燈子と猫の郵便局

※はじめまして、冬灯(ふゆあかり)です。
この物語は「ありがとう」をテーマにした、少し不思議で優しいお話です。
ゆっくり読んでいただけたら嬉しいです。

十一月の終わりだった。
夜の商店街はもう静かだった。
真白燈子はマフラーに顔を埋めながら歩いていた。
花屋の前に並んだ白いシクラメンだけが、夜風に揺れている。
明日の朝には誰かが買ってくれるかな。
そんなことを考えていた時だった。
「遅かったな」
不意に声がした。
少し低い声だった。
燈子は立ち止まる。
辺りを見回しても誰もいない。
代わりに、黒猫が一匹座っていた。
首輪のない猫だった。
黄色い瞳がまっすぐ燈子を見ている。
まるで最初から燈子を待っていたみたいだった。
寒くないのかな。
そんなことが先に気になった。
燈子は少しだけ歩み寄った。
「こんばんは」
黒猫はゆっくり瞬きをした。
少し呆れたような間があった。
「こんばんは、じゃない」
まるで燈子の方がおかしなことを言ったみたいな口調だった。
燈子は固まった。
数秒後。
「……え?」
「遅かったと言っている」
黒猫は尻尾をゆらりと揺らした。
「猫さん?」
「炭だ」
「え?」
「私の名前だ」
燈子は思わず笑った。
変な猫。
だけど、不思議と怖くなかった。
炭は立ち上がり、くるりと背を向ける。
「来い」
「どこへ?」
「郵便局だ」
「郵便局?」
「普通では運べない手紙を扱っている」
燈子は思わず聞き返した。
「普通では運べない手紙?」
炭は少しだけ振り返る。
黄色い瞳が夜の光を映していた。
「ありがとう」
炭が言う。
「ごめんなさい」
炭は少し間を置いた。
「会いたい」
燈子は黙った。
どれも短い言葉だった。
それなのに、一番届けるのが難しい気がした。
炭は前を向いたまま続ける。
「そういう言葉ほど、人間は届けられない」
なぜだろう。
その言葉だけが胸に残った。
会いたい。
たったそれだけなのに。
少しだけ寂しい響きがした。
「行くぞ」
炭は細い路地へ入っていく。
燈子は迷った。
ついて行く理由なんてない。
けれど。
気がつけば追いかけていた。
路地の先に、小さな建物が見えた。
古いレンガ造りの郵便局だった。
入口の上には看板が掛かっている。

夜間郵便局
届けられなかった手紙
お預かりします

燈子は立ち尽くした。
扉が静かに開く。
灯りの中に、一人の人が立っていた。
男にも見える。
女にも見える。
不思議な人だった。
その人は燈子を見て微笑む。
「お待ちしていました」
やさしい声だった。
「真白燈子さん」
燈子は目を見開く。
「どうして私の名前を……」
その人は答えず、白い封筒を差し出した。
「あなた宛ての手紙です」
燈子は戸惑いながら受け取った。
見覚えのない封筒だった。
差出人を見た瞬間、燈子は思わず息をのんだ。

真白燈子さま
十年前のあなたより

十年前の、
わたしから?
燈子の指先がわずかに震えた。
封筒の中で紙が小さく音を立てる。
十年前のわたしは、
何を書いたのだろう。