桜が咲いたら、必ず君に会いにいく

「あ~、最悪だ」

 こんな天気の良い日に、反省文を書かされるはめになるなんて。

 オレの貴重な放課後をどうしてくれるんだよ。

 ガリガリと、シャーペンを走らせる音が、無人の教室に響く。

 しかし、机の上の原稿用紙は一向に埋まらず、愚痴と消しカスばかりがたまっていく。

「放送室くらい、自由に使わせてくれたっていいだろうがっ、ケチ!」

 どうして、学校の教員たるものは、ああも頭が硬いんだ。

 オレ達は今、青い春の最前線を走っているんだぞ。

「そうだ! 校則を変えればいいんじゃないか!?」

 反省文を書き終え、帰りの道で自転車を漕ぎながら、オレはひらめいた。

 だいたい学校のルールってもんは、今も昔も厳しすぎる。
 おまけに意味のない、謎めいた規則を作りすぎた。

 こんな苦境が続けば、十年後の未来には、学校中の生徒がのたれ死んでしまう!

 ならば——オレが革命を起こすしかない。

 奇跡の救世主(メシア)となり、全国の学生達を窮屈な檻から解き放つのだ。

 となれば、次に考えるべきは、いかにしてオレの主張を聞いてもらうかだ。
 
「校庭のド真ん中を陣取って演説するか、それとも有志を集ってデモを起こすか…」

 いや、しかし、それではオレがまた懲戒処分になるかもしれん。
 二度も反省文を書かされるのは、もうごめんだ。

 何か合法的に訴える方法はないのかぁ!?

「よし、応援を呼ぼう!」

 横断歩道の信号が赤に変わり、自転車のブレーキをかける。

 ハルにSOSを送ろうと、スマホを開いた時だった。 

「あれ、ハルじゃねぇか?」

 なにげなく向けた視線の先。

 道路沿いにあるドーナツ屋の窓際の席で、見覚えのある紫のパーカーが動いた。

「あいつ、こんなところで何サボってんだよ」

 おかげで、連絡する手間は省けたけど。

 スマホをポケットにしまい、青になった信号を渡る。

 挨拶がてら驚かしに行ってやろうと店の前に立った、その時だった。

「なんで……一緒にいるんだよ?」

 ハルの向かい側に座る、うちの高校の制服を着た女子高生に目が吸いよせられた。

 胸元で軽やかに揺れる長い黒髪と、見る人を魅了するオリーブの瞳。

「紗雪先輩……」

 さぁーっと、首筋の太い血管が、芯まで冷え切っていく。
 
 気色の悪いざわつきを胸に覚え、オレは反射的に近くの狭い通路へ身を滑らせた。

 ガラス一枚を隔てた壁の向こうで、紗雪先輩が微笑んでいる。

 背を向けたハルの表情は、ここからじゃわからない。

 まさか、店の外にオレがいるなんて、二人は夢にも思っていないのだろう。

 数分後、二人は席を立ち、店から出てきた。

 ここで見つかるわけにはいかん……!

 十メートルあまりの距離を取りながら、二人の後を尾行する。

 肺活量を減らして気配を消し、音を立てないよう足の親指に全神経を集中させた。

 しかし、次の瞬間——。

 ブォォォォーーーーーン!!
 
「うわっ!?」
 
 とんでもない爆音が響いた。

 激しい突風が直撃し、前髪が後ろにめくれる。

 オレを坊主にする気か!?

 ハリケーンのごとく巻き上がった砂埃に、腕で顔を庇い、オレは目をすがめた。

 目の前を通り過ぎていったのは、派手な見た目をした大型バイク。

 地響きのようなエンジン音が遠のき、嵐が過ぎ去った頃——二人の姿は消えていた。

「ど、どっちに行ったんだ!?」

 道は右と左に分かれている。

「こ、こっちだぁ!」

 直感で選んだ右の道を突き進んだ。

「い、行き止まり、だと……?」

 しかし、現れたのは、赤のコーンと工事中の文字。

「バイクマンめ、マジで許さん……」

 わずかな望みにかけ、オレは来た道を引き返す。

 二人とも、もう近くにはいないかもしれないが……。

「逃げないで……! ハルくんっ!」

 今のは、紗雪先輩の声……?

 冷たい汗が顎を伝って、太ももの上にぽたりと滴り落ちる。

 ヒリついた喉から、苦くて生ぬるい唾が湧き出した。

 オレは自転車を降り、声のした方へ、ゆっくりと歩いていく。

 そして、薄暗い路地裏で目にしたのは——

 おい、どういうことだよ……?

