* * *
「おい、ハル! どうしたんだよ?」
おうくんの元気な声に、ハッと我に返る。
足元には、パスされたサッカーボールが転がっていた。
「な、なんでもないよっ……!」
本当は引っ越しのことで、頭と胸がいっぱいだった。
おうくんは、じぃーっと僕の顔を見つめてくる。
「お前、腹でも痛いのか?」
「へ? い、痛くないよ」
「ふーん」
僕がパスしたボールを、おうくんは足で器用にキャッチする。
——と、思いきや、
「グミ、食べる?」
ガサゴソと、ポケットを漁る。
出てきたのは、くしゃくしゃになった袋だった。
「く、くれるの……?」
「おうよ。オレはカンダイ? な王だからな」
グミの袋を開けると、おうくんは、「あっ」と声を上げた。
「す、すまん、ハル……全部、食っちまった」
まるでイタズラがバレた子どもみたいな顔。
「ふっ、ふふふ」
思わず、悲しみを忘れた。
「食いしん坊なんだね、おうくんは」
「ほ、ほら! 腹が減っては、いくさはできんだろ!」
おうくんの顔が、ぷくぅーっと風船みたいに赤くなる。
「って、そっちじゃねぇ!」
勢いよく蹴ったボールが、空高く弾んだ。
おうくんのボールは、公園の桜の木に突っこんで、そのまま枝に引っ掛かる。
「やっちまったぁぁぁっ!」
「ど、どうしよう……」
「取り返すに決まってんだろ! じゃないと、後で母ちゃんに怒られる!」
真っ赤になっていた顔が、一瞬にして青ざめる。
桜の木の根元に駆け寄ると、おうくんは木の幹に軽々と足をかけ、あっという間に上へ登っていってしまった。
「ハル、お前も来いよ!」
「えっ……ぼ、僕も?」
枝と枝の間から顔を出したおうくんが、キラキラの笑顔で僕を見下していた。
ボールなら回収できたはずなのに。
「すっげぇキレイだぞ!」
ふと頭をよぎったのは、前にお兄ちゃん達と遊んだ時のこと。
お兄ちゃんの妹だからという理由で、僕は男の子達の仲間に混ぜてもらっていた。
そしたらお兄ちゃんの友達の一人が、木登りしようって言い出したんだ。
『ハルも、早くおいでよ』
『ハルには無理だろぉ〜。だって』
胸に焼き付いた、呪いの言葉。
『いいのよ、ハルちゃん。あなたは、”女の子”なんだから』
今でもよく思い出す。
僕はお兄ちゃん達とは違う……。
同じ場所には行けないんだっていう、あの時の寂しさと虚しさを。
「で、できないよ……」
「なんで? 登ったことあんの?」
苛立っているわけじゃなくて、純粋にわからないという口ぶりだった。
「な、ないけど……」
「じゃあ、登ってみなきゃわかんねぇじゃん」
「で、でも……! みんな言うんだよ……僕には無理だって……」
「そんなの、みんなが決めることじゃない。お前が登りたいか、登りたくないかだろ」
「そ、それは……」
「しょうがねぇな」
おろおろしている僕に向かって、おうくんは枝に掴まりながら、もう片方の手をぐっと伸ばしてきた。ほんのちょっとだけ、めんどくさそうな顔をしながら。
「引っ張ってやるから、絶対、離すなよ」
おうくんの手は、ちょっぴり硬くて、絆創膏だらけだった。
だけど、まるで太陽みたいに温かくて。
触れた瞬間、胸の中の不安が、すっと溶けていった。
「登れたじゃん!」
「は、離さないでよ!?」
「ハハハハ! わりぃわりぃ」
真っ白な歯を光らせて、豪快に笑うおうくん。
悪気なんて、これっぽっちもなさそうだった。
「でも、登って良かっただろ?」
「う、うんっ」
世界の色が、強く光って見えた。
桜の匂いをはらんだ風が、さらさらと心地よい春の音色を奏でる。
見上げるほど大きかった街を、見下ろしている感覚が不思議で、少しだけ誇らしかった。
あの瞬間、僕はきっと君の魔法に魅せられていたんだ。
「ありがとう」
おうくんがいなければ、きっと一生、見ることがなかった景色。
「オレは手を貸してやっただけだ! グミ1000個、後払いで勘弁してやる!」
「そ、そんなに食べれるの……?」
みんなは無理だって決めつけても、おうくんはそうじゃない。
僕を対等な存在として見てくれた。
