報告を終えた怜司は、まだ帰還の準備が整わないことから、暇潰しにとミレーヌを連れて王城を出た。
向かったのは、王城から一番近いたいやきカフェだった。
昼時を過ぎても店内は賑わっている。
壁には例の赤い魚の怖いキャラが、グロテスクな目で客席を見つめている。
時折、うっかり目が合ってしまった小さな子供がひくっと涙ぐんでいたりする。
「改めて見ると怖いな」
「もう言わないで! こっちだって気にしてるんだから!」
二人は注文を終えてテーブルについた。
怜司はスーツの懐から手帳とボールペンを取り出した。
「何するんですか?」
「ちょっと待って」
白いページにペンを走らせる。
丸い体に尾びれとヒレを生やす。
単純な線と点だけで顔を描き、二本の足をつける。
別のポーズも描く。
喜んでいるもの。
腹を空かせているもの。
何かを食べているもの。
数十秒で、見覚えのある魚キャラが紙の上に並んだ。
「た、たいやきくん?」
「そう」
ミレーヌは手帳と怜司の顔を交互に見た。
「ま、まさか日本のたいやきくんカフェの看板の、あのイラストって……」
「そう、描いたのは僕さ。中学の頃、ノートの端っこに描いた落書き」
「嘘でしょ!?」
「失礼だな」
怜司はもう一体、たいやきくんを描いた。
「えへへ」と可愛らしく笑っている。これは守りたくなる愛らしさだ。
確かにあまり上手くはない、素人感のある絵だった。しかしそこが良い。味がある。
「モデルが僕の最愛の人。本当は絵が得意な本人に描き直してもらいたかったけど、『自分、こんな可愛くないから無理!』って逃げられちゃったんだよね」
「…………」
ミレーヌは紙の上のたいやきくんを見る。
そして夢で会った、黒髪に赤い瞳の、ものすごい和風美人を思い出した。
「……似てなくない?」
「似てるよ」
「どこが!?」
「可愛いところ」
「惚気るんじゃないわよ!?」
絵を描いたのは怜司。
モデルになったのは最愛の人。
そこから二人で育て、店のシンボルにした。
だから怜司にとって、たいやきくんは単なる商標でも広告用キャラクターでもない。
その最愛の人を、夢でとはいえ知っているミレーヌには、もう嫌というほど理解できた。
怜司はミレーヌの反応に満足したらしく、手帳からそのページを破って差し出してきた。
「はい」
「え?」
「最愛が許したなら、僕も許さざるを得ない」
ミレーヌは紙を受け取った。
「このイラストに看板を描き直すなら、もうこれ以上は言わないことにする。店の名前も、たいやきカフェから本来の〝たいやきくんカフェ〟に改めるようにね」
「…………」
紙を持つミレーヌの手が震えた。
「れ、怜司様……っ!」
「ただし、もう勝手に改変しないでよ」
「しません! もう絶対しません!」
「目を大きくしたり」
「しません!」
「笑顔にしようとして人を食べそうな顔にしたり」
「しません!」
「足を増やしたり」
「増やしません! てか増やしてどうするんです!?」
「ならいいよ」
ミレーヌは渡された紙を胸元で抱えた。
これでようやく、本当に終わった。
魔王も倒したし、たいやきカフェも名前を変えて存続できる。
数千人の従業員も、その家族も、取引先も守られる。
しかも看板は、本物のたいやきくんになる。
たいやきくんカフェには、たくさんの異世界支店が誕生するのだ。
「あの。一つ聞いていいですか?」
「どうぞ」
「結局、あなたって何者なんですか?」
「高瀬怜司だけど」
「そうじゃなくて! 勇者として召喚されて、一か月もしないで魔王倒して、日本の有名な実業家で、たいやきくんの絵まで描いた本人で……情報が多すぎるのよ!」
「僕にも色々あるんだよ」
天はなぜ二物以上をこの男に与えてしまったのか。
