桜が咲いたら、必ず君に会いにいく

 ”あいつ”のことが、ずっと頭から離れなかった。
 
 やっぱり、紗雪先輩は、まだ忘れられないんだろうか。

 あれは今朝の移動教室。

 2年生の廊下を歩いていた時のことだった。

『ねぇ、知ってる? となりのクラスの美澄さん、また下級生の男子振ったんだって』
『えー、またー? いくら顔が良いからって、男癖悪すぎ』
『どうせ、本命は、”あの先輩”だけだったんでしょ。ほら、前に生徒会長やってた、イケメンの人。一時期、噂になってたじゃん。二人が遊園地とか海で、デートしてるところ見たって』
『じゃあ、風間(かざま)先輩以外の男は全員、ただの遊びってこと?』
『うわぁ、可哀想……。でも、チョロそうだもんねぇ、あの金髪くん』

 ——違う。

 紗雪先輩は、そんな人じゃない。

 一緒に過ごした時間が、すべて嘘だと言うのなら、あんな苦しそうな顔ができるわけないだろっ……。

 わかってる。
 
 入学式の日、紗雪先輩が声をかけてくれたのは、冷やかしなんかじゃない。
 
 ましてや、元カレと別れた憂さ晴らしでもない。

 だけど、あの男との過去に未練があるのも、きっと事実だ……。

「あんな背高のっぽの、どこがいいんだよ……!」

 ちょっと顔が良くて、元生徒会長で、勉強もできて……。

 元カレの分際で、今も紗雪先輩の幸せを願っている。

「悪いところが、一つもねぇじゃねぇか……」

 ドサっとベッドに倒れこみ、深く目を閉じる。

 吐いた息は重く、こもった部屋の空気に胸が押し潰されそうだった。

 結局、紗雪先輩の気持ちが、最後までオレに傾くことはなかった。
 
 彼女の抱えている傷も、心の孤独も……オレじゃ埋められなかった。 
 
 コンコン。

 ドアを外からノックする音に、意識が現実に引き戻された。

 おふくろか……?

 帰ってきた時、オレがげんなりしていたからか、「拾い食いでもして、腹を壊したか」と、割とガチなトーンで心配された。
 
 いや、違うな……。

 おふくろなら、もっとドアが壊れそうな叩き方をするはず。

 ——じゃあ、誰なんだ?

「おうくん、いる……?」

「その声は……ハル?」

 反射的に立ち上がり、ドアの前に立つ。
 右に回したドアノブが、心なしか、少し固かった。

 ドアが開き、オレの顔を見たとたん、ハルは不安そうに両手でスマホを握りしめた。

「びっくりしたよ。LIME(ライム)開いたら、これが見えて……」

 差し出された画面には、さっきオレが送ったメッセージが映っていた。

『振られた』

 ああ、そうだった。

 何してんだろうなぁ、オレ……。

 こんなのハルからしたら、ただの迷惑でしかないじゃないか。
 
「ハル……。オレ、紗雪先輩に振られちまった……」

 散々、見栄を張っていた自分が、ひたすら笑える。

 ハルだって、本当は呆れているんじゃないだろうか。

「ねぇ、おうくん」

 なでるように肩を叩かれ、顔を上げる。

「グミ、食べる?」
「は……?」

 ガサガサとグミの袋を出しながら、いたずらっぽく笑うハル。

 空気を読んでいない、ハルらしからぬ発言に、ふっと気が緩んだ。

「じゃ、じゃあ……もらう」

 右手を差し出すと、ハルはグミの袋を開けて、「あっ」と、わざとらしく声を出した。

「ごめん。もう全部、食べちゃった」
「……」

 開いて見せた袋の中身は空だった。

 ハルはおどけたように、照れ笑いを浮かべる。

 ……そういえば、昔も似たようなことがあった。

 でも、その時は、オレが元気のないハルを励まそうとして……。

 ——ああ、そうか。思い出したぞ。

「ハル、お前……。いつから、そんな食いしん坊になったんだよ」

 突然のキャラ変に、思わず、笑ってしまう。

「こんなに簡単に諦めちゃうなんて、おうくんのキャラじゃないでしょ」

 すると、ハルが挑発めいたことをぬかしてきた。

「生意気な口をききよって。オレの根性は、舐めてもグミみたいに甘くないぞ!」
「持ってくるの、飴の方が良かった?」
「んじゃ、抹茶以外で」
「苦いのダメなんだ」

肩を弾ませて笑うハルを見ていたら、胸の中にいたウジ虫が取れたような気がした。

「まぁ、恋ってもんは、そう一筋縄にはいかないよな。こうなったら、オレが紗雪先輩を奪い返すまでのことだ!」
「もう、調子いいんだから」

 机の上に立ち、高々と宣言する。

 クシャリと、グミの袋が潰れる音がした。
 
「ちゃんと……幸せになってよ」

 オレは何もわかっちゃいなかった。

 パーカーのポケットに押しこまれたハルの手が、小さく震えている理由も、言葉の意味も。