婚約を。
公表してから。
一週間。
思っていたより。
世界は。
普通に。
動いていた。
もちろん。
何も。
変わらなかったわけじゃない。
撮影現場で。
指輪を。
ちらっと見られることも。
増えた。
取材では。
結婚について。
聞かれることもある。
陽向の。
ファンの中には。
まだ。
受け止めきれない人もいる。
それでも。
私は。
朝。
仕事へ行って。
夜。
帰って。
子どもたちと。
連絡を取って。
陽向と。
話す。
そんな。
毎日を。
送っていた。
「……意外と」
私は。
鏡の前で。
髪を整えながら。
呟く。
「世界って」
「終わらないんだな」
婚約を。
公表する前は。
ものすごく。
大きなことに。
思えた。
一つの発表で。
全部。
変わってしまうような。
でも。
実際は。
怖かった日も。
嬉しかった日も。
次の日は。
普通に。
やってくる。
そして。
今日は。
陽向と。
結婚について。
具体的な話を。
する日。
だった。
◇◇◇
「まず」
陽向が。
テーブルに。
ノートを。
置いた。
「決めること!」
「何それ」
「結婚会議」
「名前が堅い」
「大事だから!」
ページを。
開く。
そこには。
陽向の字で。
大きく。
書かれていた。
『結婚までに決めること』
その下。
・入籍時期
・住む場所
・仕事
・子どもたち
・名字
・結婚式?
・指輪
・公表後のこと
「……多い」
「多いよ」
陽向が。
真顔で。
頷く。
「俺」
「プロポーズしたら」
「もっと」
「幸せー!」
「結婚しよー!」
「みたいな」
「感じだと思ってた」
「三十四歳の結婚は」
「現実が多いの」
「美月」
「経験者っぽい」
「経験者です」
「そうだった」
二人で。
少し。
笑う。
でも。
その中で。
私の目が。
止まった。
『名字』
その二文字。
胸の奥が。
少し。
ざわついた。
陽向も。
気づく。
「……そこ?」
「うん」
私は。
頷いた。
「やっぱり」
「考えなきゃだよね」
「うん」
◇◇◇
今。
この身体の。
戸籍上の名前は。
一ノ瀬紗良。
高瀬美月は。
もう。
亡くなった人。
だから。
法律上。
陽向と。
結婚するのは。
一ノ瀬紗良。
それは。
分かっている。
分かっているけど。
いざ。
婚姻届を。
想像すると。
胸が。
変な感じになる。
「……私」
「うん」
「前の結婚で」
「高瀬になったんだよね」
「うん」
「それで」
少し。
笑う。
「ずっと」
「高瀬美月として」
「生きてた」
陽向が。
黙って。
聞いている。
「子どもたちの」
「ママとしても」
「高瀬美月」
「うん」
「でも今」
自分の胸へ。
手を置く。
「戸籍では」
「一ノ瀬紗良」
「……」
「陽向と結婚したら」
「名字を変えるなら」
「天城紗良」
その名前を。
口にした瞬間。
胸が。
少し。
痛んだ。
「……変?」
陽向が。
聞く。
「変っていうか」
私は。
少し。
困ったように笑う。
「私じゃない人の名前が」
「さらに」
「私じゃない名字に」
「変わる感じ」
「……」
陽向の顔が。
少し。
曇る。
「そっか」
「ごめん」
「謝らない」
すぐ。
言われる。
「はい」
私は。
少し笑った。
◇◇◇
「美月」
陽向が。
ノートを。
閉じる。
「俺」
「天城って名字」
「絶対」
「美月につけたいわけじゃないよ」
「え?」
「いや」
少し。
照れる。
「天城美月って」
「ちょっと」
「考えたことはあるけど」
「考えたんだ」
「そりゃ」
「するでしょ!」
「ふふっ」
でも。
陽向は。
すぐ。
真面目な顔になる。
「でも」
「美月が」
「名前のことで」
「また」
「自分分かんなくなるなら」
「嫌」
胸が。
鳴った。
「婚姻届に」
「何て書くかより」
「美月が」
「自分でいられるほうが」
「大事」
「……」
「だから」
「名字」
「変えなくてもいい」
「え?」
「俺が」
「一ノ瀬になるとか?」
