タイム アフター タイム 甘夏とハッサクは、ノスタな恋をする。


ピーン ――― ―― ―

 うす紫のお香を一本、線香立てに刺し、『おりん』を鳴らす。
 昔、お父さんの実家に行ったときに仏壇で目撃したおりんは、金属でできた分厚いお椀みたいだったけど、お母さんの仏壇のそれは、呼び鈴みたいな形をしていて、可愛く澄んだ音がする。まるでこの季節の朝の空気みたいだ。

 お線香はラベンダーの香り。お母さんが好きだった花だ。

「行ってきます!」
 私は八年前のお母さんの写真に敬礼する。写真の中のお母さんは、いつまでたっても若い。参考比較、ウチのお父さん。

 ラベンダーの香りをすぅっと鼻から吸い込み、紫の芯が灰になるまでじっと見つめた。火の元を点検し、カバンを持つ。お父さんはもうとっくに仕事に出かけている。洗い物は……帰ってからにしよう。

 家の鍵をかけ、エレベーターに向かう。
 そして、その途中……今朝はどうかな? と、隣の隣、『今井』と表札の出ているドアのチャイムを鳴らす。

ピンポーン♪

 『はーい』
 「あ、おばさん、おはようございます!」
 『ナッちゃん、おはよう……ちょっと待ってね』

 私の名前は『甘夏』だけど、おばさんには小さいころからナッちゃんと呼ばれている。
 ドアホンごしに、ちょっとあんたどうすんのよ早くしなさい、とやりとりしている声が聞こえた。

『あ、もしもし……』
「おっはよー、ハッサク」

『あの……ぼく、これからトイレなんだけど』
「ええ! 遅刻するよ……」

『先、行ってて』
「えー、大きい方?」
『あと十分くらい』
「しょうがないなあ……じゃあいいよ、下で待ってるからさ」
 先にエレベータ―で降りる。玄関の自動ドアが開くと、しっとり加減、ひんやり加減がちょうどよく気持ちのいい風が入ってきて私のショートヘアを揺らす。
 小学校のときはあまり気づかなかったけど、制服を着るようになってから、風の心地よさに敏感になった気がする。五月の今ごろと、九月の終わりころの風。このありがたさ、ニブチンのハッサクには、きっとわからないんだろうなあ。

「お待たせ」
 スマホをいじっていたら、ハッサクが建物の入口に現れた。
「お待たせだよ! いつも言ってるけどさ、あと十分早く準備すればいいのに」
「いや別に待っててくれなくてもいいんだけど」
「なに、恥ずかしいの?」
「いやだって、もうぼくたち中二だぜ?」
「ふーん、周りの目とか気にしちゃうんだ……やっぱ中二病?」
「ちっ、中二病って……だいたい周りを気にしたことなんてないけど」

 そう。
 私たちは小学校に上がるころからずっと一緒だったので、今さら冷やかすようなクラスメイトはいない。通っている中学校の生徒は、だいたいこの赤羽台あたりに住んでいて、一緒に育ってきた顔なじみばかりだ。

「じゃあ、なんでよ?」
「……ぼくたちって、なんだろうね?」
「それって、なにか哲学的な質問でしょうか?」
「いや、そんなんじゃないけど」
 こんな話をしながら、アップダウンの多い通学路を歩く。彼はちょっと早歩き気味。遅れてきたくせに、スタスタと私の前を歩き、ときどき振り返って私を待つ。出会ったころからずっとそうだ。

 ハッサクのリュック型カバンについているキーホルダーが揺れる。尻尾の生えたコアラ? がマフラーを巻いている。
 変なヤツ。持ち主といいコンビだ。
「ねえ、ハッサク、それさー、小学校のときにもランドセルにつけてたけど、なんなの?」
 私が何度も繰り返してきた質問だ。どうせ、ちゃんとした答えは返ってこないに決まってる。

「よくわからない」
 ほら。

「いつ、誰にもらったの?」
「憶えてない」
 ほら。
「じゃあ、なんでつけてんのよ?」
「理由はないけど、つけてなくちゃって思って」
 中学生になってもわざわざランドセルからつけ替えるくらいだから、特別な思い入れがあってもおかしくないと思うけど。でも本人にもよくわからないらしい。なんなんだ、いったい?

