それは。
主演ドラマの。
撮影が始まって。
少し経った。
ある朝のことだった。
まだ。
目覚ましが鳴る前。
スマートフォンが。
何度も。
震えていた。
「……ん」
寝ぼけたまま。
手を伸ばす。
着信。
事務所。
その下。
陽向。
マネージャー。
そして。
星。
「……何?」
一気に。
目が覚めた。
こんな時間に。
これだけ。
連絡が来るなんて。
嫌な予感しかしない。
まず。
事務所からの。
着信へ。
折り返す。
「もしもし」
『一ノ瀬さん』
声が。
硬い。
「はい」
『今』
『ご自宅ですか?』
「はい」
『SNSは』
『見ました?』
「……まだ」
一瞬。
間。
『見ないでください』
胸が。
ざわついた。
「何があったんですか?」
『週刊誌から』
『昨日』
『問い合わせが来ました』
「……」
また。
陽向とのこと?
私は。
ベッドの上で。
身体を起こした。
「内容は?」
『天城さんが』
『ジュエリーショップへ』
『出入りしていた件です』
心臓が。
止まった。
「……え?」
『写真を』
『撮られています』
指輪。
頭に。
最初に。
浮かんだ。
陽向が。
私へ。
プロポーズするために。
星と。
選んでくれた。
あの。
婚約指輪。
「それって……」
『記事では』
担当者が。
ゆっくり。
言う。
『婚約指輪を購入したのではないか』
『と』
『書かれる予定です』
「……」
血の気が。
引いていく。
まだ。
公表しない。
そう。
決めたばかりだった。
主演ドラマ。
ASTERの仕事。
一区切りついてから。
ちゃんと。
準備して。
陽向自身の。
言葉で。
伝える。
そのはずだった。
なのに。
『それと』
「……まだあるんですか?」
『天城さんと一緒に』
『若い女性が』
『店へ入った写真もあります』
息が。
止まった。
星。
「顔は!?」
思わず。
声が。
大きくなる。
『落ち着いて』
「星の顔は」
「写ってますか!?」
『……一ノ瀬さん』
もう。
隠せない。
私は。
唇を噛む。
『天城さん側から』
『その女性について』
『一般人に近い立場の方なので』
『絶対に身元を出さないよう』
『すでに申し入れています』
「……」
一般人に。
近い。
星は。
モデル活動を。
始めている。
完全な一般人ではない。
もし。
調べられたら。
私との。
仕事の繋がりも。
出てくる。
さらに。
星の家族。
高瀬家。
そこまで。
辿られたら。
「……嫌」
声が。
震えた。
『一ノ瀬さん』
「子どもたちは」
「関係ないです」
『分かっています』
「絶対」
「出さないでください」
『はい』
「お願いします」
『その件も含めて』
『今日』
『緊急で』
『両事務所と話し合います』
「……はい」
電話が。
切れた。
◇◇◇
私は。
しばらく。
動けなかった。
まだ。
左手には。
昨日。
寝る前につけた。
指輪。
小さな石が。
朝の光を。
反射している。
こんなに。
嬉しかったものが。
突然。
怖いものに。
見えそうになる。
その瞬間。
また。
スマートフォン。
陽向。
私は。
すぐに。
出た。
「陽向」
『美月』
声が。
いつもと違う。
「聞いた」
『うん』
「星は?」
『今』
『俺からも』
『連絡した』
「大丈夫?」
『顔は』
『帽子とマスクで』
『はっきり分かる写真じゃない』
少し。
息が。
戻る。
『でも』
「うん」
『絶対とは』
『言えない』
「……」
『ごめん』
「陽向」
『俺が』
「違う」
すぐに。
止めた。
「謝らないで」
『でも』
「私も」
指輪を見る。
「陽向と」
「一緒に選びに行ってって」
「星に」
「関わってもらった」
『……』
「だから」
一度。
息を吸う。
「陽向一人のせいじゃない」
電話の向こう。
少し。
静かになる。
『……うん』
「一緒に」
「考えよ」
自分で。
言えた。
陽向が。
小さく。
『うん』
と。
返した。
◇◇◇
午前。
会議室。
私。
陽向。
それぞれの。
事務所。
マネージャー。
広報。
前より。
人数が多い。
机の上。
週刊誌から。
送られてきた。
記事の。
ゲラ。
見出し。
――ASTER天城陽向、極秘ジュエリー店訪問。
――一ノ瀬紗良との交際は結婚秒読み?
「……」
写真。
店から。
出てくる。
陽向。
手には。
小さな。
紙袋。
そして。
数分後。
別の出口から。
出る。
星。
顔は。
ほとんど。
見えていない。
でも。
私には。
分かる。
「記事本文では」
広報担当が。
説明する。
「同伴女性については」
「知人女性」
「とだけ」
「書く予定のようです」
陽向が。
すぐに。
言う。
「それも」
「できれば」
「載せてほしくないです」
「申し入れています」
「……お願いします」
陽向の。
声が。
硬い。
「ただ」
広報担当が。
続ける。
「問題は」
「婚約について」
空気が。
重くなる。
「先方から」
「具体的な質問が」
「来ています」
資料。
そこには。
三つ。
質問。
『一ノ瀬紗良さんとの交際は事実か』
『ジュエリーは婚約指輪か』
『結婚の予定はあるか』
私は。
黙って。
文字を見ていた。
前なら。
どうしただろう。
否定して。
守れるなら。
否定したほうがいい。
そう。
思ったかもしれない。
でも。
今は。
それが。
正解とは。
思えない。
「対応案としては」
担当者が。
言う。
「これまで通り」
「プライベートについては」
「本人に任せています」
「で」
「通す方法」
「……」
「あるいは」
「婚約のみ否定」
陽向の顔が。
変わった。
「それは嫌です」
即答。
マネージャーが。
陽向を見る。
「分かってる」
「案として」
「出してるだけだ」
「……」
「三つ目」
担当者が。
一度。
息を吸う。
「予定を」
「前倒しして」
「交際及び婚約を」
「正式に発表する」
胸が。
大きく。
鳴った。
今?
