桜が咲いたら、必ず君に会いにいく

 今日は、ハルとオレの家で集まる約束をしていた。
 次の紗雪先輩とのデート計画を立てるためだ。

『家、着いたよ』

 スマホの通知が鳴る。ハルからだった。

 なぜ、玄関のチャイムを押さない?
 
 疑問に思いつつ、オレはゲームのコントローラーを操作しながら返信する。

『入ってきていいぞ。ドア開いてるから』
『いや、それじゃ泥棒みたいじゃん』

 いかにも真面目なハルらしい。

『おうくんが出てきてよ』

 犬がジト目でお座りしているスタンプが送られてくる。

 オレはゲーム機を置いて、立ち上がった。

 あと少しで百キル達成だったのに。

 まったく世話の焼けるポメラニアンだ。

 ドアを開けると、案の定、いつもと同じパーカーを着たハルが立っていた。

 そろそろ飽きないのか、そのファッション。
 
「よう!」
「や、やっほ」

 親しみをこめて、オレが挨拶すると、ハルは胸の位置くらいまで軽く手を上げた。
 そういや、ハルが家に来るのって、高校生になってからは初めてだったな。

「さぁ、上がった上がった!」
「お、お邪魔します……って、押さないでよ!」
「押すなと言ったら、押したくなるのが人間の本能ってもんだ。わかったら、大人しくお縄に付けぇ、ハル!」
「僕、まだ何もしてないよ!?」

 オレ達の声を聞きつけて、リビングから神出鬼没のおふくろが出てきた。

「もしかして、ハルちゃん?」

 びくっと、ハルが一瞬、動きを止める。
 
「こ、こんにちは、おばさん……ご無沙汰してます」
 
 おふくろと目が合うと、ハルはうやうやしく頭を下げた。
 しかし、かすかに口元が引きつっているような気もする。

「あら、やだぁ~。元気にしてた?」 
 
 般若(はんにゃ)のような顔が、ころっと菩薩(ぼさつ)様に早変わりし、おふくろはハルに絡んできた。しかも、割とスキンシップが強い。

 これじゃまるでいい歳したおばさんが、うら若き少年を誘っているみたいじゃないか。

「おい、やめろよ、おふくろ。ハルが困ってるだろ」
「そんなことないわよ。ねぇ、ハルちゃん?」
「は、はい……」
 
 おふくろは嬉しそうに、ハルの両手を包みこむように握る。

「昔も可愛かったけど、こんなに綺麗になってぇ。うちのポンコツゴリラには、もったいないくらいだわ」
「実の息子に向かって、ポンコツゴリラはないだろ!?」
「あははは……」

 苦笑いを浮かべるハル。
 しかし、オレの抗議の声が、おふくろの耳に届くことはなく……。

「髪も、前よりちょっと伸ばした?」
「え、えっと……」

 ハルは下を向いた。
 おふくろの視線から逃げるように。

「もういいだろ」
 
 二人の間に割って入る。

 掴んだハルの手首は、やっぱり驚くほどに細かった。 

「オレ達、今から大事な話があるんだよ」
「あら、そうだったの」

 頬に手を当て、おふくろは首を傾げる。

「頼むから、勝手に入ってきたりしないでくれよ。後、盗み聞きも禁止!」
「あたしはスパイじゃないのよ」
「とにかく、半径1メートル以内には近付かないでくれ。頼むよ、マジで」
「年寄りに持たせる華はないと。はいはい、よーくわかりましたよ」

