——いわくつきにしては、存外、普通に仕舞われてるな?
"亡国の呪われたサファイア"
国を滅ぼし、血を吸って深い青になったという伝説のサファイア。それは、暗闇の中でも人を狂わせそうな輝きをはなっていた。
——二重底か。
彼は指先で細工を探り、最後の隠し板を押し込んだ。
そこにあったのは古びた羊皮紙の束と、赤い封蝋が押された書類だった。
億を超える宝石よりも大切そうに収まっている。
——おいおい、宝石じゃなくこっちが本命かよ。
考えるより先に指がそれをつかんでいた。
怪盗3X。
世間の記者はふざけて、彼を「グランド・ゼロ」とも呼ぶ。
派手な美術品を好むと書き立てられるが、そいつは少し違っている。値札のついた獲物より、楽しそうなところで盗む。それが彼の流儀だった。
その夜のハーロウ家の庭園には霧が出ていた。
警備員の制服をまとった怪盗3Xは、何食わぬ顔で廊下を歩いていた。
古びた羊皮紙の束。
赤い封蝋の押された書類。
紙越しにも権力と血筋と、国ひとつをひっくり返せるだけの火薬の気配がただよっていた。
面白い夜になった。思いながら角を曲がったとき、足音が聞こえた。
3Xは反射的にそちらを見やる。
現れたのは一人の女だった。
この屋敷の使用人にしては、立ち姿が静かすぎる。
とりあえず先手を打った。
「お疲れさまです」
夜警らしい無難な声。表情も、いかにも無害そうに整える。
女は見透かしたように、まっすぐディオンを見て言った。
「こんばんは、怪盗さん」
——マジかよ。
一瞬、思考が止まった。
見やぶられた。
ディオンは胸の奥がぞくりとするのを感じていた。
失敗の冷や汗ではない。
予想外の解錠をした時の、あの甘い痺れに近い。
怪盗3Xは人好きのする笑みを崩さないまま、白々しく続けた。
「何か、ご用ですか」
「ええ。夜中の仕事でそんなに浮かれる人は珍しいもの」
やわらかい話し方だが、刃先みたいに迷いがない。
ディオンは可笑しくなった。
大声を上げることも、助けを呼ぶこともできるはずなのに、この女はしない。
代わりに、怪盗の正体を突きつきてこちらの反応を見ていた。
試されている。
——こいつ、普通じゃないぞ?
「家の者である私を、挑戦的な目で見る警備員がいるかしら、怪盗さん?」
3Xはついにこらえきれなくなって笑った。これだから、怪盗はやめられない!
「警備を呼ばないのかい?本物の」
少し離れたサロンでは囮の「亡国のサファイア」が展示され、厳重に警備されているだろう。人を呼ぶのはたやすい。
改めて、遠慮なく彼女を見た。頭の先からつま先まで。
無礼なくらい露骨にながめても、女は眉ひとつ動かさない。
シンプルで品のいいデザインの、動きやすそうなワンピースを着ていた。その目がたまらなくかしこい。
綺麗だと思うより先に、興味がわいた。
「怪盗を名乗るから、もっと暴力的かと思っていたわ」
「がっかりしたかい?」
「ほっとしたわ」
さらりと言ってのける。ディオンは口元をゆるめた。
「俺はディオン・オブライエン。怪盗3Xといわれてもいる。好きな方で呼んでくれ」
「お友達になるつもりはないのよ」
淡々と女は言った。
冷たい返事が心地いい。
「それで。サファイア以外にも、何かお持ちになったの?」
紙切れのことか!