「あのね、おうくん……」
引っ越しのことを話した瞬間、おうくんの顔から笑顔が消えた。
おうくんは、濡れた目をゴシゴシと手のひらでこする。
だけど、すぐに僕の手を力強く握り返して、ガビガビになった声で叫んでくれたんだ。
「絶対……また会いに来いよ! お前とまた桜が見れるまで、ずっと……おれ、ここで待ってるから!」
桜の花びらに交わした、僕らの約束。
一日たりとも忘れたことなんてなかったよ。
君と追いかけた飛行機雲の形も。
二人で寝転んだ、土と芝生の温かさも。
一緒にはしゃいだ、雨の日の水たまりの色だって。
引っ越した先で、僕にも女の子の友達ができた。
だけど……いつだって僕の心のど真ん中には、おうくんがいた。
女の子の服を着てみたことも、一度だけあった。
でも……動きにくくて、すぐに脱いじゃったんだ。
だから、僕は今でもお兄ちゃんのお下がりを着ている。
おうくんが知ったら、呆れられちゃうかもしれないけれど。
春の花が咲く間、僕はずっと待っていたんだ。
そして、君は十年後。
僕をまた助けにきてくれた。
「セニョリータッ!」
驚きすぎて、喉から心臓が飛び出すかと思ったよ。
あの日、駅に現れた君は、僕の記憶にいた君よりも背が伸びていて。
昔、一緒に読んだ、マンガの不良キャラみたいに、髪を金色に染めちゃってさ。
「もしかして、おうくん……?」
「ほへ?」
だけど、声を聞けば、すぐにわかった。
「ハル?」
神様、ありがとうって、声に出して叫びそうになったよ。
——でも。
おうくんは、僕をまだ男の子だと思ってた。
当たり前だ。
だって、僕がそういう風に仕向けたんだから。
「オレ、美澄先輩が好きなんだよ!」
なんで僕じゃないんだって、何度も嫉妬してしまった。
僕の方が、おうくんのこと、ずっとよく知ってるのに。
せめて、友達でいるくらいは許して欲しかった。
たとえ、未来の君が、僕じゃない誰かのとなりで笑っていたとしても。
* * *
「おい、ハル! どうしたんだよ?」
おうくんの元気な声に、ハッと我に返る。
足元には、パスされたサッカーボールが転がっていた。
「な、なんでもないよっ……!」
本当は引っ越しのことで、頭と胸がいっぱいだった。
おうくんは、じぃーっと僕の顔を見つめてくる。
「お前、腹でも痛いのか?」
「へ? い、痛くないよ」
「ふーん」
僕がパスしたボールを、おうくんは足で器用にキャッチする。
——と、思いきや、
「グミ、食べる?」
ガサゴソと、ポケットを漁る。
出てきたのは、くしゃくしゃになった袋だった。
「く、くれるの……?」
「おうよ。オレはカンダイ? な王だからな」
グミの袋を開けると、おうくんは、「あっ」と声を上げた。
「す、すまん、ハル……全部、食っちまった」
まるでイタズラがバレた子どもみたいな顔。
「ふっ、ふふふ」
思わず、悲しみを忘れた。
「食いしん坊なんだね、おうくんは」
「ほ、ほら! 腹が減っては、いくさはできんだろ!」
おうくんの顔が、ぷくぅーっと風船みたいに赤くなる。
「って、そっちじゃねぇ!」
勢いよく蹴ったボールが、空高く弾んだ。
おうくんのボールは、公園の桜の木に突っこんで、そのまま枝に引っ掛かる。
「やっちまったぁぁぁっ!」
「ど、どうしよう……」
「取り返すに決まってんだろ! じゃないと、後で母ちゃんに怒られる!」
真っ赤になっていた顔が、一瞬にして青ざめる。
桜の木の根元に駆け寄ると、おうくんは木の幹に軽々と足をかけ、あっという間に上へ登っていってしまった。
「ハル、お前も来いよ!」
「えっ……ぼ、僕も?」
枝と枝の間から顔を出したおうくんが、キラキラの笑顔で僕を見下していた。
ボールなら回収できたはずなのに。
「すっげぇキレイだぞ!」
ふと頭をよぎったのは、前にお兄ちゃん達と遊んだ時のこと。
お兄ちゃんの妹だからという理由で、僕は男の子達の仲間に混ぜてもらっていた。
そしたらお兄ちゃんの友達の一人が、木登りしようって言い出したんだ。
『ハルも、早くおいでよ』
『ハルには無理だろぉ〜。だって』