 紗雪先輩が、ハルを抱きしめていた。

 ハルの手は先輩の背中に回されているわけでもなく、中途半端に腰の位置で止まったまま硬直している。紗雪先輩よりも、ハルの方が数センチ肩の位置が低かった。

「それでも……私の気持ちは何も変わらないよ」

 紗雪先輩の細い指が、ハルの横顔のラインをなぞり、頬に触れる。

 まるで傷物を扱うみたいに優しく、いたわるように。

 わずか数分にして、空の様子が一変した。

 広がっていく暗雲が太陽を侵食し、落ちた影が二人の表情を薄闇に隠す。

 雨が降り出す前の、土っぽい匂いが鼻先をかすめた。

 ビクッと、ハルの細い背中が強張る。

 紗雪先輩は、ハルの耳元にそっと顔を寄せると、薄い唇が開いて、何かをささやいた。

 内容なんて聞こえない。だけど……まるで耳の中を、針でえぐられた気がした。
 
 オレの胸のど真ん中で、黒い霧がとぐろを巻き、鳴りを潜めていた怪物が牙を剥く。

 ——ガチャン!

 痛烈な金属音が、静寂を破った。

 手から離れた自転車が地面に倒れている。

「二人でくっついて……何してんだよ……?」

 発した低い声が、まるで他人のもののように聞こえた。

「違うの、桜雅くん……これはっ!」

 紗雪先輩の綺麗な顔が青白く歪む。

 ぽつりぽつりと、降り出した細い雨が頬をぶった。

 まるでオレから逃げるように、ハルはパーカーのフードを頭から深く被り、顔を隠す。

 濡れたアスファルトに視線を落としまま、目を合わせようともしない。

 それが余計に胸の傷をえぐった。

 せめて、否定くらいしてほしかったのに……。

「あの言葉は全部……嘘だったんですね……。オレ……最後まで信じたかったです、紗雪先輩のこと」
「お願い、桜雅くんっ! 話を聞いて!」

 ——聞きたくない。
 言い訳なんてされるくらいなら。
 いっそ、この場で別れを告げられた方がマシだ……。

「……バカだなぁ」

 響いた声は、ぞっとするほど冷たくて、ハルのものだと気付くのに数秒遅れた。

「自惚れすぎなんだよ、おうくんは」
「……は?」

 ハルが顔をあげる。

 フードの下の瞳は、底なしのがらんどうを映していた。

「僕ね、ずっと待ってたんだ……。二人の関係がこじれるのを」
「今……なんつった……?」
「聞こえなかった? 二人が別れてくれて、清々したって言ったんだよ」
「なんだとっ……!」
「おうくんなんかより、僕の方がよっぽど先輩を幸せにできる。先輩がつまらなそうにしてたの、気付かなかった? ああ、でも、しょうがないかぁ……。脳みそ筋肉の、ポンコツゴリラだもんね?」
「ハル、お前っ……!

 赤い火花が散る。

 怒りのマグマが脳天に達し、ハルの胸ぐらに手を伸ばしかけたその時。
 
「桜雅くん、だめっ!」

 悲鳴が上がり、紗雪先輩がオレとハルの間に割りこんだ。
 
 両手を広げて、背中にいるハルを庇うように立ち塞がる。

「はははは……。先輩は僕の味方だってさ。残念だったね。それと……すぐに手を出すような男は嫌われるよ」
「裏切り者……! 応援するって、あの時、言ったじゃねぇか!?」
「……応援? そんなこと言ったっけ? まぁ、最初からする気なかったけど」
「お前、オレを騙しやがったな!?」
「騙される方が悪いんだよ。なに悲劇のヒーローぶってるのさ」
「もうやめて、二人とも! ねぇ、ハルくん……! どうして、そんなこと言うの!?」

 次の瞬間、はたりと雨の音が小さくなったような気がした。

「僕だって……好きだったんだよ……」

 こぼれ落ちたのは、静かな叫び。

「ずっと羨ましかった……。なんで、僕じゃないんだって……」
「だったら……もっと早く言えば良かっただろ!?」
「言えるわけないじゃんっ! だって、僕達……友達なんだから!

 心臓を刺した声は痛切だった。

「でも、それももう無理だね。全部、バレちゃったんだもん……」

 雨の中だと、なおさら頼りなく見える背中を向け、ハルは水たまりを踏んで歩き出す。

「——さようなら、おうくん」

 オレとハルを繋いでいた、固い糸。

 たとえ、十年の時が経てど、その結び目がほつれることはなかった。

 なのに……。
 ほどける瞬間は、こんなにもあっけないものなのか……。

「——追いかけて、桜雅くん」
「……」
 
 しかし、オレの足は、ぴくりとも動かない。

 まるで足の指先が、アスファルトにのめりこんで、そのまま固まってしまったみたいに。

「突っ立ってちゃだめ……! 今、追いかけないと……!」
「どうでもいいですよ……あんなやつ……」

 胸にぽっかりと空いた穴に冷たい雨が注ぎこみ、内臓を凍りつかせる。

 道の真ん中で立ち尽くすオレに、紗雪先輩は凛々しく告げた。

「君が行かないなら……私が行く!」

 路肩に落ちていたドーナツの紙袋を拾い上げると、紗雪先輩は雨の中を傘も差さずに走り出す。

 濡れそぼった背中は、一度だって、オレの方を振り返ってはくれなかった。