「おい、菅谷。
明日の5時、現地集合な。」
「はいっす。
夕方からなら、十分間に合いますよね。」
「ちげぇよ、朝だよ。
あんこの炊き上がりとおばちゃんの話を聞くんだよ。
それからお前、データ取りにしばらく通ってもらうからな。
現場百回っていうだろ?」
「え? そんなぁ……。」
藤島さん、刑事ドラマじゃないんだからさぁ。
現場百回って、なんなんだよ。
翌朝、僕はなかやの工場にいた。
守衛さんが、声をかけてくれた。
「おはようございます。
あんこの炊き上がりを見たいって、あんたかい。
あの会社の人が現場を見るのは初めてだな。
エリートさんは現場に来ないと思っていたよ。」
「え? 前の人たち(設計1課)は見に来なかったんですか?」
「午前5時じゃ、寝てるんだろ。
夜は遅いっていうから。」
そうだよな、SEは夜型だから。
藤島さんは定時に帰っているけど?
僕は白衣に着替えて、現場に向かった。
「おはようございます。」
僕は現場の人たちに声をかけたけど、返事がなかった。
その様子を見ていた年配の女性(佐藤さん)が後ろから声をかけてくれた。
「ボンジーア、タリカ。
お客さんだよ。」
「初めまして、菅谷です。
今日はあんこの炊き上がりを見せてもらいに来ました。」
「タリカです。
あんこ作ります。
よろしく。」
「困っていることは、何でもこのお兄さんに話してあげて。」
「え? あ、ちょっと?」
「それじゃ、頼んだわよ。」
そう言って忙しそうに佐藤さんは去っていった。
「スガヤ、今日のあんこが炊き上がった。
少し冷ましてから、テイスティング。
この時が一番コワイ。
佐藤さん、ダメっていうと、全部使えない。」
「へぇ、そんなに厳しいんだ。」
「でも、お汁粉作ってくれる。」
ああ、廃棄しないでおやつにするってね。
「ピンポーン。
朝食の準備ができました。
食堂へお集まりください。」
食堂で、かいがいしく現場職員の世話を焼いているのは、先ほどの佐藤さんだった。
「タリカ、スガヤを連れておいで。
朝ごはんはまだなんだろ?」
「はい、ごちそうになります。」
食堂からあんこの甘い香りが漂っていた。
ごはん、みそ汁、だし巻きたまご、漬物。
僕はいつも喫茶店のモーニングなので、本当に久しぶりだった。
「スガヤ、お汁粉うまいぞ。」
僕はこの工場のあんこの味が知りたかったので、1杯いただくことにした。
「おいしい。」
思わず声が出た。
「これね、残念だけど、昨日の失敗作なんだよ。」
「え? これで?」
「お汁粉にするときに、少し味を調えたんだけどねぇ。
うちのあんこは何も調整しなくても、そのままお汁粉にできる味なんだよ。
あんこの出来上がりの味はこうでなければね。」
「佐藤さんのお汁粉、とにかくうまい。」
それじゃ、もう一口……。
甘いだけでなく、さっぱりとしていて、奥深い何か。
「塩が入っているんですか。」
「ああ、そうだよ。
最近の若い子は、あんこに塩を使っているの、知らないのかい?」
「ええ……すみません。」
意外だった。
「ほら、スイカに塩をかけると、甘味に深みが出るだろう?
あれとおんなじだよ。
甘いばかりではダメなんだよ。
かといって、入れすぎたら台無しだよ。」
「あっ、そうなんですね。」
お汁粉のおいしさに驚いた僕は、同時に自分の知識の浅さを痛感していた。
「あんこは塩で締まる……人間も同じだな。」
藤島さん、今まさにその場面です。
「あんばいってのが難しくてね、なかなか伝わらないんだよ。」
佐藤さんがため息をつきながら言った。
そういえば藤島さんも、そんなことを言っていたな。
「職人の勘どころなんですね?
それをデータ化できれば……。」
「あんたたちは同じことを言うんだね。
以前に来た藤島さんも、同じようなことを言っていたから。」
エリート1課は来なかったのに、藤島さんはここに毎日来ていた。
藤島さんがあんこにうるさいのは、そういうことだったんだな。
伝説の理由についてなんとなくわかった気がした。
「タリカは朝の佐藤さんが一番コワイ。
なかなかOK出してくれない。」
「ちょっと、およしよ。
現場じゃ小豆の機嫌を取るっていうんだけどもね。
産地や粒のそろい具合、その日の天気なんかでも水加減が変わるんだよ。」
「ほんとに微妙な調整なんですね。」
「だから毎日同じものができない。
お汁粉もいいけど、これがしょっちゅう起きると、ねぇ。」
そうだよね。
のんきにおいしいお汁粉を食べている場合じゃない。
今日の製品ができるかどうか、工場には大問題だ。
「スガヤ、おいしいあんこ、作りたい。
佐藤さんがOKするものを。」
そうだ、僕はこの人たちの望みをかなえるためにいるんだ。
頑張っている人が報われる。
そんな当たり前のために。
「食事がすんだら、頃合いだね。
今日の仕上がりを見に行くとするよ。」
「オテヤワラカニ。」
「どこでそんな言葉を覚えたんだい?」
「日本のアニメ大好き。
デーモンスレイヤー!」
ははっ、まったくだ。
タリカには異国の剣士、そんな言葉がぴったりだよ。