まだ。
早い。
そう。
思っていた。
「ただし」
私の担当者が。
言う。
「発表するとなれば」
「主演ドラマ側」
「スポンサー」
「ASTER関係」
「本日中に」
「かなりの調整が」
「必要になります」
「……はい」
「そして」
「一度発表すれば」
「戻せません」
私は。
膝の上で。
手を握った。
◇◇◇
「俺は」
陽向が。
口を開いた。
「発表したいです」
全員の。
視線が。
集まる。
「陽向」
マネージャーが。
低い声。
「勢いで」
「言ってないな?」
「言ってません」
「……」
「むしろ」
陽向が。
記事を見る。
「これ以上」
「隠して」
「追いかけられるほうが」
「怖いです」
胸が。
揺れた。
「俺と美月だけなら」
「まだ」
「いい」
「……」
「よくないけど」
少し。
言い直す。
「仕事だから」
「ある程度」
「覚悟します」
「でも」
写真の。
星を見る。
「美月の」
「大事な人まで」
「追われる可能性が」
「あるなら」
「……」
「俺たちが」
「何も言わないことで」
「余計に」
「周りを」
「嗅ぎ回られるほうが」
「嫌です」
マネージャーが。
黙る。
理屈は。
分かる。
でも。
公表すれば。
今度は。
私自身が。
もっと。
追われる。
「美月」
陽向が。
私を見る。
「どう思う?」
また。
聞いてくれる。
私は。
すぐには。
答えなかった。
怖い。
ものすごく。
怖い。
でも。
一番。
嫌なのは。
何?
自分に。
聞く。
陽向の。
人気が。
落ちること?
私が。
叩かれること?
主演ドラマへ。
影響が出ること?
全部。
怖い。
でも。
一番。
嫌なのは。
「……子どもたち」
私は。
言った。
「うん」
「子どもたちのことを」
「調べられるのが」
「一番」
「嫌」
陽向が。
頷く。
「うん」
「星も」
「他の子たちも」
「前の夫も」
「……」
「私たちの」
「恋愛とは」
「関係ない」
「うん」
「だから」
私は。
記事を見る。
「私たちが」
「ちゃんと」
「事実を」
「話すことで」
「余計な詮索が」
「減らせるなら」
一度。
息を吸う。
「発表したい」
部屋が。
静かになる。
「ただ」
私は。
続けた。
「条件があります」
「何ですか?」
「家族について」
「一切」
「話さない」
「……」
「私の」
「過去のことも」
「子どもたちのことも」
「公表しない」
陽向も。
すぐ。
頷く。
「それは絶対」
「うん」
「結婚は」
私は。
陽向を見る。
「私と陽向の話として」
「伝えたい」
「うん」
その言葉に。
担当者が。
ゆっくり。
頷いた。
◇◇◇
「もう一つ」
私は。
言った。
「はい」
「発表するなら」
胸が。
少し。
速くなる。
「陽向から」
「ファンの人へ」
「ちゃんと」
「自分の言葉で」
「伝えてほしい」
陽向が。
私を見る。
「……うん」
「この前」
「言ってたでしょ」
「うん」
「変わらず応援してくださいって」
「言いたくないって」
陽向が。
小さく。
笑った。
「覚えてた?」
「覚えてるよ」
「じゃあ」
私は。
少し笑う。
「言って」
「陽向の言葉で」
「……うん」
陽向が。
真っ直ぐ。
頷いた。
「言う」
◇◇◇
話し合いは。
そこから。
何時間も。
続いた。
スポンサー。
放送局。
ASTER。
主演ドラマ。
発表するなら。
いつ。
どこから。
どういう文章で。
そして。
結論。
記事が。
発売される。
前日。
私たち自身から。
公表する。
先に。
ファンクラブ。
そのあと。
双方の。
公式サイト。
SNS。
「……明日」
私は。
呟いた。
早い。
あまりにも。
早い。
昨日まで。
まだ。
秘密だったのに。
明日には。
何万人もの人が。
知る。
「美月」
会議が。
終わったあと。
陽向が。
私の隣へ。
来る。
「怖い?」
「うん」
即答。
「陽向は?」
「めちゃくちゃ」
「……そっか」
二人。
少し。
笑った。
「でも」
陽向が。
言う。
「一緒だな」
「何が?」
「怖いの」
「……うん」
「じゃあ」
陽向が。
手を。
少し。
差し出す。
人のいない。
廊下。
私は。
その手を。
握った。
「一緒に」
「怖がろ」
その言葉。
いつか。
星が。
私に。
言ってくれた。
私は。
笑った。
「うん」
◇◇◇
その夜。
子どもたちにも。
先に。
伝えることにした。
全員。
一緒に。
ビデオ通話。
画面。
にぎやか。
「ママ!」
「何?」
「顔近い!」
「そっちでしょ」
「ママ今日仕事?」
「終わったよ」
そして。
私は。
少し。
真面目な顔になる。
「みんな」
「聞いてほしいことがある」
画面の向こう。
星は。
何となく。
察した顔。
夫も。
少し。
緊張している。
「明日」
「ママと」
「陽向が」
「結婚すること」
「みんなに」
「発表することになった」
「……」
一瞬。
静か。
そして。
「テレビ出る?」
一番小さい子。
やっぱり。
そこ。
「出るかもしれない」
「ひなたも?」
「出るかも」
「ぼくは?」
「出ません」
「なんで!」
「出なくていいの!」
みんなが。
笑う。
でも。
私は。
続ける。
「みんなのことは」
「絶対」
「話さないから」
「……」
「ママが」
「前に」
「どういう人生だったかも」
「子どもがいることも」
「世間には」
「言わない」
一人が。
聞く。
「なんで?」
「守りたいから」