 オレが強めに言うと、おふくろは大人しく引き下がった。
 何かとガミガミうるさいばあさんではあるが、空気は読めるらしい。 

 部屋に入ったとたん、乾燥機の蓋を開けた時のような、モワッとした空気を肌に感じた。

「なんだ、むさ苦しいな」

 ネクタイを緩めながら、部屋の中を見回す。
 
 床に投げ出されたままのゲーム機に、食べかけのポテトチップス。

 何も変化はない。もちろん、ポテチの数が減っているわけでもなさそうだ。

 とすれば——

「さては……おふくろのしわざか?」
「おばさんが、おうくんに何したっていうのさ」
「ガキの頃、ほうきで尻を引っ叩かれた」
「り、理由を聞いても?」

 オレが小学3年生の時の封印されし記憶。
 悪魔の理不尽な仕打ちにあい、命からがら逃げ還ったあの日。

「家の壁に絵を描いた。おふくろの口紅で」
「そりゃ怒るよ! しかも、なんで口紅!?」
「クレヨンが見つからなかったんだよ。でも、あれは間違いなく傑作だった! まったく惜しいことをしたもんだ」
「お、おばさんも大変だ.......」
「あっ!」
「今度は何!?」

 オレとしたことが、重大事項を見落としていた。

「オレ、まだ制服じゃねぇか」

 通りで、むさ苦しいはずだ。

「えっ——ちょっと待ってっ!!」
「ん? どうした、ハル」

 制服のシャツを床に脱ぎ捨て、ズボンを下ろしかけたところで、ハルが急に慌て出した。
 
 顔をトマトみたいに真っ赤にして、今にも破裂する寸前だ。

「何も気にすることはなかろう。それともまさか、オレの肉体美に嫉妬しているのか?」
「するわけないじゃん! おうくんの脳キンバカ!」
「なっ! 傷心が痛むぞ、ハル! オレだってなぁ、紗雪先輩に見合う男になろうと、毎日、滝の下で修行してるんだぞ!?」

 ——すべては、シュウマイ(秋也)に勝つために。

「見たか!? オレの黄金比の腹筋を!」
 
 うっすらと線が刻まれた腹まわりの肉が、ペチンと痛快な音を立てる。

「見せびらかさなくていいから!早く服着て!」

 ばっと後ろを向き、ハルは両手で目を塞いだ。

「な、なぜ、そこまで拒絶するんだ.....」

 目に見えないストレートパンチが、オレの腹筋めがけてクリーンヒットした。

 グオッ……。

「血も涙も、筋肉もない奴め」
「す、すねないでよ……」

Tシャツに着替えながら、フン! と、そっぽを向くと、ハルは両手の人差し指をいじり出した。

「だって、あの格好じゃ、おうくん風邪引いちゃうかもしれないし.......。そしたら紗雪先輩にも自慢できないでしょ」
「それだ!」

 オレは飛び上がり、ハルの両手を強く握った。びくんと、細い背筋が伸び上がる。

「ハル、やっぱり、お前は天才だ!」
「肝心な結論が抜けてるよ!?」

 机の引き出しから旅行雑誌を取り出し、床にベチン! と、叩きつける。

「春と言ったら青春! 青春と言ったら海! 海と言ったら筋肉だろ!」
「いや、最後はそうならないでしょ!?」

 すかさず、ハルが突っ込んだ。
 しかし、オレの意志は曲がらない。

「次のデートは海に行く! そうと決まれば、今日から腹筋百万回だ! 紗雪先輩に恥をかかせるわけにはいかん!」
「なんで脱ぐ前提なのさ!?」

 それからハルは少し声を潜めて、雑誌に映っている写真を見つめた。

「それに二回目のデートで、海は......ちょっとハードル高くない?」
「チッチッチッ」

 ハルの鼻先に人差し指を突き付け、左右に振る。

「オレを舐めてもらっちゃあ困るぜ、ハル」

 そんなこともあろうかと、事前に親父から、『モテる男の秘術(テクニック)100』を聞き出しておいた! おかげで朝まで酒の席——オレはオレンジジュース——に付き合わされ、午後の授業は睡魔で壊滅したが……。

 終わりよければすべてよし! 
 これで紗雪先輩も、オレに夢中になること間違いないはずだ!

