工場の朝は静かだった。
いにしえのドラゴンが、ついに材料を投入して試運転することになった。
僕たちは洗浄が終わった小豆の投入を終え、圧力鍋のふたを閉めた。
「いよいよあんこが作られるのね。
とっても楽しみ。」
あかりさんがモニターを覗いている僕の頭越しに声をかけた。
「ドラゴンが目覚めるのは吸水時間が終わる2時間後だよ。
僕はその間に機材の確認をしておくよ。」
「スガヤ、2時間も待つのは長い。」
「今日はまだ試運転なのよ。
私たちにはいつもの仕事があるわよ。」
タリカもカルロスも、ドラゴンの起動が待ちきれない様子だった。
ピピピピ……
タイマーが吸水時間の終了を告げ、同時にいにしえのドラゴンが稼働を始めた。
「まずは渋抜き2回だね。
この工程は圧力をかけないでやるから、簡単に制御できるんだよ。」
いにしえのドラゴンは今のところ、ラニーニャの言うことを聞いている。
(へ_へ)
すっかりご機嫌のようだ。
渋抜きのお湯が排出され、本煮の水が投入された。
「今日のご機嫌指数は……60/不快指数で計算して、1.257だね。
若干多めになるよ。」
「うう、ムズカシイよ。」
「そうね、今日も乾燥しているから水分をちょっと多めに。
あら? あっているわね。」
「よし、加熱開始。」
藤島さんの合図で、鍋がうなりを上げる。
蒸気が立ち上り、圧力計がじわじわと動き出す。
鍋の中の小豆たちが、ゆっくりと目覚めていくようだった。
ラニーニャは(へ_へ)から(@_@)へ変わった。
「警戒モード!
え? 様子を見てねって?」
「圧力1.2atm 温度104℃だね。」
「なんだろうね、今のところだいじょうぶに見えるけど。」
さらにラニーニャの顔が(>_<)に変わった。
圧力鍋のふたが、カタカタと音を立て始めた。
「お願いドラゴンさん、心を静めて。」
あかりさんが祈るようにつぶやいた。
「警告! 圧力異常!」
突然、アラームが鳴り響いた。
工場内が赤色灯に照らされた。
「圧力異常、蒸気を緊急放出します。
従業者は直ちに退避エリアに避難してください。」
「避難してください、熱い蒸気が出ます!」
機械音声が繰り返し流れた。
「高圧蒸気放出まで、あと15秒。」
「離れて!」
僕たちはそう叫んで、一人でも多くの人に知らせた。
やがて、轟音とともに水蒸気の緊急放出が始まった。
鍋の左右から蒸気が荒々しく噴き出し、現場が一瞬、凍りついた。
「そんな……。」
制御システムが自動で加熱を止め、バルブが開放された。
鍋のふたが揺れ、熱気でほおが焼ける。
床が振動し、まるでドラゴンが暴れているようだった。
「なんだよ、これ……!」
……魔法陣の数字だけじゃ追いつけない。
小豆の気持ちはもっと気まぐれなんだ。
やがて蒸気の放出が収まり、鍋は通常の圧力になった。
僕はモニターを見つめながら、原因を探った。
センサーが検知したのは、鍋内部の圧力上昇。
しかし、鍋の中には異常が見つからなかった。
「小豆が水を吸って膨張しただけ?」
あまりにも当たり前の理由に、僕は混乱していた。
「まったく、ど素人にAIを任せるからですよ。」
背後から甲高い足音とともに、大きな声がした。
設計1課の神崎課長だった。
「センサーから数値を拾って判断するだけじゃ、想定外に対応できないんだよ。
小豆が膨らむなんて、当たり前の現象なんですよ。」
藤島さんが苦笑しながら言い返す。
「へっ、そういうお前が昔、このドラゴンに挑んでやらかしたの、俺は忘れてねぇぞ?」
「……おいしいあんこのためだ。
今回は貸しだぞ。」
「……ようかんでいいか?」
神崎課長は肩をすくめながら、モニターを覗き込んだ。
「教えてください、神崎課長。
このままだと、このドラゴンはまた眠りにつかなければならなくなる。」
僕は頭を下げた。
神崎課長はしばらく黙ってデータを見ていたが、やがてゆっくり口を開いた。
「数式は入り口にすぎん。
圧力計の動きをグラフで見て、数字の裏を読むんだ。」
僕はグラフシートに目をやった。
「まず、膨張率を許容範囲に入れろ。
異常じゃなくて『変化』として扱うんだ。
あと、圧力の上昇速度も見ろ。
急激か、緩やかかで判断が変わる。」
「はいっす!」
僕はすぐにノートを開き、神崎課長の言葉を書き留めた。
藤島さんが隣でようかんをかじりながら、にやりと笑った。
「だから言ったろ、現場を見りゃ答えは出るんだよ。」
「数値で裏付けがなきゃ、再現性はねぇんだよ。」
二人が同時に睨み合う。
水島部長が二人の様子を見て、肩をすくめて言った。
「……まったく。変わらねぇなぁ、お前ら。」
その言葉に、工場の空気が少しだけ和らいだ。
僕はその背中を見ながら思った。
──この人たちはずっとこうやって、現場で活躍してきたんだ。
「よし新人、制御コードに条件分岐を持たせて判断させろ。」
そして僕は、次の改良に向けて動き出した。
ドラゴンはまだ荒ぶっている。
でも、僕たちはその声を聞けるようになってきた。
「スガヤ、豆の音がいい。
今日の小豆は、きっと機嫌がいいね。」
カルロスが陽気に話しかけてくれた。
「おいおい、そんな顔をするな。
トライアンドエラーなんて、当たり前だろ?
そのたびに微調整して仕上げていくんだよ。
俺もそのたびに出た不良品で作った、お汁粉を食わされたからな。」
藤島さんのその言葉に僕はちょっとほっとした。
さらにラニーニャを賢くして、いろんなことに対応できるようにするぞ。
「気を取り直して、もう一度ね。
見て、タリカたちはもう、待ちきれないみたいね。」
佐藤課長が従業員に向け、放送を流した。
「今日の小休憩の時間に、お汁粉を配布します。
職域の責任者は取りに来てください。」
「オテヤワラカニ。」
そう言って藤島さんもタリカも、目を合わせて笑っていた。