私は。
まっすぐ。
答える。
「みんなは」
「芸能人じゃない」
「……」
「ママと陽向が」
「結婚することと」
「みんなの生活は」
「別だから」
夫が。
静かに。
頷く。
星が。
言う。
「私も?」
「星は」
少し。
考える。
「モデルしてるけど」
「それでも」
「私の娘だってことは」
「今は」
「言わない」
「うん」
「星が」
「自分で」
「言いたいって」
「思う日が来たら」
「また」
「一緒に考えよう」
星が。
少し。
笑った。
「分かった」
◇◇◇
「ママ」
以前。
結婚を。
少し。
複雑だと。
言っていた子が。
聞く。
「うん」
「明日」
「怖い?」
「……うん」
私は。
正直に。
答えた。
「すごく」
「じゃあ」
「やめる?」
「……」
以前なら。
この質問で。
心が。
揺れたかもしれない。
でも。
今は。
違う。
「やめない」
私は。
笑った。
「怖いけど」
「結婚したいから」
「……」
「陽向と」
「一緒にいたいから」
その子は。
少し。
考える。
そして。
「そっか」
「うん」
「じゃあ」
小さく。
笑う。
「頑張って」
胸が。
いっぱいになる。
「ありがとう」
◇◇◇
通話の最後。
一番小さい子が。
言った。
「ママ」
「何?」
「けっこんしたら」
「うん」
「ひなたと」
「ゲームいっぱいする?」
「それは」
「陽向に聞いて」
「じゃあ」
突然。
画面へ。
顔を。
近づける。
「ひなたー!」
「今日いないよ!」
「なんで!」
また。
みんなが。
笑った。
こんな。
普通の。
笑い声。
明日。
世間が。
何を言っても。
ここは。
守りたい。
強く。
そう思った。
◇◇◇
翌朝。
発表の日。
私は。
仕事へ行く前。
家で。
一人。
文章を。
読み返していた。
事務所と。
何度も。
確認した。
私の。
コメント。
『私事ではございますが、このたび天城陽向さんと将来を共に歩んでいくことを決めました。』
そのあと。
仕事への。
感謝。
これからも。
女優として。
作品へ。
向き合うこと。
でも。
一ヶ所だけ。
私が。
入れたいと。
お願いした。
文章。
『これからも、自分自身の人生を大切にしながら、周囲の大切な方々への感謝を忘れず、一歩ずつ歩んでまいります。』
一ノ瀬紗良として。
出す。
文章。
でも。
この言葉を。
書いたのは。
高瀬美月。
それでいい。
「……よし」
送信時刻。
午前十時。
あと。
五分。
スマートフォンが。
震える。
陽向。
『生きてる?』
私は。
思わず笑う。
『ギリギリ』
『俺も』
『文章読んだ?』
『何回も』
『俺のも?』
『読んだ』
陽向の。
ファン向けの。
言葉。
何度。
読んでも。
胸が。
熱くなった。
◇◇◇
午前十時。
まず。
ASTERの。
ファンクラブ。
陽向の。
文章が。
公開された。
私は。
画面を。
開く。
『いつも応援してくださっている皆さんへ』
その一行。
胸が。
鳴る。
『今日は、俺の言葉で伝えたいことがあります。』
『このたび、大切な人とこれからの人生を一緒に歩いていくことを決めました。』
『突然の報告で、驚かせてしまうと思います。』
『嬉しいと思ってくださる方も、寂しいと思う方も、ショックを受ける方もいると思います。』
涙が。
滲む。
陽向らしい。
『どんな気持ちになるかを、俺が決めることはできません。』
『だから、変わらず応援してくださいとは言いません。』
「……陽向」
その先。
『ただ、今まで俺を見つけて、応援して、一緒にたくさんの景色を見てくれたことに、本当に感謝しています。』
『これからも応援してくださる方には、これからも楽しんでもらえるよう全力で届けます。』
『そして、もし今回のことで距離を置こうと思う方にも、今まで本当にありがとうと伝えたいです。』
涙が。
一滴。
落ちた。
『俺は、アイドルでいることも、大切な人と生きることも、どちらも自分で選びました。』
『どちらかを適当にするつもりはありません。』
『ASTERの天城陽向として、これからも全力でステージに立ちます。』
最後。
『本当に、いつもありがとう。』
私は。
しばらく。
動けなかった。
ファンだった。
私だから。
余計に。
分かる。
これは。
陽向が。
ファンを。
手放す文章じゃない。
縛る文章でもない。
ただ。
ありがとう。
と。
伝える文章。
「……好き」
思わず。
呟いた。
◇◇◇
そして。
私の。
発表も。
公開された。
数分。
スマートフォンが。
震え始める。
通知。
通知。
通知。
怖い。
見ない。
そう。
決めていたのに。
画面の。
一部が。
目に入る。
『え!?』
『本当に結婚するの?』
『おめでとう』
『無理』
『ショック』
『泣いてる』
『でも陽向の文章読んだら何も言えない』
『幸せになって』
『まだ受け止められない』
いろんな。
言葉。
胸が。
ぎゅっとなる。
喜びだけじゃない。
当然。
でも。
陽向が。
言っていた。
どんな気持ちになるかは。
俺が。
決められない。
その通り。
「……うん」
私は。
スマートフォンを。
伏せた。
全部。
受け止めようと。
しなくていい。
今。
やること。
撮影。
私は。
立ち上がった。
◇◇◇
現場へ。
到着。
スタッフから。
「おめでとうございます」
と。
言われる。
「ありがとうございます」
何度も。
頭を下げる。
神崎も。