私は。
固まった。
「待って」
「何?」
「天城陽向が」
「一ノ瀬陽向?」
「うん」
「芸名どうするの?」
「天城陽向のまま」
「そこは」
「できるだろうし」
「いや」
私は。
笑いそうになる。
「急に」
「一ノ瀬陽向」
「なんか」
「違和感ある」
「美月も」
「天城紗良に」
「違和感あるんでしょ?」
「……うん」
二人。
しばらく。
黙る。
名前。
ただの。
文字なのに。
こんなに。
大きい。
◇◇◇
「ねえ陽向」
「ん?」
「私」
「一個」
「思ってることがある」
「何?」
私は。
少し。
迷った。
でも。
言う。
「結婚しても」
「あなたの名字で」
「私を」
「新しい人に」
「しなくていいと思う」
「……」
「私」
「一ノ瀬紗良でも」
「高瀬美月でも」
「どっちかだけじゃ」
「もうない」
「うん」
「だから」
自分の左手。
指輪を見る。
「書類が」
「一ノ瀬紗良でも」
「それで」
「私が紗良だけになるわけじゃない」
陽向が。
静かに。
聞いている。
「高瀬美月っていう」
「名前も」
「私の中から」
「消えない」
「……うん」
「子どもたちも」
「ママって」
「呼んでくれる」
「うん」
「陽向も」
「美月って」
「呼んでくれる」
「……」
「だったら」
私は。
少し。
笑った。
「それで」
「いいのかもしれない」
陽向が。
目を細める。
「本当に?」
「うん」
「無理してない?」
その確認。
嬉しい。
私は。
ちゃんと。
考える。
そして。
「うん」
と。
頷いた。
「前は」
「名前が違うことが」
「怖かった」
「うん」
「でも今」
「誰かに」
「美月って証明してもらわなくても」
「私は」
胸へ。
手を置く。
「私が」
「高瀬美月だって」
「分かる」
陽向の。
目が。
少し。
潤んだ。
「……美月」
「何?」
「かっこいい」
「また?」
「うん」
「最近」
「俺」
「美月に」
「かっこいいって」
「言いすぎ?」
「ちょっと」
「じゃあ」
少し。
にやっとする。
「可愛い」
「そっちは」
「もっと言ってる」
「あははっ!」
◇◇◇
そのあと。
現実的な。
話。
婚姻届。
必要書類。
名字。
仕事上の名前。
公表後の。
表記。
全部。
事務所にも。
確認することにした。
「女優名は」
私は。
言う。
「一ノ瀬紗良のままが」
「いいかな」
「うん」
「今さら」
「変えたら」
「それこそ」
「騒ぎになるし」
「うん」
「でも」
「陽向は」
「美月って」
「呼んでね」
「当たり前」
即答。
「結婚しても?」
「一生」
「……」
顔が。
熱くなる。
「一生って」
「結婚するんだから」
陽向が。
笑う。
「そこ」
「照れるとこ?」
「照れるよ」
「じゃあ」
わざと。
近づく。
「美月」
「何?」
「美月」
「……何」
「美月」
「しつこい」
でも。
嬉しい。
◇◇◇
数日後。
私は。
子どもたちと。
会っていた。
結婚の。
具体的な話を。
少しずつ。
始めたこと。
そして。
名前のこと。
星には。
話しておこうと。
思った。
「ママ」
「何?」
星が。
少し。
考える。
「結婚したら」
「名字」
「どうなるの?」
「まだ」
「正式には」
「いろいろ確認中だけど」
「うん」
「戸籍上は」
私は。
言葉を。
選ぶ。
「一ノ瀬紗良として」
「結婚することになる」
星の顔が。
少し。
寂しそうになる。
「じゃあ」
「高瀬美月は?」
胸が。
きゅっと。
した。
でも。
私は。
笑う。
「いるよ」
「……どこに?」
「ここ」
胸を。
指差す。
星が。
じっと。
私を見る。
「高瀬美月って」
「戸籍には」
「もう」
「いないけど」
「……」
「星たちの」
「ママだったことも」
「今もママなことも」
「変わらない」
「うん」
「だから」
「名字が変わっても」
「名前が違っても」
少し。
笑う。
「ママは」
「ママ」
星が。
小さく。