「ふうん」
やはり怪盗の勘は外れない。
「……あの石より、よっぽど面白いものらしい」
女は答えない。
女は宝石よりも先にそちらをきいた。そして沈黙。
答えはそれで足りた。
こいつは知っている。あの書類が何を意味するのかを。
そして、怪盗3Xがそれを持ち去ったことの重さも。
なのに叫ばない。泣きもしない。
ただ、まっすぐこっちを見る。
ぞくり、とまた胸の奥がうずいた。
盗みの夜にこんな顔をされるとは。宝石を奪った時より、始末が悪い。
「名前を呼ぶのは、次に会ったときのお楽しみにしておくよ!」
そう言って、彼はふところから取り出したものを彼女の胸元へ放り投げた。女は反射的に両手で受け取る。それは、青い宝石のついたネックレスだ。
「亡国のサファイア?どうして――」
彼女の目がはじめて大きく揺れた。
やっとだ。その冷静な顔を崩せた。
素直に嬉しい。
「またな!」
ディオンは笑うと、言い終わるより早く窓辺へ退く。
彼女が顔を上げたとき、そこにはもう怪盗の姿はなかった。開いた窓から吹き込んだ夜風が、大きくカーテンを揺らす。
面白い獲物を盗んだ、と思っていた。
本当に心を引っかけていったのは、宝石でも紙束でもない。
変装を一瞬で見抜き、少しもおびえず、しかも最後にあんな目をした女だった。
名前もまだ知らないのに、次に会う口実を考えている。
重症の予感だ。
"亡国の呪われたサファイア"
国を滅ぼし、血を吸って深い青になったという伝説のサファイア。それは、暗闇の中でも人を狂わせそうな輝きをはなっていた。
——二重底か。
彼は指先で細工を探り、最後の隠し板を押し込んだ。
そこにあったのは古びた羊皮紙の束と、赤い封蝋が押された書類だった。
億を超える宝石よりも大切そうに収まっている。
——おいおい、宝石じゃなくこっちが本命かよ。
考えるより先に指がそれをつかんでいた。
怪盗3X。
世間の記者はふざけて、彼を「グランド・ゼロ」とも呼ぶ。
派手な美術品を好むと書き立てられるが、そいつは少し違っている。値札のついた獲物より、楽しそうなところで盗む。それが彼の流儀だった。
その夜のハーロウ家の庭園には霧が出ていた。
警備員の制服をまとった怪盗3Xは、何食わぬ顔で廊下を歩いていた。
古びた羊皮紙の束。
赤い封蝋の押された書類。
紙越しにも権力と血筋と、国ひとつをひっくり返せるだけの火薬の気配がただよっていた。
面白い夜になった。思いながら角を曲がったとき、足音が聞こえた。
3Xは反射的にそちらを見やる。
現れたのは一人の女だった。
この屋敷の使用人にしては、立ち姿が静かすぎる。
とりあえず先手を打った。
「お疲れさまです」
夜警らしい無難な声。表情も、いかにも無害そうに整える。
女は見透かしたように、まっすぐディオンを見て言った。
「こんばんは、怪盗さん」
——マジかよ。
一瞬、思考が止まった。
見やぶられた。
ディオンは胸の奥がぞくりとするのを感じていた。
失敗の冷や汗ではない。
予想外の解錠をした時の、あの甘い痺れに近い。
怪盗3Xは人好きのする笑みを崩さないまま、白々しく続けた。
「何か、ご用ですか」
「ええ。夜中の仕事でそんなに浮かれる人は珍しいもの」
やわらかい話し方だが、刃先みたいに迷いがない。
ディオンは可笑しくなった。
大声を上げることも、助けを呼ぶこともできるはずなのに、この女はしない。
代わりに、怪盗の正体を突きつきてこちらの反応を見ていた。
試されている。
——こいつ、普通じゃないぞ?
「家の者である私を、挑戦的な目で見る警備員がいるかしら、怪盗さん?」
3Xはついにこらえきれなくなって笑った。これだから、怪盗はやめられない!
「警備を呼ばないのかい?本物の」
少し離れたサロンでは囮の「亡国のサファイア」が展示され、厳重に警備されているだろう。人を呼ぶのはたやすい。
改めて、遠慮なく彼女を見た。頭の先からつま先まで。
無礼なくらい露骨にながめても、女は眉ひとつ動かさない。
シンプルで品のいいデザインの、動きやすそうなワンピースを着ていた。その目がたまらなくかしこい。
綺麗だと思うより先に、興味がわいた。
「怪盗を名乗るから、もっと暴力的かと思っていたわ」
「がっかりしたかい?」
「ほっとしたわ」
さらりと言ってのける。ディオンは口元をゆるめた。
「俺はディオン・オブライエン。怪盗3Xといわれてもいる。好きな方で呼んでくれ」
「お友達になるつもりはないのよ」
淡々と女は言った。
冷たい返事が心地いい。
「それで。サファイア以外にも、何かお持ちになったの?」
紙切れのことか!
「ふうん」
やはり怪盗の勘は外れない。
「……あの石より、よっぽど面白いものらしい」
女は答えない。
女は宝石よりも先にそちらをきいた。そして沈黙。
答えはそれで足りた。
こいつは知っている。あの書類が何を意味するのかを。
そして、怪盗3Xがそれを持ち去ったことの重さも。
なのに叫ばない。泣きもしない。
ただ、まっすぐこっちを見る。
ぞくり、とまた胸の奥がうずいた。
盗みの夜にこんな顔をされるとは。宝石を奪った時より、始末が悪い。
「名前を呼ぶのは、次に会ったときのお楽しみにしておくよ!」
そう言って、彼はふところから取り出したものを彼女の胸元へ放り投げた。女は反射的に両手で受け取る。それは、青い宝石のついたネックレスだ。
「亡国のサファイア?どうして――」
彼女の目がはじめて大きく揺れた。
やっとだ。その冷静な顔を崩せた。
素直に嬉しい。
「またな!」
ディオンは笑うと、言い終わるより早く窓辺へ退く。
彼女が顔を上げたとき、そこにはもう怪盗の姿はなかった。開いた窓から吹き込んだ夜風が、大きくカーテンを揺らす。
面白い獲物を盗んだ、と思っていた。
本当に心を引っかけていったのは、宝石でも紙束でもない。
変装を一瞬で見抜き、少しもおびえず、しかも最後にあんな目をした女だった。
名前もまだ知らないのに、次に会う口実を考えている。
重症の予感だ。