楽屋前で。
私を見るなり。
「おめでとう」
と。
言った。
「ありがとう」
「ついに」
少し。
笑う。
「天城さん」
「勝った顔してそう」
「何に?」
「知らない」
私は。
笑った。
すると。
神崎が。
少し。
真面目になる。
「大丈夫?」
「……」
私は。
考える。
「怖い」
「うん」
「でも」
少し笑う。
「嬉しい」
「なら」
神崎も。
笑った。
「いいんじゃない」
「うん」
◇◇◇
撮影を。
終えたころ。
陽向から。
メッセージ。
『終わった?』
『今終わった』
『俺も』
『会える?』
私は。
迷わなかった。
『会いたい』
◇◇◇
夜。
いつもの。
私の部屋。
玄関を。
開ける。
陽向。
「……」
「……」
二人。
しばらく。
何も言わなかった。
そして。
同時に。
「疲れた」
言った。
「ふふっ」
「あはは」
笑う。
それだけで。
力が。
抜けた。
「美月」
「うん」
「怖かった?」
「うん」
「俺も」
「反応」
「見た?」
「ちょっと」
「俺も」
陽向が。
少し。
寂しそうに。
笑う。
「やっぱ」
「離れるって」
「言ってる人」
「いる」
「……うん」
「悲しい?」
「悲しい」
即答。
「そっか」
「でも」
陽向が。
少し。
息を吐く。
「仕方ない」
「……」
「その人が」
「悪いわけでもない」
「うん」
「俺が」
「悪いとも」
「思ってない」
「うん」
「ただ」
「そういうことも」
「ある」
「……」
私は。
陽向の。
手を握った。
「でも」
「何?」
「私は」
少し。
笑う。
「今日の文章」
「すごく好きだった」
陽向の顔が。
少し。
赤くなる。
「本当?」
「うん」
「ファンだった私にも」
「ちゃんと」
「届いた」
「……」
「ありがとうって」
「言われた気がした」
陽向が。
目を。
潤ませる。
「美月」
「何?」
「俺」
「今」
「美月が」
「元ファンで」
「よかったって」
「めっちゃ思ってる」
「元じゃないよ」
「え?」
私は。
笑った。
「今も」
「天城陽向の」
「ファン」
「……」
「ただ」
陽向の。
手を。
握る。
「一番近くで」
「応援するファンになっただけ」
「……無理」
「何が?」
「今日」
「泣かせないで」
「もう泣いてるじゃん」
陽向が。
笑いながら。
私を。
抱きしめた。
◇◇◇
少しして。
私は。
婚約指輪を。
ケースから。
出した。
今日まで。
家でしか。
つけられなかった。
左手。
薬指へ。
通す。
陽向が。
じっと。
見ている。
「……美月」
「何?」
「明日」
「それ」
「つけて出る?」
心臓が。
鳴った。
今まで。
外では。
隠していた。
でも。
もう。
婚約は。
公表した。
私は。
指輪を見る。
怖い。
写真を。
撮られるかもしれない。
記事に。
なるかもしれない。
でも。
これは。
隠さなければ。
いけないものでは。
もう。
ない。
私は。
ゆっくり。
頷いた。
「うん」
陽向の。
顔が。
ぱっと。
明るくなる。
「つける」
「……マジ?」
「うん」
私は。
リングを。
光へ。
かざす。
「明日から」
少し。
笑う。
「外でも」
「つけたい」
陽向が。
本当に。
嬉しそうに。
笑った。
「似合う」
「知ってる」
「強くなったな」
「誰のおかげ?」
「俺?」
「それだけじゃない」
「えー」
私は。
笑った。
子どもたち。
星。
陽向。
夫だった人。
紗良。
仕事。
いろんな人と。
いろんな時間。
全部が。
今の。
私を。
作っている。
◇◇◇
翌朝。
撮影現場。
私は。
車を降りた。
左手。
薬指。
指輪。
スタッフの。
視線が。
一瞬。
そこへ。
向く。
でも。
私は。
隠さなかった。
「おはようございます」
いつも通り。
笑う。
「おはようございます!」
歩き出す。
怖い。
まだ。
少し。
でも。
嬉しい。
私は。
高瀬美月。
世間には。
一ノ瀬紗良。
その矛盾は。
これからも。
消えない。
それでも。
今日。
この指輪を。
つけて歩いているのは。
間違いなく。
私。
誰かに。
選ばれたからじゃない。
私も。
この未来を。
選んだから。
そして。
公表という。
大きな山を。
越えた私たちには。
次に。
もっと。
現実的な。
問題が。
待っていた。
――入籍するとき。
――私は、何という名前で。
――陽向の隣に立つのか。
戸籍の上では。
一ノ瀬紗良。
心は。
高瀬美月。
結婚を。
公表したことで。
その矛盾と。
向き合う日は。
とうとう。
避けられなくなっていた。
主演ドラマの。
撮影が始まって。
少し経った。
ある朝のことだった。
まだ。
目覚ましが鳴る前。
スマートフォンが。
何度も。
震えていた。
「……ん」
寝ぼけたまま。
手を伸ばす。
着信。
事務所。
その下。
陽向。
マネージャー。
そして。
星。
「……何?」
一気に。
目が覚めた。
こんな時間に。
これだけ。
連絡が来るなんて。
嫌な予感しかしない。
まず。
事務所からの。
着信へ。
折り返す。
「もしもし」
『一ノ瀬さん』
声が。
硬い。
「はい」
『今』
『ご自宅ですか?』
「はい」
『SNSは』
『見ました?』
「……まだ」
一瞬。
間。
『見ないでください』
胸が。
ざわついた。
「何があったんですか?」
『週刊誌から』
『昨日』
『問い合わせが来ました』
「……」
また。
陽向とのこと?