 そのうち、クラスメイトの女の子たちが合流する。
 ソフトテニスのアケと、飼育係のトモと、放送委員のヒカリ。この子たちも、私とハッサクとは、つきあいが長い。

 自然と話題が変わる。
 夕べ見たネット配信の動画とか、イケメンインフルエンサーの実況とか。
 そうするとハッサクは黙って先を歩く。彼はどうもネット関係は得意じゃない。将来理系志望のくせに……関係ないか。

「よう、ハッサク、今日は久々にいつものメンバーだな」
「なんだよカズヤ、いつものメンバーって? おまえもその一人だろ?」
 さらに、男の子一人が合流。
 カズヤの家族は都営住宅からこの団地への移転組だけど、やっぱりつきあいは長い。彼はハッサクのたった一人の友人だ。ともにアニメ好き、ラノベ好きでつながっている。その趣味はどっちもネットと相性がいいはずだけど、二人はなぜか『紙、現物』のアナログ指向。そういう所で意気投合しているみたい。
 男子、女子、体育会系、文化系、オタク……そんなバラバラなメンバーでバラバラに会話しながら、私たちは通っている松が丘中学校の門をくぐり、生徒玄関に吸い込まれていった。
 さっき、カズヤが『久々に』と言った通り、最近はこのメンバーで通学することも減っている。その原因は、ハッサク。彼に言わせれば、『アマナツとぼくはもちろん、みんな人づきあいが濃すぎる』らしい。私はぜんぜんそうは感じないんだけど。朝、ドアの前まで迎えにいっても『先に行ってて』とドアホン越しに断られてしまうことが多くなった。
 いつも顔を合わせているのに、LINEの友だちにさせられたりグループにも入れられたりで、コミュニケーション量が多過ぎだと言う。
 ハッサクはもともと幼いころからそんなに口数が多くはなかったけど、最近どうもその傾向が強くなってきている。私はそれがちょっと淋しい。ちょっと怖い。だってこんなに近くにいても、なんか距離を感じるんだもの。だからよけいに彼に構ってしまう……悪循環だと思いつつ。
 最近、時々彼が口にする『ぼくたちって、なんだろうね?』という問いに私自身もはっきりとした答えを持っているわけではない。というか、そういう風に問われるのがちょっと悲しい。

 私たちって、なんなんだろう?
 ……ううん、本当はその答え、私の中にはちゃんとあるんだから。

〇

「ちょっと、アマナツさん、聞いてる⁉」

 ときは昼休み。
 いじいじ妄想から私を目覚めさせたのは、ソフトテニスのアケ。隣にいるのは飼育係のトモ。放送委員のヒカリは、まさに昼休み放送のオンエア中。どこでどう憶えたのか、音楽リクエスト番組のDJとして、校内で人気がある。

「うんうん聞いてるよ……でなに?」
「ほら、やっぱ聞いてないじゃん」
 簡単に私のウワノソラを見抜いたトモは口を尖らせながら繰り返す。
「今度の土曜にさ、ノスタワールド、行ってみない? って話」
「あ、ああそうだね」

 ノスタワールドとは?
 正式名称は「ノスタルジックワールド19XX」。
 赤羽駅の東側の「ダイキボサイカイハツジギョウ」? が終わり、ショッピングモールとエンターテインメント施設がゴールデンウィークにオープンした。その施設の目玉が、略して『ノスタワールド』だ。
 どんな施設かというと、日本の昭和の風景、古き良きアメリカ、開発が進む前の上海の下町、パリのカフェやシアター街など、二十世紀後半の世界各国のノスタルジックなシーンを再現したテーマパーク。それぞれのゾーンのテーマに合わせた料理を出す飲食店もくっついている。
 赤羽という街がちょっとノスタルジック感があるので、再開発関係の偉い人がそれにふさわしい施設を造って、海外からの観光客も呼び込もうと決めたらしい。
 私たち、地元の中学生もいったいどんな施設なのか気になっている。昭和ってエモいんじゃない?チルいんじゃない?って、クラスでもすでにオープン直後に行った子もいて、休み時間の話題のタネになっている。

「ねえ、アマナツ、行こうよ」
 アケの強引な誘いに私はちょっと困った。
「あの……実はその場所、先約がありまして」
「え⁉ ひょっとして、デート? ひょっとして、ハッサク?」
「……デートではないが、誘ったヤツは当たり」
「でも不思議よね、たいていそういうときはあの子、カモフラージュに私たちも誘うじゃん。カズヤも一緒に。ははん、やっぱガチのデートだ」
「ち、違うわよ!」