少しは平等に人類に才を分配してほしかった、と生まれながらの聖女であるミレーヌは世の無情さに、心の中で滝のような涙を流した。
「あと、あの最愛の人! ものすごく性格の良い美人だったんですけど!」
怜司の顔が明るくなった。
「そうだろ?」
「食いつくの早っ!」
ミレーヌは呆れながら、手元の紙を見た。
この人は魔王より怖い。
それなのに、あの夢の美人のことになると途端に面倒臭い。
「……帰ったら、真っ先に会いに行くんですか?」
「もちろん」
怜司は即答した。
「僕がいきなり消えて、一番困ってるのはあの人だろうからね」
ミレーヌは夢の中の和風美人を思い出した。
ものすごく良い人だった。この男をよく選んだな? とミレーヌは一ヶ月そこそこの短い期間でしみじみ思う。
店員が二人分の飲み物を運んできた。
この世界にもコーヒーがある。ミレーヌはカフェラテ、怜司はブラックコーヒーだ。
カップにも、怖いたいやきくんもどきが描かれている。
怜司がそれを見て言った。
「これも変えてね」
「はいはい!」
ミレーヌは返事をしてから、怜司にもらった紙を慎重に畳んで懐にしまい込んだのだった。
数日後、王城の大広間に、怜司がこの世界へ現れたときと同じ巨大な魔法陣が描かれた。
王宮魔術師たちが最後の調整を行い、国王、王妃、王族、宰相、騎士団長や主な重臣たちまで集まっている。
ミレーヌも聖女の正装で立っていた。
「勇者殿」
国王が怜司の前へ出た。
「改めて礼を言わせてほしい。そなたがいなければ、我が国のみならず大陸の多くの民が魔王軍によって苦しめられていたであろう」
「約束した仕事をしただけですよ」
「それを一か月足らずで成し遂げたのだ。歴代の勇者の中でも、そなたほど魔王の思考を読み、先回りして軍を攻略した者はいなかったと騎士団長も申しておる」
「それは、まあ」
怜司は少し考えた。
「経験の差でしょうね」
「経験?」
「ええ」
「何の?」
「元の世界だと僕、職業魔王だったんですよね」
大広間から音が消えた。
「…………」
国王の口がぽかんと開いた。
宰相の顔から血の気が引いた。
騎士団長が怜司から一歩離れた。
「…………は?」
ミレーヌも怜司を見た。
「魔王?」
「うん」
「職業?」
「そう」
「あなたが?」
「そうだよ」
「待って」
ミレーヌの頭の中で、これまで聞いた話が猛烈な勢いで組み替わっていった。
思えば、魔法や魔物が存在する異世界へ突然召喚されたのに、妙に順応が早かった。
転生で生まれたときからこの世界で生きているミレーヌとは違うはずなのに。
ドラゴンを見ても、倒すより先に移動手段にしようと考えていた。
というかドラゴンを恐怖で支配していた。
魔王軍の拠点配置を見れば、魔王側ならどう守るかを考え、数年かかる討伐を一か月弱で終わらせた。
そして元の世界では、――職業魔王。
「ちょっと待って。あなた、本当に私と同じ日本から来たの?」
「同じだと思うけど」
「だって職業魔王って何よ!?」
「そのままだけど」
「それだけじゃわからないわよ!」
ミレーヌは前世を思い出した。
高瀬怜司のことは何となく知っている。
ミレーヌの前世はビジネス業界に興味がなくて顔はぼんやりだったが、名前はわりと有名で、日本のイー◯ン・マスクとまで呼ばれていたビジネスモンスター。
もしくはWeb3の申し子。彼の関わったビジネスや暗号資産は例外なく肥大化して巨富を産んでいる。
たいやきくんカフェも知っている。
彼らオーナーには詳しくなかったが、大抵どこの街にも駅前から少し歩いたところに出店していたから。
だが、自分が死んでからこちらへ転生したあと、元の世界で何が起きた?