私は。
ベッドの上で。
身体を起こした。
「内容は?」
『天城さんが』
『ジュエリーショップへ』
『出入りしていた件です』
心臓が。
止まった。
「……え?」
『写真を』
『撮られています』
指輪。
頭に。
最初に。
浮かんだ。
陽向が。
私へ。
プロポーズするために。
星と。
選んでくれた。
あの。
婚約指輪。
「それって……」
『記事では』
担当者が。
ゆっくり。
言う。
『婚約指輪を購入したのではないか』
『と』
『書かれる予定です』
「……」
血の気が。
引いていく。
まだ。
公表しない。
そう。
決めたばかりだった。
主演ドラマ。
ASTERの仕事。
一区切りついてから。
ちゃんと。
準備して。
陽向自身の。
言葉で。
伝える。
そのはずだった。
なのに。
『それと』
「……まだあるんですか?」
『天城さんと一緒に』
『若い女性が』
『店へ入った写真もあります』
息が。
止まった。
星。
「顔は!?」
思わず。
声が。
大きくなる。
『落ち着いて』
「星の顔は」
「写ってますか!?」
『……一ノ瀬さん』
もう。
隠せない。
私は。
唇を噛む。
『天城さん側から』
『その女性について』
『一般人に近い立場の方なので』
『絶対に身元を出さないよう』
『すでに申し入れています』
「……」
一般人に。
近い。
星は。
モデル活動を。
始めている。
完全な一般人ではない。
もし。
調べられたら。
私との。
仕事の繋がりも。
出てくる。
さらに。
星の家族。
高瀬家。
そこまで。
辿られたら。
「……嫌」
声が。
震えた。
『一ノ瀬さん』
「子どもたちは」
「関係ないです」
『分かっています』
「絶対」
「出さないでください」
『はい』
「お願いします」
『その件も含めて』
『今日』
『緊急で』
『両事務所と話し合います』
「……はい」
電話が。
切れた。
◇◇◇
私は。
しばらく。
動けなかった。
まだ。
左手には。
昨日。
寝る前につけた。
指輪。
小さな石が。
朝の光を。
反射している。
こんなに。
嬉しかったものが。
突然。
怖いものに。
見えそうになる。
その瞬間。
また。
スマートフォン。
陽向。
私は。
すぐに。
出た。
「陽向」
『美月』
声が。
いつもと違う。
「聞いた」
『うん』
「星は?」
『今』
『俺からも』
『連絡した』
「大丈夫?」
『顔は』
『帽子とマスクで』
『はっきり分かる写真じゃない』
少し。
息が。
戻る。
『でも』
「うん」
『絶対とは』
『言えない』
「……」
『ごめん』
「陽向」
『俺が』
「違う」
すぐに。
止めた。
「謝らないで」
『でも』
「私も」
指輪を見る。
「陽向と」
「一緒に選びに行ってって」
「星に」
「関わってもらった」
『……』
「だから」
一度。
息を吸う。
「陽向一人のせいじゃない」
電話の向こう。
少し。
静かになる。
『……うん』
「一緒に」
「考えよ」
自分で。
言えた。
陽向が。
小さく。
『うん』
と。
返した。
◇◇◇
午前。
会議室。
私。
陽向。
それぞれの。
事務所。
マネージャー。
広報。
前より。
人数が多い。
机の上。
週刊誌から。
送られてきた。
記事の。
ゲラ。
見出し。
――ASTER天城陽向、極秘ジュエリー店訪問。
――一ノ瀬紗良との交際は結婚秒読み?
「……」
写真。
店から。
出てくる。
陽向。
手には。
小さな。
紙袋。
そして。
数分後。
別の出口から。
出る。
星。
顔は。
ほとんど。
見えていない。
でも。
私には。
分かる。
「記事本文では」
広報担当が。
説明する。
「同伴女性については」
「知人女性」
「とだけ」
「書く予定のようです」
陽向が。
すぐに。
言う。
「それも」
「できれば」
「載せてほしくないです」
「申し入れています」
「……お願いします」
陽向の。
声が。
硬い。
「ただ」
広報担当が。
続ける。
「問題は」
「婚約について」
空気が。
重くなる。
「先方から」
「具体的な質問が」
「来ています」
資料。
そこには。
三つ。
質問。
『一ノ瀬紗良さんとの交際は事実か』
『ジュエリーは婚約指輪か』
『結婚の予定はあるか』
私は。
黙って。
文字を見ていた。
前なら。
どうしただろう。
否定して。
守れるなら。
否定したほうがいい。
そう。
思ったかもしれない。
でも。
今は。
それが。
正解とは。
思えない。
「対応案としては」
担当者が。
言う。
「これまで通り」
「プライベートについては」
「本人に任せています」
「で」
「通す方法」
「……」
「あるいは」
「婚約のみ否定」
陽向の顔が。
変わった。
「それは嫌です」
即答。
マネージャーが。
陽向を見る。
「分かってる」
「案として」
「出してるだけだ」
「……」
「三つ目」
担当者が。
一度。
息を吸う。
「予定を」
「前倒しして」
「交際及び婚約を」
「正式に発表する」
胸が。
大きく。
鳴った。
今?
