桜が咲いたら、必ず君に会いにいく

 ハルを待っている間、オレと紗雪先輩は休憩所にいた。

「ハルくん、大丈夫かしら……」

 膝の上に置いたカバンの紐を、紗雪先輩はぎゅっと握りしめ、不安そうにつぶやく。

「私を庇おうとしてくれたのよね……」
「紗雪先輩が自分を責めることはないですよ! 元はといえば、オレがお化けごときに足を取られたからで……」
 
 ——オレのせい、なんだ。

 オレがくだらない見栄なんて張ったから。

 お化け屋敷に行こうなんて言い出したから……。

 二人を、危ない目にあわせてしまった。

「す、すみません。オレ、ちょっと飲み物買ってきます」
「あ、うん……わかった」

 やっぱ、ダサいなぁ、オレ……。

 オレはオレのままでいいんだって、あの時、ハルは言ってくれたけど。

 こんなんじゃ笑われちまう。

 ——いや、違うな。
 ハルは多分、笑ったりしない。
 バカなオレみたいにかっこつけたりなんてしないし、素直で優しい奴なんだ。

「あっ、ハルくん!」

 自販機で飲み物を買って戻ってくると、オレより一足先にハルが戻っていた。

「ご心配おかけして、すみません」
「ううん。ハルくんこそ、体はもう大丈夫なの?」
「はい、おかげさまで。一応、激しい乗り物は控えろって言われちゃいましたけど」

 胸のつかえが下りる。

 ひとまず、ハルにケガがなくて良かった。

「ハルくんが倒れた時、私、びっくりしたの。もし気を失ったままだったら、どうしようって、ずっと不安だった」
「本当に、すみません」
「謝らないで。むしろ、お礼を言わなきゃなのは私の方なんだから。ありがとう、ハルくん。私、嬉しかったよ」
「いえ、僕の方こそ。支えきれず、申し訳ない……」
「ふふふ、ハルくんって、すごく謙虚な人なのね」

 コインロッカーの陰にひっそりと身を潜め、オレは二人の会話を聞いていた。
 
 ハルの前で気を許したように笑う紗雪先輩を見ていたら、本当の邪魔者はオレなんじゃないかと、そんなふうに思えてくる。

「ハルくんの手、思ったより小さいんだね」 
「えっ……ちょっと先輩!?」

 紗雪先輩の手がしなやかに動いて、ハルの手のひらとぴったり重なる。

 遠目から見てもわかる、男子高生にしては華奢な手。
 
 紗雪先輩と比べても、ほとんど大差なく、なんならハルの方が、ほんの一回りほど小さく見えなくもない。

「や、やめてくださいっ……!」

 ハルは、ぱっと手を離した。

 決して照れ隠しなどではなく、触れるという行為を拒むように。

「ご、ごめんね! いきなり触ったりして……嫌だったよね」
「い、嫌とかじゃないです。ただ……」
「ただ?」
「僕が後で、おうくんに土下座しなきゃならなくなるので……」

 うつむき気味に言ったハルの言葉を聞いて、紗雪先輩は少し表情を和らげた。

「きっと、こういうことするから、嫌われちゃうのよね……」
「嫌われる……?」

 切なげにつぶやいた紗雪先輩に、ハルは首を傾げる。
 
 しかし、紗雪先輩はその問いには答えず、瞳の奥の色を曇らせた。

 周囲の賑やかな雑踏が遠のいて、二人の間に沈黙が落ちる。

「ねぇ、ハルくんってさ……。その、好きな人とかいるの?」
「へぇ!?」

 びくんと、ハルの肩が跳ね上がった。

 紗雪先輩、いきなり何聞いてんすか!?

 ハルに好きな人なんて……どうせ、いるわけない、よな?

「い、い、い、い、いないですよ!?」

 ハルは声を上擦らせ、両手をぶんぶん振った。

「ていうか、僕はそういうのいいかなぁって」
「そうなの?」
 
 うんうんと首を縦に振るハル。
目が必死に訴えていた。

「でも、ハルくんって、モテそうじゃない? イケメンだし、かっこいいし」
「と、とんでもない! 僕なんかより、おうくんの方が、よっぽどかっこいいですよ。いや、まぁ、たまにかっこつけようとして、滑ってる時はありますけど……でも、優しい人なんです」

 ペットボトルを握りしめていた指先の力が、ふっと緩んだ。

「だから——おうくんのこと、よろしくお願いします、先輩」

 ハル、お前って奴は。

「わかった……。ハルくんの想いは受け取ったよ」

 真剣なまなざしを向けるハルに、紗雪先輩は優しく微笑んだ。

「私も……今度は、ちゃんと好きって言いたいから」

 まるで自分に諭すような言い方だ。
 
 それを聞いたハルの瞳が、ほんの一瞬だけ寂しげに光って、オレの胸に小さな染みを作った。

「実は私ね、昔、付き合ってた男の子がいるの」
「「えっ」」

 慌てて、自分の口を押さえた。

 またしてもハルと同じ反応をしてしまった。

 幸い少し離れているから、オレの声が二人に届くことはなかったが……。

「先輩、恋人がいたんですか?」
「うん……。うちの学校の元生徒会長でね、二歳上の幼馴染だったんだ」

 な、なんと——紗雪先輩に恋人だとぉぉぉぉぉ!?