頷いた。
「……うん」
「何?」
「ちょっと」
「寂しい?」
星は。
少し。
迷った。
そして。
「うん」
正直に。
答えた。
「高瀬美月って」
「私のママの名前だから」
「……」
「なくなるみたいで」
「嫌」
胸が。
痛い。
私は。
星の手を。
握った。
「なくさないよ」
「でも」
「ねえ」
私は。
少し考える。
「星」
「何?」
「これからも」
「私のこと」
「美月って」
「呼ぶことある?」
星が。
変な顔。
「ママって呼ぶ」
「だよね」
二人。
笑う。
「じゃあ」
「高瀬美月って」
「名前を」
「毎日」
「口にしなくても」
「……」
「星の中に」
「ママはいるでしょ?」
「うん」
「私も同じ」
胸を。
指差す。
「名前が」
「書類から」
「なくても」
「高瀬美月として」
「生きた時間は」
「ここにある」
星の。
目が。
少し。
潤む。
「……そっか」
「うん」
「じゃあ」
星が。
少し笑う。
「忘れないでね」
「何を?」
「自分が」
「高瀬美月だったこと」
「……」
私は。
笑った。
「忘れない」
「絶対?」
「絶対」
◇◇◇
すると。
一番小さい子が。
突然。
私たちの間へ。
入ってくる。
「ママ!」
「何?」
「なまえかわるの?」
「どうして聞いてたの?」
「聞こえた」
「そっか」
「ママ」
少し。
考える。
「ひなたになる?」
「……」
私は。
固まる。
星が。
吹き出した。
「人の名前にならないよ!」
「じゃあ」
「なに?」
「名字が」
「変わるかもしれないの」
「みょうじ?」
「うん」
「むずかしい」
「だよね」
一番小さい子が。
少し。
考えて。
「じゃあ」
「ママは」
「ママでいい?」
胸が。
温かくなる。
「うん」
「ママでいい」
「じゃあいい」
そして。
ゲームへ。
戻っていく。
星と。
私は。
顔を見合わせた。
「……強いね」
星が。
笑う。
「何が?」
「一番下」
「名前どうでもいいんだ」
「ママなら」
「いいんだね」
私は。
その小さな。
背中を見る。
「うん」
「そうみたい」
◇◇◇
その日の。
帰り。
前の夫と。
少しだけ。
話した。
「名前」
夫が。
聞く。
「どうするん」
「まだ」
「確定じゃないけど」
「うん」
「戸籍上は」
「一ノ瀬紗良として」
「結婚する」
「……そっか」
夫は。
少し。
複雑そうな顔。
「変?」
「いや」
「……」
「高瀬美月って」
少し。
苦笑する。
「俺の中では」
「お前の名前やから」
「……」
胸が。
少し。
痛む。
でも。
今は。
その言葉を。
恋愛として。
受け取らない。
「うん」
「でも」
私は。
笑う。
「それ」
「なくならないよ」
「……?」
「私」
「これからも」
「子どもたちの」
「高瀬美月だから」
夫が。
少し。
目を細めた。
「そっか」
「うん」
「じゃあ」
少し。
笑う。
「天城……」
言葉を。
止める。
「何になるんや?」
「まだ分からない」
「そこ決まってないんか」
「現実は」
「いろいろあるの」
「大変やな」
「ほんとに」
二人で。
少し。
笑った。
昔。
夫婦だった。
今。
子どもたちの。
父親と母親。
それで。
いい。
◇◇◇
夜。
陽向が。
私の部屋へ。
来た。
夕飯を。
食べて。
ソファで。
二人。
並ぶ。
「星ちゃん」
「何て?」
「ちょっと」
「寂しいって」
陽向が。
少し。
表情を変える。
「そっか」
「高瀬美月って」
「ママの名前だからって」
「……うん」
「でも」
私は。
少し笑う。
「ちゃんと」
「話せたよ」
「うん」
「名前が」
「変わっても」
「ママは」
「変わらないって」
陽向が。
頷く。
「それで」
「一番下は?」
「ママはママでいいって」
「強いな」
「うん」
「俺より」
「全然」
「迷いない」
「ふふっ」
◇◇◇
しばらくして。
陽向が。
私の左手を。
取った。
指輪。
まだ。
少しだけ。
