水色に混ざる夏 2


「透くんっ!!」

 もう、声を抑えるとか、そういう余裕はなかった。
 一年間、ずっとずっと会いたかった人が、目の前にいる。
 嬉しさが爆発して、気づいたらハイテンションで話しかけていた。

「会いたかった! ほんっとに会いたかった! やっぱり来られたんだね、わたし! ねえ透くん、約束覚えてる? 一緒にかき氷食べようって——」


[挿絵A:透に話しかける凜花]

 でも——返ってきたのは、想像とはまるでちがう反応だった。

「……初対面だと思うけど、どこかで会ったことあったっけ?」

 え?

 最初は、冗談だと思った。透くんらしい、ちょっといじわるな感じの。

 でも——透くんの顔は真剣だった。
 むしろ、少し迷惑そうですらあった。知らない女の子にいきなり抱きつかれそうな勢いで来られたら、そりゃそうだ。

「え、えっ……? 冗談、だよね……? わたしだよ、凛花——白川 凛花! 去年の夏、一緒に——」

「悪いけど、心当たりがない」

 その声に、冷たさはなかった。
 ただ事実を述べているだけの、静かな声。

 足元が、崩れていくような感覚がした。



 慌てふためくわたしを見て、透くんは——いや、目の前のこの人は、少し考え込んでから、落ち着いた声で言った。

「嘘や冗談を言ってるようには見えない。……事情を、話してくれないか」

 困惑しながらも、わたしは去年の夏のことを話した。
 日向夏シロップのかき氷を食べてタイムリープしたこと。1995年の夏で透くんと出会ったこと。一緒にいろんな場所に行ったこと。
 そして最後に——透くんの存在ごと、消えてしまったこと。

 話し終えたあと、透くんは腕を組んで少し考え込んでから、ひとつの仮説を口にした。

「パラレルワールド。——君が去年出会った透は、目の前にいる俺じゃない。俺は去年の夏、君に会っていない」

「……どういう、こと……?」

「君が去年行ったのは1995年の夏だろ。今ここは1996年の夏だ。……でも、この96年は、君の言う95年の【続き】じゃない。別の世界線の、別の夏なんだよ」

 頭が追いつかない。でも、透くんのまっすぐな目を見ていたら、嘘じゃないってことだけはわかった。

「俺も前に一度だけ、タイムリープしたことがある。でも、それっきりだ。——だから、君の話は信じる」

 少しだけ、声が優しくなった。

「でも——俺は、君の知ってる透じゃない」

 その言葉が、胸に深く刺さった。

 わたしが一年間ずっと会いたかった透くんは、ここにはいない。
 目の前にいるのは、同じ顔で、同じ声で、同じ名前の——でも、わたしのことを知らない、べつの透くん。

 じわっと、視界が滲みそうになる。
 風鈴の音が、遠くでカラン、と鳴った。



 少しして——わたしは、諦めるしかないんだって悟った。

 だって、どうしようもないから。わたしの知ってる透くんは、べつの世界にいる。
 この透くんに、去年の思い出を押しつけるのは、ちがう。

「……ごめんね、変なこと言って。わたし、帰るね」

 もう一杯、日向夏シロップのかき氷を食べて、2026年に戻ろう。
 そう思って立ち上がりかけたとき——透くんが、ぽつりと言った。

「もしかして、俺もそれを食べれば——30年先の未来へ行けるのか?」

 え、と振り返ると、その目が好奇心で光っていた。

「え……? で、でも、タイムリープって危険が——去年の透くんも、そう言ってて……」

 言いかけて、気づく。【去年の透くん】がそう言っていたのは、この透くんには関係のない話だ。

 でも透くんは、あっさりと笑った。

「どうせ、君が帰るには一度はタイムリープしなきゃならないんだろ? だったら、俺も一緒に試してみるよ」

「えっ、いいの……?」

「30年先の未来なんて、気にならないわけがないだろ」

 そう言って、メニューを手に取る横顔。
 ——去年の透くんと、同じだった。

 同じなのに、ちがう人。
 ちがう人なのに——やっぱり、どきっとしてしまう自分がいる。

 ふたり並んで、日向夏シロップのかき氷を食べた。
 甘酸っぱくて、爽やかで、去年と同じ夏の味。

 でも――かき氷を一緒に食べるって約束は、叶ったって言えるのかな。



 気がつくと——2026年の夏だった。

 夏井商店の中庭。見慣れたベンチに座ったまま、隣を見る。
 透くんが、そこにいた。

 消えてない。ちゃんと、いる。

「……ここが、30年後か」

 透くんが、まず空を見上げた。それからゆっくりと立ち上がって、お店の外に出る。

 その瞬間——

「……っ、なんだこの暑さ……!」

 纏わりつくような熱気に、透くんが思わずたじろいだ。


[挿絵B:暑さに驚く透]

「地球温暖化って……本当だったんだな。いや、ここまでとは思わなかった……」

 真剣な顔で空を見上げて、感心しているのか、危機感を覚えているのか、ちょっと判断がつかない表情。

「……ふふっ」

 なんだかおかしくて、わたしは小さく笑ってしまった。
 だって透くん、未来に来て最初の感想が【地球温暖化の実感】って。

「なにがおかしいんだ」

「なんでもない。……ようこそ、2026年へ」

 わたしがそう言うと、透くんは不思議そうにこちらを見てから、ふっと口元をゆるめた。

「折角来たんだ。——街を、案内してくれないか?」

 その言葉に、胸がきゅっとなった。

 この透くんは、わたしの知ってる透くんじゃない。
 去年の夏の思い出も、約束も、共有していない。

 でも——夏休みに、透くんとふたりきりの時間が、また戻ってきた。
 去年と同じ、かき氷の味と、少しだけちがう、夏の風。

「……うんっ! まかせて!」

 焦りも、戸惑いも、さみしさも、ぜんぶ抱えたまま。
 それでもわたしは、この夏に飛び込むことにした。

 だって——透くんの隣は、やっぱりわたしの特等席だから。