「ふ、不安しかない……」
「ん?  何か言ったか?」
「な、なんでもない。……デート、頑張ってね」
「えっ、お前も来るだろ?」
「へ?」

 すっとんきょうな声が聞こえた。

 ハルは固まったまま目を見張る。

「い、行かないよ、僕は!」
「なんで? 遊園地の時は来てくれたじゃん」
「それとこれとは話が別!」

 ぶんぶんと、首が痛くなりそうな勢いで頭を振る。
 
 はっはぁーん、さてはこいつ……。

「安心しろ、ハル。ポテチよりも厚い友情に誓って、オレはお前をバカにしたりしない! たとえお前が……売れ残ったもやしでも、骨だけチキンだろうとな」
「それもう、ただの骨じゃん.......」
「骨だって、噛めばちっとは味がする」
「僕を出汁にする気!?」
「何も問題はない! ノープログラム(無計画)だ!」
「それを言うなら、ノープロブレム!」

 オレはとなりで暴れる子犬をパーカーごと引っ捕まえると、膝の上に抱え上げてお座りさせた。

「っ……!?」

 とたん、ハルは黙りこんで、大人しくなった。
 体温と体温が重なり合い、少し乱れた呼吸の音が聞こえる。

 こいつ、なんで、顔赤いんだよ。……熱でもあるのか?

「ふぇっ!?」

 オレが顔を近付けると、ハルはびくっと跳ねて固く目をつむった。
 
「おい、ハル」
「ん……」
「今から水着、買いに行くぞ」
「み、水着……?」

 イントネーションがおかしかった。

「思い立ったが吉日というだろう」
「いや、普通、紗雪先輩に聞くの先でしょ——って、待って、待ってぇ!」
「引っ張るなよ、ハル」
「引っ張ってるのは、おうくんでしょ!?」

 やいのやいのと引っ張り合う。

「綱引きかよ!?」
「ほんとにダメなんだって!」

 ピコン!

 と、その時、ハルのポケットの中で、スマホが震えた。

「あっ……」

 引っ張り合いを一時中断し、画面を確認する。
 オレもハルの肩から顔を出して覗きこんだ。

『駅前のプリン、買ってきて♡』

「これ、ハルの母ちゃんか?」
「あー、いや......」
「えっ、じゃあ、まさか彼女!? お前、いつの間に!」
「違うって! ……お兄ちゃんだよ」
「あ、兄貴?」
「う、うん」

 ハルはちょっと気まずそうに肩をすくめて、メッセージ画面を閉じた。

「ハート型のプリンってことか。一体、どんな味なんだ!?」

 ガクッとハルが膝を折って床に倒れた。

 ん? オレ、今、なんか変なこと言ったか? 

「ごめん、おうくん……僕、もう帰るよ」
「えっ、もう?」
「あんまり遅いと、お兄ちゃんがぐずるから」

 ハルは、ポケットにスマホをしまった。

 完全に尻に敷かれているじゃないか。

 ハルよ、お前んちは、一体、どんな暴れ馬を飼っているんだ。

「水着デート、オレと行ってくんねぇの?」
「い、行かない……」

 ハルは逃げるように目をそらした。

「んじゃ、後で、メルチャリで買って送っとくわ。Sサイズでいいか?」
「いらないからぁ! 絶対、送ってこないで!?」

 全力で拒否られた。

 中古品では不服なのか。なんて贅沢な。

 バタンと部屋のドアが閉じる。
 
 小さな肩をいからせ、ハルは帰っていった。

「なんで怒ってたんだ、あいつ」 
 
 そこまでして海に行きたくない理由は、一体、なんなんだよ。

 机の上に投げたペンが、コロコロと転がっていく。

 やがて、貯金箱——中身は軽い——にぶつかって、止まった。

 こうなったら、仕方あるまい。

「ハルがいなくたって、オレができる男だと証明してやる!」

 オレは一人、部屋の天井に向かって宣言する。

 すると、おふくろが部屋に駆けこんできて、

「騒ぐんじゃないよ! ご近所さんに迷惑でしょ!」

 と、特大の雷を落としていった。