サイズが。
大きい。
「これ」
「そろそろ」
「直しに行こうな」
「うん」
「落としたら」
「俺泣く」
「そんなに?」
「泣く」
「じゃあ」
「ちゃんと直す」
陽向が。
指輪を。
見ながら。
小さく。
言った。
「名前」
「何?」
「俺」
「やっぱ」
「書類に」
「一ノ瀬紗良って」
「書いてあっても」
「ちょっと」
「変な感じすると思う」
「うん」
「でも」
私を見る。
「婚姻届に」
「名前書いてる人が」
「美月だって」
「俺は分かってる」
「……」
「だから」
「それでいい」
胸が。
じんわり。
温かくなる。
「私も」
「うん」
「陽向と」
「結婚するのは」
「一ノ瀬紗良の身体」
「うん」
「でも」
「結婚するって」
「決めたのは」
胸へ。
手を当てる。
「私」
「高瀬美月」
陽向が。
笑った。
「うん」
「それ」
「一番大事」
◇◇◇
その夜。
私は。
陽向が。
帰ったあと。
一人で。
婚姻届について。
調べながら。
ふと。
手を止めた。
配偶者。
氏名。
本籍。
住所。
生年月日。
どこにも。
『心の名前』
を書く欄なんて。
ない。
当たり前。
でも。
少しだけ。
笑った。
紙が。
私を。
決めるわけじゃない。
戸籍も。
身体も。
過去も。
全部。
私の一部。
でも。
私が。
誰なのかを。
最後に。
決めるのは。
私自身。
「……高瀬美月」
私は。
小さく。
自分の名前を。
呼んだ。
そして。
そのあと。
もう一つ。
試しに。
言ってみる。
「天城……美月」
「……」
顔が。
熱くなる。
「いや」
一人で。
何やってるんだろう。
でも。
少し。
嬉しい。
そのとき。
スマートフォンが。
鳴った。
陽向。
『今何してる?』
私は。
少し。
迷って。
正直に。
返す。
『結婚したあとの名前、考えてた』
既読。
一秒。
二秒。
着信。
早い。
「もしもし」
『美月!』
「声大きい」
『天城美月って言った!?』
「なんで分かるの!?」
『言ったんだ!?』
「言ってない!」
『今言ったって認めた!』
「もう!」
電話の向こう。
ものすごく。
嬉しそうな。
笑い声。
『天城美月』
「言わないで!」
『めっちゃいい!』
「恥ずかしい!」
『美月』
「何!」
『俺』
少し。
声が。
優しくなる。
『名前が何になっても』
「……」
『ちゃんと』
『美月と結婚するから』
胸が。
鳴る。
「うん」
私は。
笑った。
「私も」
「陽向と」
「結婚する」
◇◇◇
数日後。
両事務所との。
確認で。
私たちは。
次の。
大きな現実と。
向き合うことになった。
「入籍日について」
担当者が。
資料を。
差し出す。
「候補を」
「そろそろ」
「絞りましょう」
入籍日。
本当に。
夫婦になる日。
陽向が。
私を見る。
「美月」
「うん」
「いつがいい?」
また。
私に。
聞いてくれる。
私は。
少し。
考えた。
記念日。
誕生日。
出会った日。
プロポーズの日。
いろいろ。
浮かぶ。
でも。
一つ。
心に。
引っかかる日があった。
私が。
一度目の人生を。
失った日。
そして。
一ノ瀬紗良の身体で。
目を覚まし。
二度目の人生が。
始まった日。
事故の日。
あの日を。
ずっと。
『死んだ日』
として。
覚えてきた。
でも。
もし。
そこに。
新しい意味を。
重ねるなら。
私は。
陽向を見た。
「ねえ」
「何?」
「入籍日」
胸が。
少し。
速くなる。
「あの日にするのって」
「どう思う?」
陽向の。
表情が。
変わった。
「あの日?」
「うん」
私は。
ゆっくり。
言った。
「私と紗良が」
「事故に遭った日」
部屋が。
静かになった。
それは。
二人にとって。
あまりにも。
大きな意味を持つ。
日。
終わった日。
始まった日。
そして。
もし。
そこを。
選ぶなら。
今度は。
――私たちが。
――未来を始める日に。
変えることになる。