(待って)
ミレーヌの背中に冷たい汗が流れた。
(もしかして私が死んだあとの日本、魔王が職業として成立する世界になってるの!?)
「勇者殿……」
国王が震える声で尋ねた。
「そなた、もしや魔王を討つためではなく、この世界を……」
「何を警戒してるんですか」
怜司は笑った。
「それとこれとは別ですよ。僕はちゃんと仕事はしたでしょう?」
「そ、そうだが」
「僕はもう帰ります。待たせている人がいるので」
魔法陣が光り始めた。
王宮魔術師たちが声を上げる。
「帰還術式、起動します!」
「勇者殿!」
「皆さん、お世話になりました」
怜司は魔法陣の中央へ歩いていく。
「聖女」
「な、何!?」
「カフェのこと、頼んだよ」
「わかってるわよ!」
「たいやきくん、今度こそ可愛くしてね」
「原画通りにします!」
「それならいい」
「あと待って! 職業魔王って結局何なの!?」
「説明してる時間なさそうだね」
「あるでしょ! あと二十秒くらいあるでしょ!」
「じゃあね」
「逃げるなあああああ!」
光が怜司の姿を包んだ。
その直前、ミレーヌは叫んだ。
「あの美人さんによろしくね!」
怜司が振り返った。
最後に見えたのは、それまでで一番嬉しそうな顔だった。
「うん」
光が弾けると、もう高瀬怜司の姿は消えていた。
「…………」
魔法陣の光も消え、大広間は静まり返った。
国王がミレーヌを見た。
「聖女よ」
「はい」
「勇者殿がいた世界とは、いったいどのような世界なのだ?」
「私にもわからなくなりました」
日本だったはずなのに。
魔王が職業として成立しているらしい。
しかもその魔王が世界的な実業家で、カフェを経営し、最愛の人をモデルに赤い魚のキャラクターまで描いている。
「……私が死んだあと、日本は……変わってしまったの?」
誰も答えてくれなかった。
でもミレーヌはふと気づいた。
高瀬怜司という名前から、彼の元の世界は日本だと認識していたが、彼のような緑の瞳も、夢で見た恋人の赤い目も、日本人として全然一般的ではなかった。
(パラレルワールドとか? ははっ、まさかね)
職業魔王が存在してしまう、もしかしたらこの魔法と魔物の世界より物騒な世界だったり……?
その後、王国中のたいやきカフェでは、順次、新しい店名とマスコットキャラクターに看板が掛け替えられた。
新しい看板に描かれたのは、異世界の勇者本人が残していった、素朴な赤い魚。
以前のものより素朴で簡素な画風で、二本の足で立つ、単純な線と点で描かれた赤い鯛。
ところが、それが妙に可愛いと大評判になった。
前の赤い魚では見た途端に泣き出す幼児がいたが、今は自分から駆け寄ってニコニコする子供たちが増えた。
さらに、元々飲み物や菓子に使われていた聖女が作る聖水や聖油には、邪気や魔物の瘴気に対する抵抗力を高める効果がある。
魔王討伐後も各地には魔物が残っているため、新生たいやきくんカフェは国民が日常的に聖女の加護を得られる場所として今まで以上に重宝された。
怜司が整理した物流と店舗運営もそのまま引き継がれ、以前より利益率まで上がった。
そして、いつしか新しいたいやきくんには別の噂までついた。
数年かかるはずだった魔王討伐を一か月足らずで終えた勇者が、自ら描いて残していった魚。
しかも、その勇者自身も元の世界では〝魔王〟だったという。
いつしか民間では、
〝魔除けの聖魚〟
として、たいやきくんはありがたがられるようになった。
「純正たいやきくんに看板を差し替えた途端、売上三倍……招き猫どころか、招き鯛とはね……」
怜司から渡された原画を、王都の絵描きに渡して版画で複製させたミレーヌは、あまりの客寄せ効果に慄くしかなかった。
