いにしえのドラゴンの修復が終わり、僕はエンジニアチームとともにセンサーや制御系スイッチを取り付けていった。
以前とは違い、材料を投入するところからの制御となるため、温度や湿度への対応、一番難しい塩加減が立ちはだかった。
「砂糖は原料の量に合わせて入れるけど、塩は水分に合わせるんだよ。
ここを私たちはいいあんばいっていう勘所でやっていたんだ。」
「仕上がりの水分を読んで、塩を入れて攪拌(かくはん)する。」
言葉では理解できても、再現の壁にぶつかるのだった。
「もう、徹底的にデータを取ろう。
中央値と許容範囲を出して、おばちゃんの舌に迫るんだ。」
僕がそう息巻いていると、藤島さんがようかんを差し出した。
「これ、うまいぞ。
一息ついたらどうだ?」
僕も自然にそれを受け取って、かじっていた。
いつから甘党になったんだろう?
「お前さん、アルゴリズムまで勘所でやろうってわけじゃないよな。」
「皆さんの話を聞いて、まとめていこうと思いまして……。」
藤島さんが、頭をぼりぼりかきながら、ちょっと困った顔をしていた。
「まぁ、基本となるレシピもあるんだ。
それに前回俺が作ったコードもある。
一度見てみないか?」
僕は以前、藤島さんが渡した製作ノートを開いた。
「あんこ40Kgの基本レシピ。
あずき20Kg、砂糖20Kg、水6L、塩125g。」
藤島さんが書きなぐって、何度も修正した字の跡を見つけた。
加圧調理→1.4atm 110℃ 30分
ドラゴンの心臓はこれだった。
洗浄後、吸水時間2時間
渋切り2回、それから本煮工程。
「え? 芯が残っちゃうよ。」
これも佐藤さんのかわいい丸文字だった。
一晩吸水させておくものを2時間って、大丈夫なのか?
遠慮がちな小さい文字で、藤島さんの返事が書いてあった。
「圧力をかけて均等に火を通す。」
まるで交換日記みたいだな。
圧力鍋導入のメリット……時間短縮、職人の作業の軽減。
ここに赤線が引いてあった。
赤線が引かれた文字が、30年前の藤島さんの情熱を今も燃やしているようだった。
この当時、藤島さんの目標はここだったんだな。
僕はその先、みんなに優しいドラゴンを目指そう。
「おや、伝説のドラゴンのお目覚めじゃないですか。
こんな旧式、いまさら役に立つとは思えませんがねぇ。」
「何でも新しけりゃいいってもんじゃないぞ。
それでこけた連中が、今さら何を言う。」
設計1課の神崎課長が水島部長とともにやってきた。
藤島さんと神崎課長は、よく方針が合わなくてしょっちゅうぶつかっている。
「ラニーニャの気まぐれを制御するんだとよ。
俺にもこいつらの言うことがさっぱりわからん。」
「?」
僕の率いるエンジニアチームと、あかりさんが率いる製造チームが一丸となって、ラニーニャについて語っていた。
そこにはタリカとカルロスの多国籍組が参加していた。
一方、データが数値化される過程で、これはいい傾向なのかわからないという声にこたえるため、藤島さんが取り組んだご機嫌指数をもとに、GUIを組み立てていく。
「フェイスマークが一番わかりやすくていいよね。
ニコニコ、しょんぼり、激おことか。」
「この画面に顔を書いて、順調かどうかわかるようにしましょう。」
「藤島さん、試運転始めますよ。」
製作スタッフが声をかけた。
「お願いします。」
僕はモニターを覗き込んだ。
そこにあかりさんが顔を寄せて一緒にのぞき込んでいた。
あかりさんの息がかかる。
「……近いっすよ。」
「まぁ、いいじゃない。
タリカもいるわよ。」
「もう、タリカまで……。」
「何か?」
「いや、べっ、べつに。」
今日の試運転は水だけを沸騰させ、圧力をかける試験。
それから撹拌機の作動やほかの材料の投入がちゃんとできるかを見る。
ドキドキしながら起動ボタンを押した。
僕はモニターを覗き込んだ。
鍋の中の温度が90℃を超えたあたりから、圧力計が動きだした。
圧力1.4atm、110℃でバルブが作動。
「シュー。」
鍋の中から余剰分の水蒸気が、左右2つのバルブから勢いよく放出された。
工場内に湯気が立ち込め、床が震えた。
その時藤島さんが感動しながら言った。
「おお、ドラゴンの息吹だ。」
「ドラゴンの息吹?
バルブの不具合を詩人みたいに言わないでくださいよ。」
神崎課長が藤島さんに突っ込みを入れた。
「うるせぇ、黙って見てろ!」
この二人はいつもいがみ合っているけど、こういう肝心なところには二人そろっているんだよな。
ま、いっか。
ラニーニャはここで加熱は温度維持程度に切り替えだな。
(へ_へ)
「ラニーニャ、笑ってるよ。」
加熱時間の維持の後、加熱を停止させ、自然冷却。
ゆっくり攪拌(かくはん)しながら、砂糖が投入される。
「ここ、タリカの仕事。
そう、ゆっくり、やさしくね。」
鍋が80℃になったころ、塩が加わった。
「いまは125gで基本通り。
この後は水加減と塩の量の微調整に迫っていくよ。」
「あのね、この砂糖水……ちょっと味見したいな。」
あかりさんがいたずらっぽく笑う。
僕は思わず、その笑顔にくぎ付けになった。
「うーん、あまじょっぱい。
まるでスポーツドリンクね。
ラニーニャの涙ってことかしら?」
カルロスもタリカも笑ってうなずく。
いよいよ最後の難関に取りかかる。
カルロスの『小豆の音』。
あかりさんの『あずき洗い』への気遣い。
佐藤さんの『いいあんばい』。
それらをどうやって数字に落とし込み、制御へつなげるか。
「キーワードは、ご機嫌指数っすね。」
僕は藤島さんの古びたノートを開いた。
ようかんの染みがつき、ページがよれたその中に、殴り書きのような式が残されていた。
ご機嫌指数=60/不快指数
水=ご機嫌指数×0.5ℓ+5.5ℓ
藤島さんの手書きの式に、赤ペンで「??」と誰かが書き込んでいた。
……きっと佐藤さんだろうな。
僕もその意味はさっぱりわからない。
けれどその数字は、ただの羅列じゃなかった。
まるで小豆のご機嫌を数値に変える、ドラゴンを鎮めるための魔法陣のように見えた。
「いにしえのドラゴンを手懐ける魔法みたいっすね。」
「ええ、ちゃんと言うことを聞いてくれているわ。」
まだ材料を投入していない試運転だけれども、このドラゴンが生み出すあんこに早く会ってみたい。
「出番っすよ、藤島さん。
30年ぶりのリリーフっすね。」
僕がそう言うと、藤島さんはようかんをかじりながら、うれしそうに笑った。
その笑顔を見て、僕は心に誓った。
必ず、このドラゴンを――みんなに優しい仲間にしてみせる、と。