公表してから。
一週間。
思っていたより。
世界は。
普通に。
動いていた。
もちろん。
何も。
変わらなかったわけじゃない。
撮影現場で。
指輪を。
ちらっと見られることも。
増えた。
取材では。
結婚について。
聞かれることもある。
陽向の。
ファンの中には。
まだ。
受け止めきれない人もいる。
それでも。
私は。
朝。
仕事へ行って。
夜。
帰って。
子どもたちと。
連絡を取って。
陽向と。
話す。
そんな。
毎日を。
送っていた。
「……意外と」
私は。
鏡の前で。
髪を整えながら。
呟く。
「世界って」
「終わらないんだな」
婚約を。
公表する前は。
ものすごく。
大きなことに。
思えた。
一つの発表で。
全部。
変わってしまうような。
でも。
実際は。
怖かった日も。
嬉しかった日も。
次の日は。
普通に。
やってくる。
そして。
今日は。
陽向と。
結婚について。
具体的な話を。
する日。
だった。
◇◇◇
「まず」
陽向が。
テーブルに。
ノートを。
置いた。
「決めること!」
「何それ」
「結婚会議」
「名前が堅い」
「大事だから!」
ページを。
開く。
そこには。
陽向の字で。
大きく。
書かれていた。
『結婚までに決めること』
その下。
・入籍時期
・住む場所
・仕事
・子どもたち
・名字
・結婚式?
・指輪
・公表後のこと
「……多い」
「多いよ」
陽向が。
真顔で。
頷く。
「俺」
「プロポーズしたら」
「もっと」
「幸せー!」
「結婚しよー!」
「みたいな」
「感じだと思ってた」
「三十四歳の結婚は」
「現実が多いの」
「美月」
「経験者っぽい」
「経験者です」
「そうだった」
二人で。
少し。
笑う。
でも。
その中で。
私の目が。
止まった。
『名字』
その二文字。
胸の奥が。
少し。
ざわついた。
陽向も。
気づく。
「……そこ?」
「うん」
私は。
頷いた。
「やっぱり」
「考えなきゃだよね」
「うん」
◇◇◇
今。
この身体の。
戸籍上の名前は。
一ノ瀬紗良。
高瀬美月は。
もう。
亡くなった人。
だから。
法律上。
陽向と。
結婚するのは。
一ノ瀬紗良。
それは。
分かっている。
分かっているけど。
いざ。
婚姻届を。
想像すると。
胸が。
変な感じになる。
「……私」
「うん」
「前の結婚で」
「高瀬になったんだよね」
「うん」
「それで」
少し。
笑う。
「ずっと」
「高瀬美月として」
「生きてた」
陽向が。
黙って。
聞いている。
「子どもたちの」
「ママとしても」
「高瀬美月」
「うん」
「でも今」
自分の胸へ。
手を置く。
「戸籍では」
「一ノ瀬紗良」
「……」
「陽向と結婚したら」
「名字を変えるなら」
「天城紗良」
その名前を。
口にした瞬間。
胸が。
少し。
痛んだ。
「……変?」
陽向が。
聞く。
「変っていうか」
私は。
少し。
困ったように笑う。
「私じゃない人の名前が」
「さらに」
「私じゃない名字に」
「変わる感じ」
「……」
陽向の顔が。
少し。
曇る。
「そっか」
「ごめん」
「謝らない」
すぐ。
言われる。
「はい」
私は。
少し笑った。
◇◇◇
「美月」
陽向が。
ノートを。
閉じる。
「俺」
「天城って名字」
「絶対」
「美月につけたいわけじゃないよ」
「え?」
「いや」
少し。
照れる。
「天城美月って」
「ちょっと」
「考えたことはあるけど」
「考えたんだ」
「そりゃ」
「するでしょ!」
「ふふっ」
でも。
陽向は。
すぐ。
真面目な顔になる。
「でも」
「美月が」
「名前のことで」
「また」
「自分分かんなくなるなら」
「嫌」
胸が。
鳴った。
「婚姻届に」
「何て書くかより」
「美月が」
「自分でいられるほうが」
「大事」
「……」
「だから」
「名字」
「変えなくてもいい」
「え?」
「俺が」
「一ノ瀬になるとか?」
私は。