向かったのは、王城から一番近いたいやきカフェだった。
昼時を過ぎても店内は賑わっている。
壁には例の赤い魚の怖いキャラが、グロテスクな目で客席を見つめている。
時折、うっかり目が合ってしまった小さな子供がひくっと涙ぐんでいたりする。
「改めて見ると怖いな」
「もう言わないで! こっちだって気にしてるんだから!」
二人は注文を終えてテーブルについた。
怜司はスーツの懐から手帳とボールペンを取り出した。
「何するんですか?」
「ちょっと待って」
白いページにペンを走らせる。
丸い体に尾びれとヒレを生やす。
単純な線と点だけで顔を描き、二本の足をつける。
別のポーズも描く。
喜んでいるもの。
腹を空かせているもの。
何かを食べているもの。
数十秒で、見覚えのある魚キャラが紙の上に並んだ。
「た、たいやきくん?」
「そう」
ミレーヌは手帳と怜司の顔を交互に見た。
「ま、まさか日本のたいやきくんカフェの看板の、あのイラストって……」
「そう、描いたのは僕さ。中学の頃、ノートの端っこに描いた落書き」
「嘘でしょ!?」
「失礼だな」
怜司はもう一体、たいやきくんを描いた。
「えへへ」と可愛らしく笑っている。これは守りたくなる愛らしさだ。
確かにあまり上手くはない、素人感のある絵だった。しかしそこが良い。味がある。
「モデルが僕の最愛の人。本当は絵が得意な本人に描き直してもらいたかったけど、『自分、こんな可愛くないから無理!』って逃げられちゃったんだよね」
「…………」
ミレーヌは紙の上のたいやきくんを見る。
そして夢で会った、黒髪に赤い瞳の、ものすごい和風美人を思い出した。
「……似てなくない?」
「似てるよ」
「どこが!?」
「可愛いところ」
「惚気るんじゃないわよ!?」
絵を描いたのは怜司。
モデルになったのは最愛の人。
そこから二人で育て、店のシンボルにした。
だから怜司にとって、たいやきくんは単なる商標でも広告用キャラクターでもない。
その最愛の人を、夢でとはいえ知っているミレーヌには、もう嫌というほど理解できた。
怜司はミレーヌの反応に満足したらしく、手帳からそのページを破って差し出してきた。
「はい」
「え?」
「最愛が許したなら、僕も許さざるを得ない」
ミレーヌは紙を受け取った。
「このイラストに看板を描き直すなら、もうこれ以上は言わないことにする。店の名前も、たいやきカフェから本来の〝たいやきくんカフェ〟に改めるようにね」
「…………」
紙を持つミレーヌの手が震えた。
「れ、怜司様……っ!」
「ただし、もう勝手に改変しないでよ」
「しません! もう絶対しません!」
「目を大きくしたり」
「しません!」
「笑顔にしようとして人を食べそうな顔にしたり」
「しません!」
「足を増やしたり」
「増やしません! てか増やしてどうするんです!?」
「ならいいよ」
ミレーヌは渡された紙を胸元で抱えた。
これでようやく、本当に終わった。
魔王も倒したし、たいやきカフェも名前を変えて存続できる。
数千人の従業員も、その家族も、取引先も守られる。
しかも看板は、本物のたいやきくんになる。
たいやきくんカフェには、たくさんの異世界支店が誕生するのだ。
「あの。一つ聞いていいですか?」
「どうぞ」
「結局、あなたって何者なんですか?」
「高瀬怜司だけど」
「そうじゃなくて! 勇者として召喚されて、一か月もしないで魔王倒して、日本の有名な実業家で、たいやきくんの絵まで描いた本人で……情報が多すぎるのよ!」
「僕にも色々あるんだよ」
天はなぜ二物以上をこの男に与えてしまったのか。