 先週、ハッサクにノスタワールドに誘われたときのことを思い出す。
「珍しいね。キミから私を誘うなんて」
「そ、そうかな? わりと普通だと思うけど」
「いやぜんぜん……それはいいとして、なぜ私と?」
「いやなんか、そうしてくれって言うんだ」
「え、誰が?」
「誰だかわからない」
「いつ、どこで言われたの?」
「それもわからない」
 ハッサクは、学生カバンにつけたキーホルダーを右手に持ち、それをちろちろと見ながら話す。
 しかも彼、学校帰りに行きたいと言う。これって、放課後デート⁉ 校則では、帰り道は塾や習い事以外、無用な場所に寄り道してはいけないことになっている。彼のお誘いは、ちょっと背徳感があってドキドキした。

 コアラのキーホルダーといい、ノスタワールドのお誘いといい、ちょっと解せないところがあるけど、最近私たちと距離を置きたいような素振りを見せているだけに、このチャンスは逃せない。チャンス! ……なんのチャンス?

 春休みにかなり強引に『すみだ水族館』にハッサクを誘ったときのことを思い出した。
 ビッグシャーレというクラゲの大きな池をバックに、二人で並んで写真と動画を撮った。それをハッサクにシェアしようと思って、インスタのアカウントを作ってよって頼んだけど、すごく嫌がった。LINEでもいいじゃん、同じことできるんだからって。
 私、なんか一人で空回りしているんだろうか?

 幼稚園からつきあいのあるハッサクのご家族は、小さいときに母を亡くした私を気にかけ、面倒をみてくれた。仕事で忙しいウチのお父さんに代わって夕ご飯は毎日のように食べさせてくれたし、お風呂も一緒に入ったし――もちろんハッサクとではなく妹のミカンちゃんとだけど――お父さんの帰りが遅くなるときは、子供三人、一緒の部屋で寝かせてもらったこともよくあった。この二人とは兄姉妹(きょうだい)みたいな感覚もある。
 私はそのころと変わらずハッサクと接してきたつもりだけど、彼は少しずつ変わってきている(変人にもなったような……)。
 だから、今度のノスタワールド行きは、彼の気持ちを確かめるチャンスなのかも。もちろんその勇気が私にあれば、だけどね。

〇

 その週の金曜日の放課後。なるべくクラスメイトに気づかれないようにしながら私とハッサクは赤羽駅のコンコースを抜け、駅の東側に向かった。そのあたりには、再開発前には昔ながらの飲食店が並んでいたが、今は大きなビルと広場に変わり、整然としている。うちのお父さんは日本の原風景、『せんべろ』という、おとなのテーマパークがまたひとつ消えてしまったと嘆いていた。

 ビルの一階にはノスタワールド専用のゲートがあり、その脇にあるチケット売り場で学生証を出して、中学生料金のフリーパス二千五百円也を買う。私たちにとっては、かなり痛い出費だ。でも、買ったチケットに印刷されているQRコードをスマホに移し、それをアトラクションの入口でピッとスキャンしてもらうと、閉館までどのゾーンでも自由に出入りできる。

「アマナツはどこか行きたい所ある? ぼくは『日本の昭和ゾーン』を見れればいいけど」
「そうね……じゃあ、その前に『グリニッジ・ヴィレッジゾーン』に寄ってもいい?」
「ああ、いいよ」

 そこでは『ザ ダンシング ドリーム ミッドナイト マンハッタン』という長いタイトルのミュージカル風のアトラクションをやっていて、この間クラスで観に行った子がすごくよかったと興奮気味に言っていた。
 ダンスクラブのような(実際に見たことはないけど……)建物に入ると、中は全部立ち見席で、もう会場の後ろまで人が並んでいる。
 二回目のブザーで客席の照明が落ちた。大音響で音楽が鳴り響くとともに、ステージ上がまばゆく照らし出される。
 スマホのガイドによると、このアトラクションはブロードウェイを夢見るダンサーの卵、『リサ』のサクセスストーリーだ。彼女はダンスの学校やクラブで出会う、個性豊かなダンサーたちと競争し、ときには友情を育み、刺激を受けあいながらブロードウェイを目指す。それは挫折と成長の物語であり、六十年代のダンスミュージックに合わせて、いろいろな種類のダンスが披露されるらしい。