固まった。
「待って」
「何?」
「天城陽向が」
「一ノ瀬陽向?」
「うん」
「芸名どうするの?」
「天城陽向のまま」
「そこは」
「できるだろうし」
「いや」
私は。
笑いそうになる。
「急に」
「一ノ瀬陽向」
「なんか」
「違和感ある」
「美月も」
「天城紗良に」
「違和感あるんでしょ?」
「……うん」
二人。
しばらく。
黙る。
名前。
ただの。
文字なのに。
こんなに。
大きい。
◇◇◇
「ねえ陽向」
「ん?」
「私」
「一個」
「思ってることがある」
「何?」
私は。
少し。
迷った。
でも。
言う。
「結婚しても」
「あなたの名字で」
「私を」
「新しい人に」
「しなくていいと思う」
「……」
「私」
「一ノ瀬紗良でも」
「高瀬美月でも」
「どっちかだけじゃ」
「もうない」
「うん」
「だから」
自分の左手。
指輪を見る。
「書類が」
「一ノ瀬紗良でも」
「それで」
「私が紗良だけになるわけじゃない」
陽向が。
静かに。
聞いている。
「高瀬美月っていう」
「名前も」
「私の中から」
「消えない」
「……うん」
「子どもたちも」
「ママって」
「呼んでくれる」
「うん」
「陽向も」
「美月って」
「呼んでくれる」
「……」
「だったら」
私は。
少し。
笑った。
「それで」
「いいのかもしれない」
陽向が。
目を細める。
「本当に?」
「うん」
「無理してない?」
その確認。
嬉しい。
私は。
ちゃんと。
考える。
そして。
「うん」
と。
頷いた。
「前は」
「名前が違うことが」
「怖かった」
「うん」
「でも今」
「誰かに」
「美月って証明してもらわなくても」
「私は」
胸へ。
手を置く。
「私が」
「高瀬美月だって」
「分かる」
陽向の。
目が。
少し。
潤んだ。
「……美月」
「何?」
「かっこいい」
「また?」
「うん」
「最近」
「俺」
「美月に」
「かっこいいって」
「言いすぎ?」
「ちょっと」
「じゃあ」
少し。
にやっとする。
「可愛い」
「そっちは」
「もっと言ってる」
「あははっ!」
◇◇◇
そのあと。
現実的な。
話。
婚姻届。
必要書類。
名字。
仕事上の名前。
公表後の。
表記。
全部。
事務所にも。
確認することにした。
「女優名は」
私は。
言う。
「一ノ瀬紗良のままが」
「いいかな」
「うん」
「今さら」
「変えたら」
「それこそ」
「騒ぎになるし」
「うん」
「でも」
「陽向は」
「美月って」
「呼んでね」
「当たり前」
即答。
「結婚しても?」
「一生」
「……」
顔が。
熱くなる。
「一生って」
「結婚するんだから」
陽向が。
笑う。
「そこ」
「照れるとこ?」
「照れるよ」
「じゃあ」
わざと。
近づく。
「美月」
「何?」
「美月」
「……何」
「美月」
「しつこい」
でも。
嬉しい。
◇◇◇
数日後。
私は。
子どもたちと。
会っていた。
結婚の。
具体的な話を。
少しずつ。
始めたこと。
そして。
名前のこと。
星には。
話しておこうと。
思った。
「ママ」
「何?」
星が。
少し。
考える。
「結婚したら」
「名字」
「どうなるの?」
「まだ」
「正式には」
「いろいろ確認中だけど」
「うん」
「戸籍上は」
私は。
言葉を。
選ぶ。
「一ノ瀬紗良として」
「結婚することになる」
星の顔が。
少し。
寂しそうになる。
「じゃあ」
「高瀬美月は?」
胸が。
きゅっと。
した。
でも。
私は。
笑う。
「いるよ」
「……どこに?」
「ここ」
胸を。
指差す。
星が。
じっと。
私を見る。
「高瀬美月って」
「戸籍には」
「もう」
「いないけど」
「……」
「星たちの」
「ママだったことも」
「今もママなことも」
「変わらない」
「うん」
「だから」
「名字が変わっても」
「名前が違っても」
少し。
笑う。
「ママは」
「ママ」
星が。
小さく。
頷いた。