少しは平等に人類に才を分配してほしかった、と生まれながらの聖女であるミレーヌは世の無情さに、心の中で滝のような涙を流した。
「あと、あの最愛の人! ものすごく性格の良い美人だったんですけど!」
怜司の顔が明るくなった。
「そうだろ?」
「食いつくの早っ!」
ミレーヌは呆れながら、手元の紙を見た。
この人は魔王より怖い。
それなのに、あの夢の美人のことになると途端に面倒臭い。
「……帰ったら、真っ先に会いに行くんですか?」
「もちろん」
怜司は即答した。
「僕がいきなり消えて、一番困ってるのはあの人だろうからね」
ミレーヌは夢の中の和風美人を思い出した。
ものすごく良い人だった。この男をよく選んだな? とミレーヌは一ヶ月そこそこの短い期間でしみじみ思う。
店員が二人分の飲み物を運んできた。
この世界にもコーヒーがある。ミレーヌはカフェラテ、怜司はブラックコーヒーだ。
カップにも、怖いたいやきくんもどきが描かれている。
怜司がそれを見て言った。
「これも変えてね」
「はいはい!」
ミレーヌは返事をしてから、怜司にもらった紙を慎重に畳んで懐にしまい込んだのだった。
数日後、王城の大広間に、怜司がこの世界へ現れたときと同じ巨大な魔法陣が描かれた。
王宮魔術師たちが最後の調整を行い、国王、王妃、王族、宰相、騎士団長や主な重臣たちまで集まっている。
ミレーヌも聖女の正装で立っていた。
「勇者殿」
国王が怜司の前へ出た。
「改めて礼を言わせてほしい。そなたがいなければ、我が国のみならず大陸の多くの民が魔王軍によって苦しめられていたであろう」
「約束した仕事をしただけですよ」
「それを一か月足らずで成し遂げたのだ。歴代の勇者の中でも、そなたほど魔王の思考を読み、先回りして軍を攻略した者はいなかったと騎士団長も申しておる」
「それは、まあ」
怜司は少し考えた。
「経験の差でしょうね」
「経験?」
「ええ」
「何の?」
「元の世界だと僕、職業魔王だったんですよね」
大広間から音が消えた。
「…………」
国王の口がぽかんと開いた。
宰相の顔から血の気が引いた。
騎士団長が怜司から一歩離れた。
「…………は?」
ミレーヌも怜司を見た。
「魔王?」
「うん」
「職業?」
「そう」
「あなたが?」
「そうだよ」
「待って」
ミレーヌの頭の中で、これまで聞いた話が猛烈な勢いで組み替わっていった。
思えば、魔法や魔物が存在する異世界へ突然召喚されたのに、妙に順応が早かった。
転生で生まれたときからこの世界で生きているミレーヌとは違うはずなのに。
ドラゴンを見ても、倒すより先に移動手段にしようと考えていた。
というかドラゴンを恐怖で支配していた。
魔王軍の拠点配置を見れば、魔王側ならどう守るかを考え、数年かかる討伐を一か月弱で終わらせた。
そして元の世界では、――職業魔王。
「ちょっと待って。あなた、本当に私と同じ日本から来たの?」
「同じだと思うけど」
「だって職業魔王って何よ!?」
「そのままだけど」
「それだけじゃわからないわよ!」
ミレーヌは前世を思い出した。
高瀬怜司のことは何となく知っている。
ミレーヌの前世はビジネス業界に興味がなくて顔はぼんやりだったが、名前はわりと有名で、日本のイー◯ン・マスクとまで呼ばれていたビジネスモンスター。
もしくはWeb3の申し子。彼の関わったビジネスや暗号資産は例外なく肥大化して巨富を産んでいる。
たいやきくんカフェも知っている。
彼らオーナーには詳しくなかったが、大抵どこの街にも駅前から少し歩いたところに出店していたから。
だが、自分が死んでからこちらへ転生したあと、元の世界で何が起きた?