 ショーのオープニングは、当時の活気をほうふつとさせるクラブのダンスシーン。ネットで見たアメリカの古い映画で、こんなシーンがあったような気がする。
 そのあと、主役のリサが厳しいオーディションを戦い抜くシーンが、技術と表現力を感じさせるダンスで演じられた。ここの出演者は無名かもしれないけど、実力者を揃えているんだろうなと感じた。
 才能あふれる個性的なライバルたちが次々に登場し、彼女にダンスバトルをしかけてきた。多くの強敵が分厚い壁となってリサの前に立ちはだかる。リサは挫折を繰り返しながらも挑戦し続け、ついにブロードウェイの舞台に立った。
 観客もステージ上のライバルダンサーたちも彼女に惜しみない拍手を贈る。ステージ全体が明るく照らされ、音楽が変わる。
 リサは顔を上げ、笑顔で前を向く。フィナーレでは、共に戦いながらも励まし合い、苦難を乗り越えてきたライバルたちと一緒に大団円のダンスが披露され、身振り手振りで私たち観客にも一緒に体を動かすように誘いかけた。私も、聴いたことがあるようなロックンロール、ソウル、モータウンシャッフルに合わせて体が動いた。ハッサクは直立したまま手拍子してたけど。ダンサーたちは思い思いに、あるいはシンクロし、リフト技で協力しあい、一つのステージを創り上げ、パフォーマンスが終わった。
 以上、スマホの解説を見ながらの実況レポートでした!

「いやあ、楽しかったね! 私も一緒に踊っちゃった」

 ダンスクラブの脇にある、『マンハッタン・ダイナーズ』と名づけられたハンバーガーショップに入り、特大のハンバーガーとポテトフライで腹ごしらえしながら、私はハッサクに感動を伝えた。
「うん、みんなダンスうまかったね。TikTokでよく見かける『踊ってみた』とは次元が違いすぎるよ」
「へえー! ハッサク、そんなの見るんだ」
「……うん。たまに、だけどね」

 ハッサクのお目当ての『日本の昭和ゾーン』は、グリニッジ・ヴィレッジのすぐ隣にあった。
 ネット動画で見たことがある映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のように『夕焼け空、下町、人情』みたいなのをイメージしていたけど、だいぶ違った。『ノスタワールド』全体のコンセプトは、『19XX』。日本の昭和ゾーンのそれは、さらに時代が絞られていて、入口のカベには『JAPAN 198X』と大きく描かれている。つまり八十年代の日本の世界だ。スマホのガイドによると、『バブル景気と崩壊の前、明るい未来を期待して誰もがワクワクしていたころのニッポン』の文化や出来事を紹介しているとのこと。ライトブルーやピンクの照明がゾーン全体の雰囲気を明るくしている。

 中に入ると、一人一人にヘッドフォンつきのゴーグルが手渡され、『席に座ってから着用してください』と注意を受けた。
「へえ、メタバース空間のアトラクションなんだ」
 ハッサクがゴーグルをいじりながらコメントを漏らす。アナログ志向の彼でもこれには興味があるみたい。まあ、理系志望だし、当たり前か……

 昔のSF映画なんかに出てきそうなタイムマシン風のシアターに入る。客席がほとんど埋まった所で上映のアナウンスがあった。

 まず目の前に現れたのは、動物たち。
 ウーパールーパーとエリマキトカゲ、それにコアラ……コアラは今も人気だけど、このころにブームになったのか。エリマキトカゲが全力でこっちに向かって走ってくる映像は、リアルにさわれそうで、ちょっと怖かった。
 その次は、八十年代に完成した、新しい時代を感じさせる建造物。東京ドームとか、瀬戸大橋とか、横浜ベイブリッジとか。ドローンで撮影した、橋のてっぺんからの風景は、高い所が苦手な私にはちょっとしんどい。
 次は、原宿の歩行者天国の風景。
 集団で踊っている若者と、それを見物している人々で道路が埋め尽くされている。その中に私たち二人はいた。踊っているグループは、衣装も髪型もド派手だけど、さっき見たグリニッジヴィレッジと違って、なんだか和風。
 自分の耳元で聞こえるかけ声や、すぐ目の前で踊る人々の熱気が、この仮想の空間の中でしっかり伝わってくる。音声の解説によると、『竹の子族』と呼ばれ、その中から一世風靡セピアなどのグループや芸能人が出てきて、テレビでも活躍したそうだ。

