嬉しくて、むず痒くて真っ赤に染まった顔を逸らしながら礼の言葉を伝えた。
「お相手はあの団長様なんだって?ふふ、本当におじさんを捕まえたんだ?」
「おじさんとは失礼よ。とても紳士な方なんだから」
エリクの言葉にムッとしながら反論し返す。
「ごめんごめん。怒らせるつもりはなかったんだ。でも、悔しいから少しぐらいは意趣返しさせてよ。僕は昔からレスターを君の婚約者にと推していたんだからさぁ」
「はぁ?レスターを?」
「そうだよ」
それは初耳。…………いや、今思えばわざとらしく二人きりにされた事が多々あるな……てっきり、お姉様と二人きりになりたいが為だと思っていたけど、もしかしてあれは私とレスターの仲を取り持つ為の罠だった?
首を捻りながら考えるが、興味無さすぎて……って言ったらレスターに失礼だけど、本気で眼中になくて気付かなかった。
「兄の僕が言うのもなんだけど、うちの弟結構人気あるんだよ?」
そうなのだ。エリクが言うように、レスターはわりとモテる。無愛想で寡黙。一見してつまらない男に見えるが、裏を返せばミステリアスで素敵だと、どこぞの奇特な令嬢が発言したのを皮切りに、レスター人気に火がついた。
「レスターだってミーリの事、満更じゃないんだろう?」
「は!?」
おっとりとした声色でとんでもない発言を耳にし、勢いよくレスターの方を振り返った。当のレスターは焦る様子もなく、顔色一つ変えずジッと私を見つめていた。
(え、ちょっと?何か言ってよ)
ジッと見つめたまま黙られていたら勘違いされるじゃない……
「えっと……レスター?早いとこ否定してくれる?貴方も困るって」
あまりにも居た堪れなくて私が誘導するように声をかけた。
レスターは相変わらず顔色を変えずに黙っていたが突如「ふっ」と目を細め一言
「どうかな」
曖昧な返事ーーー!!



