あの日、青い海に君を置いてきた~「大丈夫」の先で君を失った。だから私は、今日も止める~


ガタガタと震えがくる。
どこでぶつけたのか、全身が痛い。
立つことなんてできない。
座っていることさえできない。
船が大きく傾くたびに、わたしは甲板の上を転がった。

右へ。

左へ。

まるで芋虫みたいに。
わたしも。
この漁師さんたちも。

本当に生きて帰れるのだろうか。
風も波も、時間がたつほど強くなっている。

怖い。
でも、もう泣くことさえ忘れていた。
絶望していた。
間違いなく、このまま死ぬ。
そう思った。

「おい!」

漁師が怒鳴った。
「もう一人はどこだ?」
もう一人の漁師も海を見る。
「探せ!」

東の海。

どこまでも。

どこまでも。

白波。

白波。

白波。

航平先輩の姿は、もうどこにも見えなかった。
「先輩……」
わたしは自分の手を見た。
さっきまで、この手をつかんでいてくれた。
この手を。

わたしが離れないように。
ずっと。
ずっと握っていてくれた。

漁船が来た。
わたしが助かるのを見た。
先輩は安心したみたいに笑った。

だから、手を離したんだ。
もし、
……もし先に航平先輩を助けてもらっていたら。

先輩は、わたしから目を離さなかっただろう。
わたしを置いていかなかっただろう。

「いや……」
胸の奥から何かが込み上げてきた。
「いやああああああ!」

声を限りに叫んだ。
「探してください!」
漁師を見上げる。

「お願いします! 先輩を探してください!」
涙があふれてきた。
「お金はあとで必ずお支払いします!」
自分でも何を言っているのかわからなかった。
「一生働いてお支払いします! だから、お願いです!」

漁師が一瞬、きょとんとした。
それから言った。
「捜索費用のことかい?」
わたしは何度もうなずいた。

「大丈夫だよ、学生さん」
漁師は海を見た。
そして、少し苦しそうな顔をした。
「残念だけど、この船もそろそろ燃料が厳しい」
「そんな……」

「あとは海上保安庁に任せよう」
「でも!」
「彼らはプロだ」

漁師は無線を取った。
雑音の向こうに誰かの声が聞こえる。

「こちら、新栄丸。まだ流された学生がいる
はい、ヨット部の大学生、男性。
オレンジ色のライフジャケット着用。

新栄丸が今いる場所から、東方面に流されたもよう」
無線の雑音が聞こえる。

「佐波島の西当たりの海域。
そう、そうです」

漁師は何度も位置を確認しながら伝えた。
そして無線を置く。

エンジン音がひときわ大きくなった。
漁船はスピードを出して、東へ向かった。
航平先輩を追うためではなかった。

わたしは甲板の上で体育座りになった。
膝を抱える。
寒さ以上に、体中に痛みが走った。
吹きつける風が、濡れた体を突き刺す。

心まで突き刺してくる。

船は大きく揺れていた。
体のバランスを取るだけでも難しい。
歯がガチガチ鳴る。

うまく話せない。
「……ど、どこに……行くんですか?」

漁師が振り返った。
「あんたを医者に診せろって指示だ」
「え……」
「隣の港へ向かう。そこから病院に連れていくそうだ」

「嫌です」
「何?」
「わたしなんて……」
声が震えた。
「わたしなんて、どうでもいいから」

海を見る。

「先輩を探して!」
泣きじゃくる声は、激しい風にかき消された。
「お願いします……」
東の海には、もうオレンジ色のライフジャケットは見えない。

「先輩を……」
そこで、力が尽きた。

視界が暗くなる。
エンジンの音が遠くなった。
波の音も。
漁師の声も。

何もかもが遠ざかっていく。
――航平先輩。
生きていて。

わたしの意識は、そこで途切れた。