 そして、最後はアイドルのステージハイライト。
 松田聖子、中森明菜、小泉今日子、薬師丸ひろ子、森高千里、シブがき隊、チェッカーズ、光GENJI、少年隊といった歌手やアーティストのライブコンサートがコンピュータ処理され、ダイジェスト化されて仮想空間で再現されている。当時のアイドルの中には、今でも活躍中の人がけっこういる……っていうか、私もみんな知っている。
 この人たちのコンサート風景は、よくテレビの特集番組『懐かしのナントカ?』で見たことがあるような気もするけど、メタバース空間だと、臨場感がハンパない。
 そして、今のアイドルたちと比べるわけじゃないけど、みんな可愛い! カッコいい!

 ゴーグルを少しずらして隣に座っているハッサクの様子をチラッとうかがうと、ノリノリで、なんかニヤニヤしている。
 そうか。彼はこれがお目当てだったんだ……と勝手に納得した。


 私もハッサクも大満足してタイムマシン型のバーチャル・シアターを出た。
 その先は展示コーナーだった。展示台には80年代のグッズが並び、その背には説明用の大型モニターが置かれていて、当時実際に使われていた様子が映し出されている。
 各コーナーに女性のスタッフがついている。心なしか、おばさん……いやベテランのスタッフさんが多いような気がする。
 大勢の来場者が展示品を眺め、手に取り、スタッフの説明に耳を傾けている。

 ここでもハッサクの目はキラリと光った。

 ショルダーフォン。
 これが、えーとガラケーだっけ、そのご先祖様⁉ 肩にかついでたの? 重そう。デカすぎる。こんなに大きな図体でも、メールの機能はまだなかったんだ。

 ラジカセ。
 ダイヤルやツマミがいっぱいついていて操作が難しそうなオーディオ機器で、当時の中学生から大学生まで、みんなこれで深夜放送を聴いたそうだ。私は時々スマホのラジコでオールナイトニッポンなんかを聴いている。

 写ルンです。
 緑色の紙のケースに収まっているカメラ。使い捨てって案内されていたけど、実際は写真屋さんにプリントを頼む時、本体ごと渡してリサイクルされていたらしい。現像された写真も展示されていたけど、なかなかソフトな仕上がりで味があっていいかも。

 ルービックキューブ。
 最近、AIのロボットが一瞬でこの立方体の六面全部の色を合わせているニュースを見たことがある。これもそうだけど、モノによっては『ご自由にどうぞ』と触らせてくれ、ハッサクはここぞとばかりにいじりまくっていた。

 そして、ゾーンの出口付近に『 WALKMAN 』と大きく表示された展示コーナーがあった。
 そこに近寄ると、女性のスタッフと目が合った。この人もベテランっぽい。なぜだか展示台に近づく私たちをジーっと見つめている。

「いらっしゃいませ」
 他のスタッフさんもそうだけど、その女性は、タイトで光沢のある黒いスカートにちょっと胸元が開いた真っ赤なトップスを着て太いベルトを巻いている。それにロングヘア。
「この制服はひょっとして……」
 イケイケ感あふれるファッションは、テレビで見たことがあるような。
「そう、ワンレン・ボディコンというもので、80年代の後半、バブル期に流行ったものです……正直、この齢でこれ着るの、恥ずかしいんですけどね」
 そう言って笑みを浮かべながら胸元を手でおさえた。その姿が色っぽくてきれいだなと思った。
「あの……、このコーナーはベテランのスタッフさんが多いみたいですけど、どうしてですか?」
 つい流れでつい聞いてしまった。聞いちゃいけなかっただろうか。
「ああ、それはですね、この時代に起きたこと、流行ったことを体験したり、製品なんかを知っている世代が説明した方が説得力あるんじゃないかっていうことで、私ぐらいの世代が多めに配置されております」

 なるほど。……まてよ、80年代って、今からえーっと、四十五年から三十五年くらい前だから、当時十代後半だとしても、この人は今、五十代っていうこと? にしてはもう少し若く見える。
 ハッサクは、放心したようにそのスタッフさんをぼーっと見ている。私と同じように年齢の計算をしているのだろうか。それとも、おばさま好き?