胸に焼き付いた、呪いの言葉。
『いいのよ、ハルちゃん。あなたは、”女の子”なんだから』
今でもよく思い出す。
僕はお兄ちゃん達とは違う……。
同じ場所には行けないんだっていう、あの時の寂しさと虚しさを。
「で、できないよ……」
「なんで? 登ったことあんの?」
苛立っているわけじゃなくて、純粋にわからないという口ぶりだった。
「な、ないけど……」
「じゃあ、登ってみなきゃわかんねぇじゃん」
「で、でも……! みんな言うんだよ……僕には無理だって……」
「そんなの、みんなが決めることじゃない。お前が登りたいか、登りたくないかだろ」
「そ、それは……」
「しょうがねぇな」
おろおろしている僕に向かって、おうくんは枝に掴まりながら、もう片方の手をぐっと伸ばしてきた。ほんのちょっとだけ、めんどくさそうな顔をしながら。
「引っ張ってやるから、絶対、離すなよ」
おうくんの手は、ちょっぴり硬くて、絆創膏だらけだった。
だけど、まるで太陽みたいに温かくて。
触れた瞬間、胸の中の不安が、すっと溶けていった。
「登れたじゃん!」
「は、離さないでよ!?」
「ハハハハ! わりぃわりぃ」
真っ白な歯を光らせて、豪快に笑うおうくん。
悪気なんて、これっぽっちもなさそうだった。
「でも、登って良かっただろ?」
「う、うんっ」
世界の色が、強く光って見えた。
桜の匂いをはらんだ風が、さらさらと心地よい春の音色を奏でる。
見上げるほど大きかった街を、見下ろしている感覚が不思議で、少しだけ誇らしかった。
あの瞬間、僕はきっと君の魔法に魅せられていたんだ。
「ありがとう」
おうくんがいなければ、きっと一生、見ることがなかった景色。
「オレは手を貸してやっただけだ! グミ1000個、後払いで勘弁してやる!」
「そ、そんなに食べれるの……?」
みんなは無理だって決めつけても、おうくんはそうじゃない。
僕を対等な存在として見てくれた。
「あのね、おうくん……」
引っ越しのことを話した瞬間、おうくんの顔から笑顔が消えた。
おうくんは、濡れた目をゴシゴシと手のひらでこする。
だけど、すぐに僕の手を力強く握り返して、ガビガビになった声で叫んでくれたんだ。
「絶対……また会いに来いよ! お前とまた桜が見れるまで、ずっと……おれ、ここで待ってるから!」
桜の花びらに交わした、僕らの約束。
一日たりとも忘れたことなんてなかったよ。
君と追いかけた飛行機雲の形も。
二人で寝転んだ、土と芝生の温かさも。
一緒にはしゃいだ、雨の日の水たまりの色だって。
引っ越した先で、僕にも女の子の友達ができた。
だけど……いつだって僕の心のど真ん中には、おうくんがいた。
女の子の服を着てみたことも、一度だけあった。
でも……動きにくくて、すぐに脱いじゃったんだ。
だから、僕は今でもお兄ちゃんのお下がりを着ている。
おうくんが知ったら、呆れられちゃうかもしれないけれど。
春の花が咲く間、僕はずっと待っていたんだ。
そして、君は十年後。
僕をまた助けにきてくれた。
「セニョリータッ!」
驚きすぎて、喉から心臓が飛び出すかと思ったよ。
あの日、駅に現れた君は、僕の記憶にいた君よりも背が伸びていて。
昔、一緒に読んだ、マンガの不良キャラみたいに、髪を金色に染めちゃってさ。
「もしかして、おうくん……?」
「ほへ?」
だけど、声を聞けば、すぐにわかった。
「ハル?」
神様、ありがとうって、声に出して叫びそうになったよ。
——でも。
おうくんは、僕をまだ男の子だと思ってた。
当たり前だ。
だって、僕がそういう風に仕向けたんだから。
「オレ、美澄先輩が好きなんだよ!」
なんで僕じゃないんだって、何度も嫉妬してしまった。
僕の方が、おうくんのこと、ずっとよく知ってるのに。
せめて、友達でいるくらいは許して欲しかった。
たとえ、未来の君が、僕じゃない誰かのとなりで笑っていたとしても。
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