君のとなり 〜約束の168〜

 文化祭実行委員の仕事が始まって、数日が経った。

 放課後の廊下には、体育祭と文化祭、それぞれの準備をする生徒たちの姿が増えていた。

 十月の体育祭。

 その先に待っている十一月の文化祭。

 まだ暑さの残る校舎の中を、私は文化祭の資料を抱えて歩いていた。

「これ、視聴覚室に持っていってくれる?」

 先生から渡されたファイルは、思ったより多かった。

「はい」

 両腕いっぱいに抱える。

 前が少し見えにくい。

 それでも落とさないように、慎重に廊下を歩いていた。

 曲がり角に差しかかった、そのとき。

「危ない」

 突然、目の前に手が伸びた。

「あ……」

 一番上に乗せていたファイルが、腕から滑り落ちる。

 床に落ちる――。

 そう思った瞬間、その人が片手で受け止めた。

「はい」

 顔を上げる。

 そこにいたのは、見覚えのない男子だった。

 私よりずっと高い身長。

 すらりとした身体に、きちんと着こなされた制服。

 そして、シルバーのネクタイ。

 私たち一年生の赤とは違う色。

 二年生なんだ。

 そう思った。

「ありがとうございます」

「大丈夫?」

「はい。すみません」

「ならよかった」

 そう言って、その人は笑った。

 その笑顔が、妙に自然だった。

 そのとき。

「……あれ?」

 少し離れたところから、女子の声が聞こえた。

「拓実先輩じゃない?」

「ほんとだ」

「何してるんだろ」

 私はそちらを見る。

 女子たちがこちらを見ている。

 そして、ひそひそと話していた。

「二年の拓実先輩だよ」

「知ってる。すごく人気ある人」

「今日もかっこいいな……」

 そんな声が聞こえてきて、私は少しだけ目を瞬いた。

 人気者なんだ。

 そう思って、もう一度目の前の先輩を見る。

 確かに。

 背が高い。

 顔立ちも整っている。

 笑うと柔らかい雰囲気になるけれど、黙っていると少し大人っぽく見える。

「これ」

 先輩が、拾ったファイルを私へ差し出した。

「ありがとうございます」

「文化祭の実行委員?」

「はい」

「やっぱり」

「え?」

「さっき職員室の前で見た」

 先輩はそう言って笑った。

「俺も実行委員」

「そうなんですか?」

「うん」

 先輩が胸元のシルバーのネクタイを軽く指でつまむ。

「二年」

 それから、少し首を傾けた。

「瑠夏ちゃん、だよね?」

 私は目を瞬いた。

「……どうして?」

「実行委員の名簿」

「あ……」

 そういえば、最初の顔合わせのときに名簿が配られていた。

「覚えてたんですか?」

「名前くらいはね」

 先輩が笑う。

「よろしく」

「よろしくお願いします」

 私は小さく頭を下げた。

「そんなに固くならなくていいよ」

「え?」

「文化祭、一緒にやるんだから」

 そう言って、先輩は私が抱えているファイルを見る。

「それ、一人で持ってくの?」

「はい」

「半分持つよ」

「大丈夫です」

「大丈夫じゃなさそう」

「え……」

「ほら」

 返事を待たずに、先輩はファイルを半分受け取った。

 急に軽くなった腕。

「これなら前見えるでしょ?」

「あ……はい」

「じゃ、行こう」

 先輩が歩き出す。

 私は慌てて、その隣を歩いた。

 初めて話したばかりなのに。

 不思議と気まずくなかった。

「瑠夏ちゃんって、新体操部だよね?」

「はい」

「やっぱり」

「知ってるんですか?」

「体育館で何回か見たことある」

 私は少し驚いた。

「そうなんですね」

「うん。結構すごいよね」

「え?」

「リボン」

 先輩が笑う。

「あんなに高く投げて、よく取れるなって思ってた」

 私は思わず笑ってしまった。

「たまに落としますよ」

「そうなの?」

「はい。普通に失敗します」

「全然そんなふうに見えないけど」

「そんなことないです」

「いや、本当に」

 そう言われると、なんだか照れくさい。

 私は小さく笑った。

 先輩も笑う。

 廊下に、二人の足音が並んで響いた。

 視聴覚室に着く。

 ファイルを机の上に置いた。

「ありがとうございました」

「うん」

 先輩は手を上げた。

「じゃあ、また明日」

「はい」

 一歩、歩き出した先輩が、ふと思い出したように振り返る。

「瑠夏ちゃん」

「はい?」

「文化祭、楽しもうね」

 そう言って笑った。

「……はい」

 先輩は今度こそ廊下の向こうへ歩いていった。

 私は、その背中を見送った。

 高い身長。

 シルバーのネクタイ。

 そして、さっきの笑顔。

 確かに。

 学校で人気があるのも、少し分かる気がした。

 でも――。

「……あれ?」

 私は首を傾げた。

 そういえば。

 あの先輩、名前……なんだっけ?

 さっき、廊下で女子たちが何か言っていた。

 たしか……。

「……拓実、先輩?」

 自信なさげに呟いて、私は小さく笑った。

 まだ私にとっては。

 今日初めて話した、少し気になる先輩。

 それだけだった。