まだ。
早い。
そう。
思っていた。
「ただし」
私の担当者が。
言う。
「発表するとなれば」
「主演ドラマ側」
「スポンサー」
「ASTER関係」
「本日中に」
「かなりの調整が」
「必要になります」
「……はい」
「そして」
「一度発表すれば」
「戻せません」
私は。
膝の上で。
手を握った。
◇◇◇
「俺は」
陽向が。
口を開いた。
「発表したいです」
全員の。
視線が。
集まる。
「陽向」
マネージャーが。
低い声。
「勢いで」
「言ってないな?」
「言ってません」
「……」
「むしろ」
陽向が。
記事を見る。
「これ以上」
「隠して」
「追いかけられるほうが」
「怖いです」
胸が。
揺れた。
「俺と美月だけなら」
「まだ」
「いい」
「……」
「よくないけど」
少し。
言い直す。
「仕事だから」
「ある程度」
「覚悟します」
「でも」
写真の。
星を見る。
「美月の」
「大事な人まで」
「追われる可能性が」
「あるなら」
「……」
「俺たちが」
「何も言わないことで」
「余計に」
「周りを」
「嗅ぎ回られるほうが」
「嫌です」
マネージャーが。
黙る。
理屈は。
分かる。
でも。
公表すれば。
今度は。
私自身が。
もっと。
追われる。
「美月」
陽向が。
私を見る。
「どう思う?」
また。
聞いてくれる。
私は。
すぐには。
答えなかった。
怖い。
ものすごく。
怖い。
でも。
一番。
嫌なのは。
何?
自分に。
聞く。
陽向の。
人気が。
落ちること?
私が。
叩かれること?
主演ドラマへ。
影響が出ること?
全部。
怖い。
でも。
一番。
嫌なのは。
「……子どもたち」
私は。
言った。
「うん」
「子どもたちのことを」
「調べられるのが」
「一番」
「嫌」
陽向が。
頷く。
「うん」
「星も」
「他の子たちも」
「前の夫も」
「……」
「私たちの」
「恋愛とは」
「関係ない」
「うん」
「だから」
私は。
記事を見る。
「私たちが」
「ちゃんと」
「事実を」
「話すことで」
「余計な詮索が」
「減らせるなら」
一度。
息を吸う。
「発表したい」
部屋が。
静かになる。
「ただ」
私は。
続けた。
「条件があります」
「何ですか?」
「家族について」
「一切」
「話さない」
「……」
「私の」
「過去のことも」
「子どもたちのことも」
「公表しない」
陽向も。
すぐ。
頷く。
「それは絶対」
「うん」
「結婚は」
私は。
陽向を見る。
「私と陽向の話として」
「伝えたい」
「うん」
その言葉に。
担当者が。
ゆっくり。
頷いた。
◇◇◇
「もう一つ」
私は。
言った。
「はい」
「発表するなら」
胸が。
少し。
速くなる。
「陽向から」
「ファンの人へ」
「ちゃんと」
「自分の言葉で」
「伝えてほしい」
陽向が。
私を見る。
「……うん」
「この前」
「言ってたでしょ」
「うん」
「変わらず応援してくださいって」
「言いたくないって」
陽向が。
小さく。
笑った。
「覚えてた?」
「覚えてるよ」
「じゃあ」
私は。
少し笑う。
「言って」
「陽向の言葉で」
「……うん」
陽向が。
真っ直ぐ。
頷いた。
「言う」
◇◇◇
話し合いは。
そこから。
何時間も。
続いた。
スポンサー。
放送局。
ASTER。
主演ドラマ。
発表するなら。
いつ。
どこから。
どういう文章で。
そして。
結論。
記事が。
発売される。
前日。
私たち自身から。
公表する。
先に。
ファンクラブ。
そのあと。
双方の。
公式サイト。
SNS。
「……明日」
私は。
呟いた。
早い。
あまりにも。
早い。
昨日まで。
まだ。
秘密だったのに。
明日には。
何万人もの人が。
知る。
「美月」
会議が。
終わったあと。
陽向が。
私の隣へ。
来る。
「怖い?」
「うん」
即答。
「陽向は?」
「めちゃくちゃ」
「……そっか」
二人。
少し。
笑った。
「でも」
陽向が。
言う。
「一緒だな」
「何が?」
「怖いの」
「……うん」
「じゃあ」
陽向が。
手を。
少し。
差し出す。
人のいない。
廊下。
私は。
その手を。
握った。
「一緒に」
「怖がろ」
その言葉。
いつか。
星が。
私に。
言ってくれた。
私は。
笑った。
「うん」
◇◇◇
その夜。
子どもたちにも。
先に。
伝えることにした。
全員。
一緒に。
ビデオ通話。
画面。
にぎやか。
「ママ!」
「何?」
「顔近い!」
「そっちでしょ」
「ママ今日仕事?」
「終わったよ」
そして。
私は。
少し。
真面目な顔になる。
「みんな」
「聞いてほしいことがある」
画面の向こう。
星は。
何となく。
察した顔。
夫も。
少し。
緊張している。
「明日」
「ママと」
「陽向が」
「結婚すること」
「みんなに」
「発表することになった」
「……」
一瞬。
静か。
そして。
「テレビ出る?」
一番小さい子。
やっぱり。
そこ。
「出るかもしれない」
「ひなたも?」
「出るかも」
「ぼくは?」
「出ません」
「なんで!」
「出なくていいの!」
みんなが。