 コインロッカーに背中を貼り付けたまま、オレは無音の絶叫を上げた。

 しかも、相手は元生徒会長で、歳上系幼馴染だぁ!?

 いくらなんでも属性が強すぎる!

 それに比べたら、オレなんてただのガキじゃないか……。

 失意のドン底に突き落とされた直後、さらなる猛撃がオレを襲う。

「告白されたの、1年生の時に」

 こ、告白だとぉぉぉぉぉぉぉ!?

 飛び蹴りの挟み撃ちにあい、オレは完全にノックアウトした。

 いや、でも、待てよ?

 そもそも紗雪先輩は恋愛感情がわからないはずじゃ……。

「彼のことは信頼してたし、みんなが言う『普通の恋人』にも、彼とならなれるんじゃないかって思ってた……」

 紗雪先輩は膝の上で、両手をぎゅっと組み直す。

「私ね、アイスランド人の祖父がいるの。それで生まれつき、目の色が緑なんだけどね、小さい頃、男の子にからかわれたことがあって……。昔は自分の顔を好きになれなかった。でも、彼が言ってくれたの。『紗雪ちゃんの目の色、宝石みたいに綺麗で俺は好きだよ』って」

 紗雪先輩は手帳形のスマホケースを開いて、挟んである一枚の写真を取り出した。

 そこにはきっと先輩の元恋人の姿が映っているんだろう。
 
どんな奴だか気になるが、残念ながら、この位置からでは見えそうにない。

「彼は私を愛してくれていた。いつだって真摯に向き合ってくれたの。なのに……私は、彼に『好き』の一言すら伝えてあげられなかった」

 紗雪先輩は壊れ物に触れるみたいに、そっと写真の縁をなぞる。

 そこには確かに愛があった。

 でも、紗雪先輩が望む感情(あい)とは、それは似て非なるものだったのだろう。

「学校帰りに手を繋いだり、誰もいないところで抱き合ったり……キスだってしたの。でも、私、ちっともドキドキしなかった」
 
 紗雪先輩は、ふっと遠い目をした。

 まるで、努力しても手に入らなかった何かにすがるように。

「彼からしたら、とんだ失礼よね……。別れて正解だったと思う」
「振ったんですか……?」
「ううん、振られたのは……私」

 紗雪先輩は自虐的に微笑んで、言葉を重ねた。

「彼に言われたの。このまま付き合ってても、お互い苦しくなるだけだからって……」

 過去の傷を誤魔化すような言い方が、かえって、オレの胸をキュッと締め付けた。

「最後に彼の顔を見たのは、いつだったかなぁ……。もうしばらく会ってないの。彼、今じゃ大学生だしね」

 紗雪先輩は涙ぐみながら、写真をそっとスマホケースにしまった。

「ごめんね……急にこんな話して」
「あ、いえ……」
「ねぇ、ハルくん。このこと、桜雅くんには黙っててくれる?」
「伝えてないんですか?」
「彼を、がっかりさせたくなくて……。でも、こういう大事なことは最初に話しておくのが筋よね。私、桜雅くんに酷いことしてる……」

 何言ってるんですか、紗雪先輩!

 そんなくらいで、オレはへこたれるような男じゃないですよ!

 たとえ、紗雪先輩が過去にどんな奴と付き合っていようと、今のあなたを幸せにするのは、このオレなんですから!

「恋人として、最低だって思ったでしょう? でも、実際、みんなが言うほど私は綺麗な人間じゃない……」
「ずるいなんて、僕はこれっぽっちも思わないですよ」

「いいんだよ、ハルくん。年上だからって、私に気を遣わなくても」
「そ、そうじゃないんですっ」

 ハルは胸の前で小さく手を振ると、何かを思い詰めるように目線をつま先に落とした。

「誰にだって、後ろめたいことの一つや二つありますよ。きっと先輩だけじゃない。必死に取り繕って、うわべだけでも綺麗に見せようとする。人間なんて、みんなそんなものだと思います。むしろ、おうくんくらいじゃないですか? あんなにバカ正直な人」

 ハルよ、お前は日頃、オレをそんな風に思っていたのか。

「ふふふふ」
「せ、先輩……?」
「ああ、ごめんね。二人の友情がまぶしくて、つい」
「な、泣くほど笑えます?」
「違う違う、これは感動の涙だよ」

 紗雪先輩はおどけたトーンで、涙を拭うふりをした。

「ありがとう、ハルくん」

 光の輪に咲いた笑顔は晴れやかだったのに。

どうしてか胸の真ん中が、チクンと痛んだ気がした。