「……うん」
「何?」
「ちょっと」
「寂しい?」
星は。
少し。
迷った。
そして。
「うん」
正直に。
答えた。
「高瀬美月って」
「私のママの名前だから」
「……」
「なくなるみたいで」
「嫌」
胸が。
痛い。
私は。
星の手を。
握った。
「なくさないよ」
「でも」
「ねえ」
私は。
少し考える。
「星」
「何?」
「これからも」
「私のこと」
「美月って」
「呼ぶことある?」
星が。
変な顔。
「ママって呼ぶ」
「だよね」
二人。
笑う。
「じゃあ」
「高瀬美月って」
「名前を」
「毎日」
「口にしなくても」
「……」
「星の中に」
「ママはいるでしょ?」
「うん」
「私も同じ」
胸を。
指差す。
「名前が」
「書類から」
「なくても」
「高瀬美月として」
「生きた時間は」
「ここにある」
星の。
目が。
少し。
潤む。
「……そっか」
「うん」
「じゃあ」
星が。
少し笑う。
「忘れないでね」
「何を?」
「自分が」
「高瀬美月だったこと」
「……」
私は。
笑った。
「忘れない」
「絶対?」
「絶対」
◇◇◇
すると。
一番小さい子が。
突然。
私たちの間へ。
入ってくる。
「ママ!」
「何?」
「なまえかわるの?」
「どうして聞いてたの?」
「聞こえた」
「そっか」
「ママ」
少し。
考える。
「ひなたになる?」
「……」
私は。
固まる。
星が。
吹き出した。
「人の名前にならないよ!」
「じゃあ」
「なに?」
「名字が」
「変わるかもしれないの」
「みょうじ?」
「うん」
「むずかしい」
「だよね」
一番小さい子が。
少し。
考えて。
「じゃあ」
「ママは」
「ママでいい?」
胸が。
温かくなる。
「うん」
「ママでいい」
「じゃあいい」
そして。
ゲームへ。
戻っていく。
星と。
私は。
顔を見合わせた。
「……強いね」
星が。
笑う。
「何が?」
「一番下」
「名前どうでもいいんだ」
「ママなら」
「いいんだね」
私は。
その小さな。
背中を見る。
「うん」
「そうみたい」
◇◇◇
その日の。
帰り。
前の夫と。
少しだけ。
話した。
「名前」
夫が。
聞く。
「どうするん」
「まだ」
「確定じゃないけど」
「うん」
「戸籍上は」
「一ノ瀬紗良として」
「結婚する」
「……そっか」
夫は。
少し。
複雑そうな顔。
「変?」
「いや」
「……」
「高瀬美月って」
少し。
苦笑する。
「俺の中では」
「お前の名前やから」
「……」
胸が。
少し。
痛む。
でも。
今は。
その言葉を。
恋愛として。
受け取らない。
「うん」
「でも」
私は。
笑う。
「それ」
「なくならないよ」
「……?」
「私」
「これからも」
「子どもたちの」
「高瀬美月だから」
夫が。
少し。
目を細めた。
「そっか」
「うん」
「じゃあ」
少し。
笑う。
「天城……」
言葉を。
止める。
「何になるんや?」
「まだ分からない」
「そこ決まってないんか」
「現実は」
「いろいろあるの」
「大変やな」
「ほんとに」
二人で。
少し。
笑った。
昔。
夫婦だった。
今。
子どもたちの。
父親と母親。
それで。
いい。
◇◇◇
夜。
陽向が。
私の部屋へ。
来た。
夕飯を。
食べて。
ソファで。
二人。
並ぶ。
「星ちゃん」
「何て?」
「ちょっと」
「寂しいって」
陽向が。
少し。
表情を変える。
「そっか」
「高瀬美月って」
「ママの名前だからって」
「……うん」
「でも」
私は。
少し笑う。
「ちゃんと」
「話せたよ」
「うん」
「名前が」
「変わっても」
「ママは」
「変わらないって」
陽向が。
頷く。
「それで」
「一番下は?」
「ママはママでいいって」
「強いな」
「うん」
「俺より」
「全然」
「迷いない」
「ふふっ」
◇◇◇
しばらくして。
陽向が。
私の左手を。
取った。
指輪。
まだ。
少しだけ。