笑う。
でも。
私は。
続ける。
「みんなのことは」
「絶対」
「話さないから」
「……」
「ママが」
「前に」
「どういう人生だったかも」
「子どもがいることも」
「世間には」
「言わない」
一人が。
聞く。
「なんで?」
「守りたいから」
私は。
まっすぐ。
答える。
「みんなは」
「芸能人じゃない」
「……」
「ママと陽向が」
「結婚することと」
「みんなの生活は」
「別だから」
夫が。
静かに。
頷く。
星が。
言う。
「私も?」
「星は」
少し。
考える。
「モデルしてるけど」
「それでも」
「私の娘だってことは」
「今は」
「言わない」
「うん」
「星が」
「自分で」
「言いたいって」
「思う日が来たら」
「また」
「一緒に考えよう」
星が。
少し。
笑った。
「分かった」
◇◇◇
「ママ」
以前。
結婚を。
少し。
複雑だと。
言っていた子が。
聞く。
「うん」
「明日」
「怖い?」
「……うん」
私は。
正直に。
答えた。
「すごく」
「じゃあ」
「やめる?」
「……」
以前なら。
この質問で。
心が。
揺れたかもしれない。
でも。
今は。
違う。
「やめない」
私は。
笑った。
「怖いけど」
「結婚したいから」
「……」
「陽向と」
「一緒にいたいから」
その子は。
少し。
考える。
そして。
「そっか」
「うん」
「じゃあ」
小さく。
笑う。
「頑張って」
胸が。
いっぱいになる。
「ありがとう」
◇◇◇
通話の最後。
一番小さい子が。
言った。
「ママ」
「何?」
「けっこんしたら」
「うん」
「ひなたと」
「ゲームいっぱいする?」
「それは」
「陽向に聞いて」
「じゃあ」
突然。
画面へ。
顔を。
近づける。
「ひなたー!」
「今日いないよ!」
「なんで!」
また。
みんなが。
笑った。
こんな。
普通の。
笑い声。
明日。
世間が。
何を言っても。
ここは。
守りたい。
強く。
そう思った。
◇◇◇
翌朝。
発表の日。
私は。
仕事へ行く前。
家で。
一人。
文章を。
読み返していた。
事務所と。
何度も。
確認した。
私の。
コメント。
『私事ではございますが、このたび天城陽向さんと将来を共に歩んでいくことを決めました。』
そのあと。
仕事への。
感謝。
これからも。
女優として。
作品へ。
向き合うこと。
でも。
一ヶ所だけ。
私が。
入れたいと。
お願いした。
文章。
『これからも、自分自身の人生を大切にしながら、周囲の大切な方々への感謝を忘れず、一歩ずつ歩んでまいります。』
一ノ瀬紗良として。
出す。
文章。
でも。
この言葉を。
書いたのは。
高瀬美月。
それでいい。
「……よし」
送信時刻。
午前十時。
あと。
五分。
スマートフォンが。
震える。
陽向。
『生きてる?』
私は。
思わず笑う。
『ギリギリ』
『俺も』
『文章読んだ?』
『何回も』
『俺のも?』
『読んだ』
陽向の。
ファン向けの。
言葉。
何度。
読んでも。
胸が。
熱くなった。
◇◇◇
午前十時。
まず。
ASTERの。
ファンクラブ。
陽向の。
文章が。
公開された。
私は。
画面を。
開く。
『いつも応援してくださっている皆さんへ』
その一行。
胸が。
鳴る。
『今日は、俺の言葉で伝えたいことがあります。』
『このたび、大切な人とこれからの人生を一緒に歩いていくことを決めました。』
『突然の報告で、驚かせてしまうと思います。』
『嬉しいと思ってくださる方も、寂しいと思う方も、ショックを受ける方もいると思います。』
涙が。
滲む。
陽向らしい。
『どんな気持ちになるかを、俺が決めることはできません。』
『だから、変わらず応援してくださいとは言いません。』
「……陽向」
その先。
『ただ、今まで俺を見つけて、応援して、一緒にたくさんの景色を見てくれたことに、本当に感謝しています。』
『これからも応援してくださる方には、これからも楽しんでもらえるよう全力で届けます。』
『そして、もし今回のことで距離を置こうと思う方にも、今まで本当にありがとうと伝えたいです。』
涙が。
一滴。
落ちた。
『俺は、アイドルでいることも、大切な人と生きることも、どちらも自分で選びました。』
『どちらかを適当にするつもりはありません。』
『ASTERの天城陽向として、これからも全力でステージに立ちます。』
最後。
『本当に、いつもありがとう。』
私は。
しばらく。
動けなかった。
ファンだった。
私だから。
余計に。
分かる。
これは。
陽向が。
ファンを。
手放す文章じゃない。
縛る文章でもない。
ただ。
ありがとう。
と。
伝える文章。
「……好き」
思わず。
呟いた。
◇◇◇
そして。
私の。
発表も。
公開された。
数分。
スマートフォンが。
震え始める。
通知。
通知。
通知。
怖い。
見ない。
そう。
決めていたのに。
画面の。
一部が。
目に入る。
『え!?』
『本当に結婚するの?』
『おめでとう』
『無理』
『ショック』
『泣いてる』
『でも陽向の文章読んだら何も言えない』
『幸せになって』