「ウォークマンが発売されたのは1979年で、1980年代になってから爆発的に売れました。当時、音楽は『部屋の中で聴くもの』というのが常識でしたので、外の景色の中で音楽が聴こえるオーディオの登場は衝撃的でした。カセットテープの音楽が、普段見ている景色をガラッと変えてしまったのですから」
 スタッフさんは、自分の仕事を思い出したかのように、展示台を指し示しながらそんな風に説明した。

「え! スマホで聴けるじゃないですか?」
 私は驚いて質問する。女性は苦笑しながら答える。
「iPhoneが発売されたのは、2007年、その前にアップル社から出ていた携帯のメディアプレーヤーのiTunesは2001年の発売です」
「それ考えると、ウォークマンが1980年代からあったというのはスゴイなあ」
 ハッサクが感心して本体を手に取り、ボタンをあちこち、ポチポチと押している。
「これ、ここで聴くことはできますか?」

「……ええ、ご試聴いただけます」
 彼の質問にスタッフさんはなぜか少し言いよどんだ。
「ぜひ聴かせてください!」
 ハッサクのアナログオタクの血が騒いでるみたい。
「そうですか……わかりました。そんなにお望みなら」
 と、あまり乗り気じゃなさそうなスタッフさんのリアクションがちょっと気になった。

 女性は展示台下の引き出しを開けた。音楽のタイトルが書かれた透明のケースがずらりと並んでいる。
「これがカセットテープです。見たことはありますよね?」
「はい、知っています。最近わりと流行っているみたいなので……でも実際に聴くのは初めてかもしれない」
 アナログ派のハッサクが興味深そうにそう答えた。
「そうですよね。では、この中からお好きな曲をお選びいただけます」
 そう言って女性が指し示したケースの背に書かれているのは、知らないタイトルばかり。アーティストの名前は聞いたことがあるようなないような。
「あの、お勧めってありますか?」
 スタッフさんは少しの間、私をじっと見つめ、それからカセットテープを探し始めた。
 そして、ケースに金髪の女性アーティストが描かれたカセットケースを取り出した。

「シンディ・ローパーなんてどうですか?」
「どんな方ですか?」
「アメリカのシンガーソングライターで、80年代に多くの大ヒット曲を出しました。映画にも出演していて、親日家としても知られていますよ。最近も日本公演に来ています」
「へえ、じゃあ、それ、お願いします」
 と、ハッサク。
「わかりました、ただ今準備します」
 そう言ってベテランスタッフさんは別の引き出しを開け、ウォークマンを取り出した。展示用と視聴デモ用は別らしい。

「この初期タイプは、音楽を二人で楽しめます」
 引き出しからスリムで軽そうなヘッドフォンを二つ取り出した。本体には二つの端子があって、よく見ると『GUYS&DOLLS』と書いてある。野郎とお人形さん? カップルのこと?
「このオレンジのボタンを押すと、お二人で音楽を聴きながら会話をすることもできるんですよ……さあ、どうぞ」
 私とハッサクにヘッドフォンを差し出す。受け取って頭につける。柄が細くて耳当ての部分も小さく、けっこう軽い。

 ハッサクが再生ボタンを押す。
 やや軽快なリズムに乗って、しっとりとした歌声が響く。確かに、この展示ゾーンの雰囲気が変わったかもしれない。いきなり小さなコンサート会場に放り込まれたような気がした。

「なんという曲のタイトルですか?」
 ハッサクがヘッドフォンをつけたまま、少し大きい声でスタッフさんに聞いた。

 少し間を置くと、彼女はウォークマンについているオレンジ色のボタンを押し、目を閉じて答えた。

「タイム アフター タイム」

 それを聞いてハッサクも目を閉じた。私も真似て目を閉じる。

 残念だけど、英語のヒアリングはいまいち苦手だ。外国のアーティストが歌う言葉の意味はよくわからなかった。私は再び目を開け、スマホを取り出し『タイム アフター タイム』という英熟語の意味を調べてみる。

何度も何度も
どんなときも
きっときっと
どんなに時がたっても
来る日も来る日も
いつの時代も

 いろいろな意味があるんだ。
 でも、私はこれらの言葉から、ある『思い、願い』を強く感じた。

誰の?
……そう。
ほかでもない、私自身の。

……ずっとあなた愛してる、ずっとあなたを待っている……って。

 そして、私の意識は遠のいていった。