サイズが。
大きい。
「これ」
「そろそろ」
「直しに行こうな」
「うん」
「落としたら」
「俺泣く」
「そんなに?」
「泣く」
「じゃあ」
「ちゃんと直す」
陽向が。
指輪を。
見ながら。
小さく。
言った。
「名前」
「何?」
「俺」
「やっぱ」
「書類に」
「一ノ瀬紗良って」
「書いてあっても」
「ちょっと」
「変な感じすると思う」
「うん」
「でも」
私を見る。
「婚姻届に」
「名前書いてる人が」
「美月だって」
「俺は分かってる」
「……」
「だから」
「それでいい」
胸が。
じんわり。
温かくなる。
「私も」
「うん」
「陽向と」
「結婚するのは」
「一ノ瀬紗良の身体」
「うん」
「でも」
「結婚するって」
「決めたのは」
胸へ。
手を当てる。
「私」
「高瀬美月」
陽向が。
笑った。
「うん」
「それ」
「一番大事」
◇◇◇
その夜。
私は。
陽向が。
帰ったあと。
一人で。
婚姻届について。
調べながら。
ふと。
手を止めた。
配偶者。
氏名。
本籍。
住所。
生年月日。
どこにも。
『心の名前』
を書く欄なんて。
ない。
当たり前。
でも。
少しだけ。
笑った。
紙が。
私を。
決めるわけじゃない。
戸籍も。
身体も。
過去も。
全部。
私の一部。
でも。
私が。
誰なのかを。
最後に。
決めるのは。
私自身。
「……高瀬美月」
私は。
小さく。
自分の名前を。
呼んだ。
そして。
そのあと。
もう一つ。
試しに。
言ってみる。
「天城……美月」
「……」
顔が。
熱くなる。
「いや」
一人で。
何やってるんだろう。
でも。
少し。
嬉しい。
そのとき。
スマートフォンが。
鳴った。
陽向。
『今何してる?』
私は。
少し。
迷って。
正直に。
返す。
『結婚したあとの名前、考えてた』
既読。
一秒。
二秒。
着信。
早い。
「もしもし」
『美月!』
「声大きい」
『天城美月って言った!?』
「なんで分かるの!?」
『言ったんだ!?』
「言ってない!」
『今言ったって認めた!』
「もう!」
電話の向こう。
ものすごく。
嬉しそうな。
笑い声。
『天城美月』
「言わないで!」
『めっちゃいい!』
「恥ずかしい!」
『美月』
「何!」
『俺』
少し。
声が。
優しくなる。
『名前が何になっても』
「……」
『ちゃんと』
『美月と結婚するから』
胸が。
鳴る。
「うん」
私は。
笑った。
「私も」
「陽向と」
「結婚する」
◇◇◇
数日後。
両事務所との。
確認で。
私たちは。
次の。
大きな現実と。
向き合うことになった。
「入籍日について」
担当者が。
資料を。
差し出す。
「候補を」
「そろそろ」
「絞りましょう」
入籍日。
本当に。
夫婦になる日。
陽向が。
私を見る。
「美月」
「うん」
「いつがいい?」
また。
私に。
聞いてくれる。
私は。
少し。
考えた。
記念日。
誕生日。
出会った日。
プロポーズの日。
いろいろ。
浮かぶ。
でも。
一つ。
心に。
引っかかる日があった。
私が。
一度目の人生を。
失った日。
そして。
一ノ瀬紗良の身体で。
目を覚まし。
二度目の人生が。
始まった日。
事故の日。
あの日を。
ずっと。
『死んだ日』
として。
覚えてきた。
でも。
もし。
そこに。
新しい意味を。
重ねるなら。
私は。
陽向を見た。
「ねえ」
「何?」
「入籍日」
胸が。
少し。
速くなる。
「あの日にするのって」
「どう思う?」
陽向の。
表情が。
変わった。
「あの日?」
「うん」
私は。
ゆっくり。
言った。
「私と紗良が」
「事故に遭った日」
部屋が。
静かになった。
それは。
二人にとって。
あまりにも。
大きな意味を持つ。
日。
終わった日。
始まった日。
そして。
もし。
そこを。
選ぶなら。
今度は。
――私たちが。
――未来を始める日に。
変えることになる。