(待って)
ミレーヌの背中に冷たい汗が流れた。
(もしかして私が死んだあとの日本、魔王が職業として成立する世界になってるの!?)
「勇者殿……」
国王が震える声で尋ねた。
「そなた、もしや魔王を討つためではなく、この世界を……」
「何を警戒してるんですか」
怜司は笑った。
「それとこれとは別ですよ。僕はちゃんと仕事はしたでしょう?」
「そ、そうだが」
「僕はもう帰ります。待たせている人がいるので」
魔法陣が光り始めた。
王宮魔術師たちが声を上げる。
「帰還術式、起動します!」
「勇者殿!」
「皆さん、お世話になりました」
怜司は魔法陣の中央へ歩いていく。
「聖女」
「な、何!?」
「カフェのこと、頼んだよ」
「わかってるわよ!」
「たいやきくん、今度こそ可愛くしてね」
「原画通りにします!」
「それならいい」
「あと待って! 職業魔王って結局何なの!?」
「説明してる時間なさそうだね」
「あるでしょ! あと二十秒くらいあるでしょ!」
「じゃあね」
「逃げるなあああああ!」
光が怜司の姿を包んだ。
その直前、ミレーヌは叫んだ。
「あの美人さんによろしくね!」
怜司が振り返った。
最後に見えたのは、それまでで一番嬉しそうな顔だった。
「うん」
光が弾けると、もう高瀬怜司の姿は消えていた。
「…………」
魔法陣の光も消え、大広間は静まり返った。
国王がミレーヌを見た。
「聖女よ」
「はい」
「勇者殿がいた世界とは、いったいどのような世界なのだ?」
「私にもわからなくなりました」
日本だったはずなのに。
魔王が職業として成立しているらしい。
しかもその魔王が世界的な実業家で、カフェを経営し、最愛の人をモデルに赤い魚のキャラクターまで描いている。
「……私が死んだあと、日本は……変わってしまったの?」
誰も答えてくれなかった。
でもミレーヌはふと気づいた。
高瀬怜司という名前から、彼の元の世界は日本だと認識していたが、彼のような緑の瞳も、夢で見た恋人の赤い目も、日本人として全然一般的ではなかった。
(パラレルワールドとか? ははっ、まさかね)
職業魔王が存在してしまう、もしかしたらこの魔法と魔物の世界より物騒な世界だったり……?
その後、王国中のたいやきカフェでは、順次、新しい店名とマスコットキャラクターに看板が掛け替えられた。
新しい看板に描かれたのは、異世界の勇者本人が残していった、素朴な赤い魚。
以前のものより素朴で簡素な画風で、二本の足で立つ、単純な線と点で描かれた赤い鯛。
ところが、それが妙に可愛いと大評判になった。
前の赤い魚では見た途端に泣き出す幼児がいたが、今は自分から駆け寄ってニコニコする子供たちが増えた。
さらに、元々飲み物や菓子に使われていた聖女が作る聖水や聖油には、邪気や魔物の瘴気に対する抵抗力を高める効果がある。
魔王討伐後も各地には魔物が残っているため、新生たいやきくんカフェは国民が日常的に聖女の加護を得られる場所として今まで以上に重宝された。
怜司が整理した物流と店舗運営もそのまま引き継がれ、以前より利益率まで上がった。
そして、いつしか新しいたいやきくんには別の噂までついた。
数年かかるはずだった魔王討伐を一か月足らずで終えた勇者が、自ら描いて残していった魚。
しかも、その勇者自身も元の世界では〝魔王〟だったという。
いつしか民間では、
〝魔除けの聖魚〟
として、たいやきくんはありがたがられるようになった。
「純正たいやきくんに看板を差し替えた途端、売上三倍……招き猫どころか、招き鯛とはね……」
怜司から渡された原画を、王都の絵描きに渡して版画で複製させたミレーヌは、あまりの客寄せ効果に慄くしかなかった。