『まだ受け止められない』
いろんな。
言葉。
胸が。
ぎゅっとなる。
喜びだけじゃない。
当然。
でも。
陽向が。
言っていた。
どんな気持ちになるかは。
俺が。
決められない。
その通り。
「……うん」
私は。
スマートフォンを。
伏せた。
全部。
受け止めようと。
しなくていい。
今。
やること。
撮影。
私は。
立ち上がった。
◇◇◇
現場へ。
到着。
スタッフから。
「おめでとうございます」
と。
言われる。
「ありがとうございます」
何度も。
頭を下げる。
神崎も。
楽屋前で。
私を見るなり。
「おめでとう」
と。
言った。
「ありがとう」
「ついに」
少し。
笑う。
「天城さん」
「勝った顔してそう」
「何に?」
「知らない」
私は。
笑った。
すると。
神崎が。
少し。
真面目になる。
「大丈夫?」
「……」
私は。
考える。
「怖い」
「うん」
「でも」
少し笑う。
「嬉しい」
「なら」
神崎も。
笑った。
「いいんじゃない」
「うん」
◇◇◇
撮影を。
終えたころ。
陽向から。
メッセージ。
『終わった?』
『今終わった』
『俺も』
『会える?』
私は。
迷わなかった。
『会いたい』
◇◇◇
夜。
いつもの。
私の部屋。
玄関を。
開ける。
陽向。
「……」
「……」
二人。
しばらく。
何も言わなかった。
そして。
同時に。
「疲れた」
言った。
「ふふっ」
「あはは」
笑う。
それだけで。
力が。
抜けた。
「美月」
「うん」
「怖かった?」
「うん」
「俺も」
「反応」
「見た?」
「ちょっと」
「俺も」
陽向が。
少し。
寂しそうに。
笑う。
「やっぱ」
「離れるって」
「言ってる人」
「いる」
「……うん」
「悲しい?」
「悲しい」
即答。
「そっか」
「でも」
陽向が。
少し。
息を吐く。
「仕方ない」
「……」
「その人が」
「悪いわけでもない」
「うん」
「俺が」
「悪いとも」
「思ってない」
「うん」
「ただ」
「そういうことも」
「ある」
「……」
私は。
陽向の。
手を握った。
「でも」
「何?」
「私は」
少し。
笑う。
「今日の文章」
「すごく好きだった」
陽向の顔が。
少し。
赤くなる。
「本当?」
「うん」
「ファンだった私にも」
「ちゃんと」
「届いた」
「……」
「ありがとうって」
「言われた気がした」
陽向が。
目を。
潤ませる。
「美月」
「何?」
「俺」
「今」
「美月が」
「元ファンで」
「よかったって」
「めっちゃ思ってる」
「元じゃないよ」
「え?」
私は。
笑った。
「今も」
「天城陽向の」
「ファン」
「……」
「ただ」
陽向の。
手を。
握る。
「一番近くで」
「応援するファンになっただけ」
「……無理」
「何が?」
「今日」
「泣かせないで」
「もう泣いてるじゃん」
陽向が。
笑いながら。
私を。
抱きしめた。
◇◇◇
少しして。
私は。
婚約指輪を。
ケースから。
出した。
今日まで。
家でしか。
つけられなかった。
左手。
薬指へ。
通す。
陽向が。
じっと。
見ている。
「……美月」
「何?」
「明日」
「それ」
「つけて出る?」
心臓が。
鳴った。
今まで。
外では。
隠していた。
でも。
もう。
婚約は。
公表した。
私は。
指輪を見る。
怖い。
写真を。
撮られるかもしれない。
記事に。
なるかもしれない。
でも。
これは。
隠さなければ。
いけないものでは。
もう。
ない。
私は。
ゆっくり。
頷いた。
「うん」
陽向の。
顔が。
ぱっと。
明るくなる。
「つける」
「……マジ?」
「うん」
私は。
リングを。
光へ。
かざす。
「明日から」
少し。
笑う。
「外でも」
「つけたい」
陽向が。
本当に。
嬉しそうに。
笑った。
「似合う」
「知ってる」
「強くなったな」
「誰のおかげ?」
「俺?」
「それだけじゃない」
「えー」
私は。
笑った。
子どもたち。
星。
陽向。
夫だった人。
紗良。
仕事。
いろんな人と。
いろんな時間。
全部が。
今の。
私を。
作っている。
◇◇◇
翌朝。
撮影現場。
私は。
車を降りた。
左手。
薬指。
指輪。
スタッフの。
視線が。
一瞬。
そこへ。
向く。
でも。
私は。
隠さなかった。
「おはようございます」
いつも通り。
笑う。
「おはようございます!」
歩き出す。
怖い。
まだ。
少し。
でも。
嬉しい。
私は。
高瀬美月。
世間には。
一ノ瀬紗良。
その矛盾は。
これからも。
消えない。
それでも。
今日。
この指輪を。
つけて歩いているのは。
間違いなく。
私。
誰かに。
選ばれたからじゃない。
私も。
この未来を。
選んだから。
そして。
公表という。
大きな山を。
越えた私たちには。
次に。
もっと。
現実的な。
問題が。
待っていた。
――入籍するとき。
――私は、何という名前で。
――陽向の隣に立つのか。
戸籍の上では。
一ノ瀬紗良。
心は。
高瀬美月。
結婚を。
公表したことで。
その矛盾と。
向き合う日は。
とうとう。
避けられなくなっていた。



